第385話 ユースから一人
第385話 ユースから一人
千葉市立総武高校。
春山和也。
そして、もう一人。
左右両方のサイドバックを専門とする高校生。
高校年代からの補強について国内スカウトの報告を受けたあと、会議の話題は外からではなく、クラブの中へと移っていった。
エストレヤ千葉ユース。
クラブは毎年、外から選手を獲得するだけではない。
自分たちの育成組織で選手を育て、その中からトップチームへ送り出していく。
それもまた、クラブにとって欠かすことのできない仕事だった。
◇
「ユースは?」
強化部長の佐藤智成が尋ねる。
すると、先ほどまで高校生の資料が並んでいた机の上へ、今度はエストレヤ千葉ユースの資料が置かれた。
育成部門から上がってきた最終評価。
その一番上。
「今年は一人です」
育成担当者の言葉に、八幡も資料へ目を落とした。
そこに書かれている名前は、今になって初めて見るものではない。
むしろ。
これまで何度も見てきた名前だった。
**二宮正輝。**
読みは、ニノミヤ・マサキ。
10月21日生まれ。
18歳。
左利き。
ポジションは。
**RSH。**
**OMF。**
**RWG。**
そして。
**RSB。**
エストレヤ千葉ユース。
背番号10。
「まあ」
八幡は資料を見ながら言った。
「こいつですよね」
「そうなるな」
佐藤も特に驚いた様子はない。
二宮については、今になって急に評価が上がったわけではなかった。
この年代では、ずっとクラブ内でも名前を知られていた選手だ。
◇
モニターに試合映像が映し出される。
ユース年代の公式戦。
右サイド。
背番号10。
二宮がボールを受ける。
左利き。
正面には相手の左サイドバック。
二宮は一度止まった。
相手も止まる。
次の瞬間。
一気に縦へ加速した。
「速い」
八幡が小さく呟く。
相手も食らいつく。
だが、二宮はそのまま外を抜き切ろうとはしなかった。
左足でボールを内側へ。
切り返す。
相手の重心が外へ流れた瞬間、その逆を取る。
一人。
外した。
そのままペナルティエリアへ。
右から中央。
カットイン。
左足。
バンッ!!
放たれたシュートが、ゴール左上へ突き刺さる。
「……これ」
八幡は画面を見たまま言った。
「何回目です?」
「似た形だけなら、かなりあります」
育成担当者が苦笑する。
次の映像。
また右。
また二宮。
ボールを持つ。
一人を抜く。
内側へ入る。
左足。
シュート。
ゴール。
さらに次。
今度は最初から二人が寄せている。
一人目には縦へ行くふりを見せて内側へ。
突破。
二人目には一度ボールを止め、タイミングを外す。
そして。
左足。
振り抜く。
ネットが揺れた。
「ユース年代だと」
育成担当者が言う。
「この形は、ほとんど止められていません」
「分かってても?」
佐藤が聞く。
「分かっててもです」
◇
二宮正輝。
最大の武器。
**ドリブル。**
特に。
右サイドから左足で仕掛けるカットイン。
そして、そこから放つ鋭いシュート。
「普通」
佐藤が資料を見ながら言った。
「左利きの右ウイングが、ここまで同じ形で決め続けたら対策される」
「されています」
育成担当者が答える。
「それでも?」
「止め切れていません」
相手だって当然分かっている。
二宮は左足で中へ入りたい。
左足でシュートを打ちたい。
だから。
内側を切る。
縦へ追い出そうとする。
だが。
二宮は縦にも行ける。
右足主体の選手ではない。
それでも。
スピードと細かなボールタッチだけで、外側を取ることができる。
相手が。
やはり縦も警戒しなければならない。
そう思った瞬間。
今度は内側。
「面倒ですね」
八幡が言う。
「褒め言葉だろ?」
「もちろん」
相手からすれば。
分かっているのに。
どちらを切っても。
その逆へ行かれる。
そんな選手だった。
◇
さらに。
二宮には、もう一つ。
この年代では分かりやすい肩書きがある。
**U-18日本代表。**
しかも。
そこで背負っている番号も。
**10番。**
「クラブでも10番」
佐藤が資料を見る。
「代表でも10番」
「はい」
「この年代じゃ、かなり知られてるな」
「そうですね」
エストレヤ千葉ユースの10番。
U-18日本代表の10番。
他クラブのスカウト。
大学関係者。
年代別代表のスタッフ。
高校年代のサッカーを見ている人間なら、二宮正輝という名前を知らない方が珍しい。
そんな存在になっていた。
◇
「ただ」
八幡が別の映像を見る。
「右サイドバックもやってるんですね」
「やります」
画面の中。
今度の二宮は、明らかに立ち位置が低かった。
4バックの右。
RSB。
相手の左サイドハーフがボールを持って仕掛けてくる。
二宮はすぐには飛び込まない。
距離を合わせながら下がる。
相手が縦へ行く。
二宮もついていく。
そして。
身体を寄せる。
ボールを外へ追い出す。
「守備嫌いではない?」
八幡が聞く。
「むしろ、ちゃんとやります」
育成担当者は即答した。
「前の選手ですけど、守備をサボるタイプではありません」
「そこはいいですね」
八幡も頷く。
攻撃では。
あれだけ自分から仕掛ける。
だが。
ボールを失えば戻る。
追う。
守備位置へ入る。
前線からの守備でも。
ただ形だけ寄せるのではなく。
相手の進行方向を限定しようとする。
「右サイドバックで育てる予定もある?」
佐藤が尋ねる。
「可能性はあります。ただ」
「本職は前か」
「今の段階では、そう見ています」
RSH。
RWG。
OMF。
そこが中心。
ただし。
RSBもできる。
左利きで。
右サイドの前から後ろまで。
幅広くプレーできる。
それもまた。
二宮の価値だった。
◇
「パスは?」
八幡が聞く。
「悪くありません」
また。
即答だった。
映像。
右サイド。
二宮。
ドリブルで一人を引きつける。
さらにもう一人。
二人が寄った瞬間。
中央。
空いた味方へ。
左足。
パス。
そのまま決定機になる。
八幡は画面を見る。
「見えてはいる」
「はい」
「技術も?」
「問題ありません」
「じゃあ」
八幡は資料の次の項目へ視線を落とした。
そこには。
はっきりと。
書かれている。
**玉離れ。**
「何でこれが弱点?」
◇
「持ちすぎます」
育成担当者が苦笑した。
「かなり?」
「かなりです」
次の映像が流れる。
二宮。
右サイド。
一人を抜いた。
その時点で。
前には味方が走っている。
パスを出せる。
出せば。
そのままチャンス。
だが。
二宮は出さない。
さらに。
二人目へ行く。
抜く。
そこでも。
まだ出さない。
三人目。
さすがに。
ボールを奪われた。
「……ああ」
八幡が納得したように声を漏らす。
「パスができないんじゃない」
「そうです」
「見えてないわけでもない」
「はい」
「出さない」
「そこです」
◇
二宮には技術がある。
一人なら抜ける。
実際。
ユース年代なら。
二人でも抜ける。
だから。
持つ。
そして。
さらに持つ。
自分で局面を壊し切ろうとする。
「成功体験が多すぎるんだな」
佐藤が言う。
「そういうところはあります」
育成担当者も頷いた。
ユースでは。
それでも成立してしまう。
一人を抜く。
二人目も抜く。
日によっては。
三人目すら抜けてしまう。
だから。
二宮の中で。
一人抜いたら味方へ預ける。
ではなく。
一人抜いたら、次も行ける。
になっている。
「一人抜いた後」
八幡が映像を見ながら言う。
「そこで出せれば、かなり嫌な選手ですけどね」
「そうなんです」
「でも二人目まで行く」
「はい」
「三人目も?」
「行きたがります」
「……ドリブラーだな」
八幡は小さく息を吐いた。
◇
それでも。
二宮への評価が落ちないのには理由があった。
ドリブルしかない選手ではない。
守備もする。
パスも出せる。
周囲も見えている。
走ることも嫌わない。
そして。
何より。
プロの世界でも武器になり得る。
明確な個性がある。
「トップ昇格は?」
佐藤が確認する。
育成担当者は迷わなかった。
「推薦します」
「一人だけ?」
「はい」
その答えだけは。
少し重かった。
◇
八幡は二宮以外の、ユース三年生の資料へ目を通した。
名前。
ポジション。
出場記録。
評価。
将来性。
「今年は」
育成担当者が少し言いにくそうに口を開いた。
「正直、いい学年ではありませんでした」
佐藤も黙って聞く。
「中学年代の頃は、期待されていた選手もいました」
「はい」
「ただ、高校年代へ入ってから、思ったほど伸びなかった」
身体。
判断。
技術。
メンタル。
その理由は。
選手ごとに違う。
怪我。
成長の停滞。
ポジション争い。
カテゴリーが上がったことでの適応不足。
選手の成長は。
クラブが描いた予定表通りには進まない。
「全体的に」
育成担当者は続ける。
「この学年は伸び悩みました」
「トップで見たい選手は?」
佐藤が聞いた。
「現時点では、二宮だけです」
はっきりした答えだった。
◇
「厳しいな」
佐藤が言う。
「はい」
それでも。
八幡は特に表情を変えなかった。
「でも」
全員の視線が八幡へ向く。
「上げることが目的じゃないですからね」
育成担当者も八幡を見る。
「毎年何人とか」
八幡は淡々と続ける。
「ノルマみたいにトップ昇格させても、本人のためにならないでしょう」
「そうだな」
佐藤も頷いた。
ユースからトップ。
育成年代の選手にとっては、大きな夢。
クラブとしても。
自分たちが育てた選手をトップチームで活躍させることには大きな意味がある。
だが。
だからといって。
情だけで昇格を決めるわけにはいかない。
プロ。
結果を求められる世界。
上げるなら。
そこで生き残る可能性を。
本気で見なければならない。
◇
「二宮は」
佐藤が資料を手に取る。
「来季、トップへ」
「はい」
「18歳」
「はい」
「すぐ戦力になると思うか?」
育成担当者は少し考えた。
「攻撃だけなら、部分的には」
「守備は?」
「サボりません」
「フィジカル」
「プロに入れば、当然まだ足りません」
「判断」
「そこが一番ですね」
そして。
佐藤が最後に言う。
「玉離れ」
「はい」
育成担当者も苦笑した。
そこ。
まさに。
プロへ入ってから最初に修正しなければならない部分だった。
◇
八幡は再び。
二宮のカットインを見る。
右サイド。
左足。
一人を抜く。
中央へ。
鋭く入る。
そして。
左足。
シュート。
ゴール。
「これ」
八幡が言った。
「トップで決まったら面白いですね」
「だろ?」
佐藤が少し笑った。
八幡も画面から目を離さない。
「ユースで誰も止められてないなら」
「ん?」
「次はプロが止める番ですね」
佐藤の表情が少しだけ歪む。
「言い方が嫌だな」
「現実でしょう」
「まあな」
ユースで通用した武器。
それが。
J2でも通用するのか。
そこから先は。
本人が証明するしかない。
◇
春山和也。
千葉市立総武高校。
18歳。
右利き。
DMF。
OMF。
CB。
空間を読み。
空間を操る。
守備では。
相手を罠へ誘う。
明確な課題。
左足。
そして。
エストレヤ千葉ユース。
**二宮正輝。**
18歳。
10月21日生まれ。
左利き。
RSH。
OMF。
RWG。
RSB。
ユースの背番号10。
U-18日本代表でも。
背番号10。
最大の武器。
右サイドからのドリブル。
カットイン。
そして。
鋭い左足。
ユース年代では。
相手が分かっていても。
その形を止め切れない。
その一方で。
弱点も明確だった。
**ボールを持ちすぎる。**
守備をしないわけではない。
パス能力が低いわけでもない。
周囲が見えていないわけでもない。
ただ。
自分で行けてしまう。
だから。
行きすぎる。
それが。
二宮正輝という選手だった。
◇
「一人か」
会議の最後。
佐藤がもう一度確認する。
「今年のユース昇格」
「一人です」
「二宮だけ」
「はい」
この学年。
全体としては。
期待されたほど伸びなかった。
複数人をトップへ送り込める。
そんな世代にはならなかった。
それでも。
一人。
強烈な個性を持つ10番がいる。
エストレヤ千葉。
来季。
高校から新しい選手を迎える。
そして。
自分たちが育ててきたユースからも。
一人。
トップへ上がってくる。
11月。
リーグ戦は残り2試合。
北海道フェニックスFCと勝ち点69で並ぶ。
目の前には。
J2優勝を懸けた最後の戦い。
その裏側では。
来季のチームも。
確実に。
少しずつ。
形を見せ始めていた。