第377話 驚きのニュース
第377話 驚きのニュース
富山ベイウインズとの直接対決から、二日後。
午前のエストレヤ千葉トレーニングセンターでは、いつもと変わらない一日が始まろうとしていた。
選手たちはそれぞれ練習の準備を進め、クラブハウスにも普段と変わらない空気が流れている。
二日前の富山戦は、1対0。
後半6分にダニエル・ロドリゲスが個人技から奪った一点を最後まで守り抜き、千葉は大きな勝ち点3を手にした。
これで勝ち点は60。
3位の富山との差は5ポイントまで広がった。
残りは5試合。
もちろん、まだ何も決まってはいない。首位を巡る争いは続いており、一つの取りこぼしが順位を大きく左右する状況に変わりはなかった。
だからこそ、チームの意識はすでに次の試合へ向かっている。
そのはずだった。
◇
「……え?」
最初に声を上げたのは中村だった。
スタッフルーム。
机に座り、何気なくスマートフォンを見ていた中村の手が止まる。
「どうした?」
近くにいた山本が振り返った。
「いや……」
中村はすぐには答えなかった。
何かの見間違いではないかと確認するように、もう一度画面を見る。
そして、眉を寄せた。
「ちょっと待て」
「何だよ」
「これ……今日発売だよな?」
その声を聞き、近くにいた田島も寄ってくる。
「何が?」
中村が無言でスマートフォンを二人へ向けた。
画面に表示されていたのは、今日発売された週刊誌の記事だった。
大きな見出し。
一枚の写真。
そして、そこにはっきりと表示されている名前。
**万条富隆。**
「……は?」
田島の表情が固まった。
◇
しかも、それで終わりではなかった。
「こっちにも出てるぞ」
今度は山本が別の記事を見つけた。
「え?」
「こっちも万条だ」
「同じ件?」
「……写真までほぼ同じだな」
今日発売された複数の週刊誌。
そのいくつかが、同じタイミングで富山ベイウインズ所属の万条富隆に関するスキャンダルを掲載していた。
記事の中心に使われているのは、一枚の写真。
場所はホテル。
ベッドの上にいる男の顔は、はっきりと写っている。
万条富隆。
似ているという程度ではない。
見間違えようがなかった。
そして、その両側には二人の女性がいる。
ただし、女性たちの顔は写っていない。
髪。
後ろ姿。
身体の一部。
二人の女性がそこにいたことまでは分かるが、それが誰なのかまでは特定できないようになっていた。
「……これ」
中村が画面を拡大した。
「完全に万条だな」
「だな」
「似てるとかじゃない」
田島も眉を寄せる。
「本人だ」
スタッフルームに、何とも言えない沈黙が落ちた。
◇
記事には、写真以外の情報も載っていた。
既婚者である万条が、ここ数週間、自宅へほとんど帰っていなかったこと。
その間、二人の女性とホテルで過ごしていたこと。
しかも、一度だけではない。
何週間にもわたって継続的に関係を持っていた。
記事には、そう書かれていた。
「……最悪のタイミングだな」
山本が呟く。
「富山、今どういう状況だと思ってるんだ」
誰も否定できなかった。
現在リーグ3位。
優勝争いの真っ只中。
そして二日前には、2位の千葉との直接対決に敗れたばかり。
勝ち点差は5へ広がっている。
そこへ、主力選手のスキャンダル。
「それも万条かよ」
「夏の補強の中心だぞ」
「今の富山で外せないだろ」
先ほどまでいつも通りだったスタッフルームの空気が、一気に変わっていた。
◇
「何の騒ぎですか?」
そこへ資料を片手にした八幡が入ってきた。
中村が顔を上げる。
「八幡」
「はい」
「これ見たか?」
「何をです?」
差し出されたスマートフォンを受け取り、八幡が画面を見る。
「……」
一秒。
二秒。
そして。
「……は?」
もう一度画面を見た。
記事の見出し。
そこに書かれた万条の名前。
そして写真。
「万条?」
「ああ」
八幡の目が細くなる。
「今日発売の週刊誌?」
「複数」
「複数?」
「一誌だけじゃない」
別の記事も見せられる。
さらに、もう一つ。
どれも同じタイミングで、同じような内容を報じている。
使われている写真も似たものだった。
万条の顔だけは、はっきりと写っている。
一方で、一緒にいる女性たちの顔は分からない。
「……」
八幡は黙って記事を読み進めた。
ここ数週間。
二人の女性。
ホテル。
既婚者。
そして、ほとんど自宅へ戻っていない。
「……マジか」
思わず小さく漏れた。
二日前の富山戦を思い出す。
試合中の万条には、そんな様子は一切なかった。
いつも通り。
いや。
むしろ古巣との試合を楽しんでいるようにすら見えていた。
確かに終盤は苛立っていた。
だが、それは千葉から一点を奪えない試合展開に対する苛立ちだった。
少なくとも八幡には、二日後にこんな記事が世に出ることを知っている人間の姿には見えなかった。
「試合の時、何も知らなかったんですかね」
「多分な」
中村が答える。
「知ってたら、さすがにもう少し何か出るだろ」
「……あいつなら普通にやりそうですけど」
「それも否定できないのが嫌だな」
八幡もそれ以上は何も言えなかった。
◇
その頃には、選手たちの間にもニュースが広がり始めていた。
「え?」
スマートフォンを見ていた川崎が目を丸くする。
「これ、万条さん?」
「そうみたい」
戸塚も近くから画面を確認した。
「……本当だ」
「しかも二人?」
橋本が思わず声を上げる。
坂本も横から画面を覗き込んだ。
「顔は万条さんだな」
「女性側、全然分からないですね」
「分からないようになってる」
森川も記事へ目を通す。
その表情が少し険しくなった。
「既婚だろ」
「はい」
「奥さんいる」
その言葉を境に、周囲が少しずつ静かになった。
昨日までなら、富山戦で万条の名前が出れば、話題になるのはサッカーだったはずだ。
神出鬼没に動き回るポジショニング。
郡司との連係。
ライアックとの位置交換。
千葉を最後まで苦しめたプレー。
だが今日は違った。
誰もサッカーの話をしていない。
◇
「これ、富山ヤバくない?」
川崎が呟く。
「クラブとしても」
「ヤバいだろうな」
答えたのは佐久間だった。
37歳。
長くプロの世界で戦ってきたベテランだからこそ、こうしたニュースが一人の選手だけで終わらないことも分かっている。
「本人だけの問題で終わらないからな」
「ですよね」
「取材も来る。クラブも説明を求められる。ほかの選手だって聞かれる」
「しかもシーズン終盤……」
「ああ」
優勝争いの真っ只中。
残り5試合。
富山にとって、余計な雑音など一つも増やしたくない時期だ。
そこへ突然、これほど大きな話題が持ち上がった。
「……でも」
戸塚がスマートフォンの画面を見つめた。
「なんで複数の週刊誌が同じ日に出してるんだろ」
「それは俺たちには分からないだろ」
森川がすぐに言った。
「今は変に推測しない方がいい」
「……そうですね」
戸塚も頷く。
現時点で分かっているのは、記事が出たこと。
そして、掲載された写真に万条が写っていること。
それだけだった。
◇
だが。
読者だけが知っている。
今回の記事が、偶然世に出てきたものではないことを。
◇
数日前。
ホテル。
一色いろはと由比ヶ浜結衣。
二人が選んだ写真があった。
万条の顔だけは、はっきりと見える。
しかし、自分たちの顔は分からない。
そして二人が準備した情報。
ここ数週間、ホテルで万条と一緒に過ごしていたこと。
万条が既婚者だと知っていたこと。
万条がほとんど自宅へ帰っていなかったこと。
すべて。
二人が渡したものだった。
万条が眠っているすぐ横で。
二人で笑いながら選んだ写真。
用意した情報。
それらが今日。
複数の週刊誌の記事となって、世の中へ出た。
◇
一方。
いろははスマートフォンで記事を開いていた。
「出ましたね」
隣にいた結衣も画面を見る。
「あ、本当だ」
記事のトップには万条富隆の名前。
そして写真と、大きな見出し。
二人は特に驚かなかった。
当然だった。
自分たちが売ったネタなのだから。
「結構大きく載ったね」
「タイミング良かったですからね」
富山は優勝争いの真っ只中。
万条は元エストレヤ千葉の選手であり、海外経験もある。
元々、注目度の低い選手ではない。
さらに二日前には、古巣との上位直接対決を戦ったばかり。
話題になる条件は揃っていた。
「万条さん、今頃どうしてるかな」
結衣が笑う。
「さあ?」
いろはも笑った。
「怒ってるんじゃないですか?」
「怒りそう」
「でも」
いろははスマートフォンの画面を閉じた。
「もう関係ないですけど」
「うん」
それだけだった。
二人にとって。
万条との関係は、もう終わっている。
記事が出た。
なら。
次。
その程度のことだった。
◇
エストレヤ千葉。
スタッフルーム。
八幡はもう一度、万条の記事を見ていた。
「……」
万条富隆。
29歳。
能力だけを見れば、今でもJ1で十分にプレーできる。
それどころか。
もっと上へ行くことだってできたかもしれない。
それだけのものを持っている。
にもかかわらず、万条はこれまで何度も自分自身の行動でキャリアを壊してきた。
遅刻。
寝坊。
練習態度。
監督との衝突。
チームメイトとの喧嘩。
そして今度は。
「……何やってんだよ」
八幡が小さく呟いた。
富山へ移籍してから、少なくともサッカーでは自分に合った役割を与えられていた。
自由に動く。
好きな場所でボールを受ける。
持っている能力を存分に発揮する。
万条が加入して以降、富山も順位を上げてきた。
ようやく。
サッカーだけを見れば、かなり良い状況になっていたはずだった。
なのに。
また。
サッカー以外のところで問題を起こした。
中村が椅子へ座る。
「富山、どうするんだろうな」
「分かりません」
「次節出すのか」
「それもクラブ次第でしょうね」
八幡はスマートフォンを机へ置いた。
少なくとも。
もう昨日までの富山ベイウインズと、まったく同じ状況ではない。
二日前。
千葉に敗れた。
5連勝のあと。
北海道。
千葉。
二連敗。
そこへ中心選手のスキャンダル。
シーズン終盤。
優勝争い。
残り5試合。
ただでさえ精神的に難しい時期に、さらに大きな火種が投げ込まれた。
「……まあ」
八幡は椅子から立ち上がった。
「俺たちが気にしても仕方ないですけど」
「ああ」
「次の試合ありますし」
千葉は千葉。
富山は富山。
相手に何が起きようと、こちらが勝ち点を落とせば意味がない。
八幡は資料を持ち直し、スタッフルームを出ようとする。
だが。
扉へ向かう途中。
もう一度だけ振り返った。
机の上のスマートフォン。
そこに映っている、万条富隆の記事。
「……本当に」
小さく息を吐く。
「何やってんだか」
二日前。
ピッチの上では、最後まで千葉を苦しめた男。
その万条富隆を巡る、サッカーとはまったく別の騒動が今日突然、世間の前で始まっていた。