第386話 再び仙台
第386話 再び仙台
11月中旬。
長かったJ2リーグも、ついに残り2試合となった。
第32節終了時点。
首位は北海道フェニックスFC。
勝ち点69。
そして、2位のエストレヤ千葉も勝ち点69。
21勝6分5敗。
勝利数も。
引き分け数も。
敗戦数も。
完全に同じ。
両者を分けているものは、得失点差だけだった。
そのわずかな差によって北海道が首位。
千葉が2位。
開幕5試合で勝ち点2。
最下位から始まった千葉のシーズンは、残り2試合というところまで来て、ついに優勝争いの最前線まで辿り着いていた。
そして。
その最初の一試合。
第33節の相手は――。
◇
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
分析室。
大型モニターには、次節の対戦カードが表示されていた。
**第33節。**
**エストレヤ千葉 vs 仙台アステルFC。**
現在4位。
勝ち点56。
15勝11分6敗。
「仙台か」
中村が腕を組みながらモニターを見る。
「この時期に4位とやるのも楽じゃないな」
「向こうも勝ち点が必要ですからね」
八幡が答えた。
「消化試合じゃありません」
仙台は今季、引き分けが11。
勝ち切れない試合は少なくない。
しかし。
敗戦は6しかない。
簡単には負けない。
大崩れすることも少ない。
現在4位にいるだけの安定感を持ったチームだった。
少なくとも。
最近の仙台だけを見れば。
そう評価できる。
「ただ」
田島が口を開く。
「大崩れした試合」
一拍。
「一つあるな」
その一言で。
部屋にいた全員が、すぐに何の試合を指しているのか理解した。
◇
八幡がリモコンを操作する。
画面が切り替わった。
表示されたのは。
**第16節。**
エストレヤ千葉対仙台アステルFC。
そして。
その下。
大きく表示されたスコア。
**7-0。**
「……何度見ても凄いな」
山本が苦笑した。
「仙台側からしたら」
八幡も少しだけ表情を緩める。
「二度と見たくない映像でしょうね」
「だろうな」
中村も頷く。
あの日。
仙台は千葉に完全に崩された。
守備の修正を試みても。
その修正の先を突かれ。
さらに修正すれば。
今度は別の場所を使われた。
そして。
その試合には。
今の千葉にはいない男がいた。
「鈴木」
マルコが静かに言った。
「はい」
八幡が映像を再生する。
◇
まだドイツへ旅立つ前。
鈴木が前線中央へ入っている。
千葉から縦パス。
相手CBが寄せる。
さらにボランチも距離を詰める。
その中で鈴木がボールを収める。
身体を使う。
周囲を見る。
そして味方へ展開した。
八幡が言う。
「ここは普通なんですよね」
中村も頷く。
「CFが収めて、周囲を使う」
「はい。ただ――」
映像が進む。
次の場面。
再び鈴木へ縦パスが入った。
今度は完全には収まらない。
仙台のCBが触る。
ボールがこぼれた。
「普通なら」
中村が画面を見る。
「ここで攻撃終了」
「ですね」
だが。
あの日の千葉は終わらなかった。
こぼれ球。
戸塚。
回収。
すぐにエミリオへ。
エミリオも余計に持たない。
前。
もう一度。
鈴木。
「これだったな」
「はい」
八幡が映像を止めた。
◇
第16節。
千葉が仙台相手に見せた、少し変わった攻撃。
まず鈴木へ入れる。
収まれば。
そこから攻撃を始める。
だが。
収まらなくても。
終わらない。
鈴木の周囲に戸塚とエミリオを配置し、こぼれたボールを拾う。
そして。
また前へ入れる。
つまり。
**鈴木のロストすら、最初から攻撃の一部として扱っていた。**
「仙台は」
八幡が画面を指した。
「当然、鈴木を止めようとした」
中央へ人が集まる。
CBが出る。
ボランチも寄る。
だが。
その瞬間。
左。
森川。
「中央に集まったら、外」
反対側。
川崎。
「右も同じ」
さらに。
鈴木へ人が集まったことで空いた中央。
そこへ。
ダニエル。
「鈴木を見れば、他が空く」
「他を見れば、鈴木へ入る」
しかも。
誰か一人が試合を作る形ではない。
戸塚。
エミリオ。
ダニエル。
森川。
川崎。
前。
横。
斜め。
どこからでもボールが動く。
仙台からすれば。
一つを止めたところで。
次が出てくる。
◇
あの試合の夜。
J2の各クラブが。
千葉対仙台。
7対0。
その映像を繰り返し見ていた。
どう守るのか。
誰を消すのか。
どこへのパスを切るのか。
当然。
研究された。
「確か」
中村が少し笑う。
「この試合の後、他クラブがかなりうちの分析してたんだよな」
「そりゃやりますよ」
八幡が答える。
「7点ですから」
「しかも」
山本が口を挟む。
「単純に仙台の守備が崩壊したって試合じゃなかった」
「そうです」
八幡が頷く。
「仙台も途中から対応しようとしてました」
出てくる選手を変える。
中央を締める。
鈴木への距離を変える。
しかし。
「対応した先で、また別の場所が空いた」
岡山。
愛媛。
福岡。
青森。
富山。
鹿児島。
相模原。
熊本。
栃木。
山形。
横浜。
伊勢。
信州。
秋田。
駿河。
多くのクラブが。
鈴木を警戒し。
エミリオを警戒し。
戸塚。
ダニエル。
森川。
川崎。
千葉の攻撃を細かく分析した。
さらに。
試合中。
ベンチから修正を加えていた人間。
比企谷八幡。
「熊本だったか?」
中村が思い出したように言った。
「一番怖いのは八幡だとか言ってたらしいぞ」
「やめてください」
「本当だろ?」
「俺、選手じゃないですよ」
「そういう問題じゃないだろ」
室内に少しだけ笑いが生まれた。
◇
だが。
マルコはすぐに空気を戻した。
「前回は前回だ」
その一言で。
全員の視線が監督へ向く。
「7対0」
マルコはモニターを見る。
「その数字を持ち込んで、今回も同じようになると思えば負ける」
笑いが消えた。
「はい」
八幡がリモコンを操作する。
画面は。
第16節から。
最近の仙台へ。
切り替わった。
◇
数か月。
仙台も変わっていた。
当然だった。
第16節。
7失点。
あれだけの大敗を喫して。
同じ問題を何も修正せずに残すほど。
仙台も甘いチームではない。
「まず」
八幡が映像を止める。
「人に食いつく回数が減っています」
中村が画面を見る。
「特にCBか」
「はい」
以前の仙台。
前線の基準点へボールが入る。
すると。
センターバックが強く前へ出た。
さらにボランチも寄せる。
二人。
時には三人。
そこまで相手の基準点を潰しに行く。
だからこそ。
その周囲にスペースが生まれていた。
だが。
現在は違う。
「受けさせたくはない」
八幡が説明する。
「でも、完全に潰しに行って後ろを空けることもしない」
マルコが言った。
「ゾーンを優先している」
「かなり」
◇
映像。
相手CFが中盤へ下がる。
以前なら。
仙台CBがついていく可能性の高かった場面。
しかし。
今は追わない。
CBは最終ラインへ残る。
代わりに。
ボランチへ受け渡す。
「ここ」
八幡が画面を一時停止した。
「前回ならCBが出ていた可能性が高いです」
「今は残る」
「はい」
相手は無理に縦へ行けず。
横へ展開する。
それに合わせて仙台の守備ブロック全体がスライドする。
一人だけが飛び出すのではなく。
全体で動く。
「連動も良くなったな」
山本が言う。
「良くなってます」
「だから今4位?」
「一つの理由だと思います」
15勝。
11分。
6敗。
圧倒的な連勝を長期間続けたわけではない。
それでも。
簡単には勝ち点を渡さない。
前回。
千葉相手に7点を失ったチームとは。
明らかに違っていた。
◇
「あと」
八幡が資料へ視線を落とす。
「前回の試合」
「向こう」
一度。
周囲を見る。
「絶対覚えてます」
「そりゃな」
田島が苦笑する。
「忘れられるスコアじゃない」
中村も頷いた。
「むしろ、一番やり返したい相手だろ」
「でしょうね」
仙台からすれば。
今シーズン最大の屈辱。
7対0。
それを与えたクラブ。
エストレヤ千葉。
しかも。
今回。
千葉は6連勝中。
首位・北海道と勝ち点69で並び。
優勝争いの真っただ中。
「ここで千葉止めたら」
中村が言う。
「向こうとしては、前回の借りを返した感も相当強いな」
「そうですね」
八幡も同意する。
「モチベーションが低いはずはないです」
4位。
仙台自身にも順位がある。
そこへ。
前回の大敗。
条件が重なっている。
簡単な試合になるはずがない。
◇
「鈴木はいない」
マルコが改めて言った。
「はい」
八幡が答える。
「前回の攻撃を、そのまま使うことはできない」
「そうですね」
鈴木はもういない。
ドイツへ渡った。
今。
前線中央にいるのは。
マティアス・ベニテス。
23歳。
鈴木とはタイプが違う。
一方。
ダニエルの役割は増えた。
森川。
川崎。
戸塚。
エミリオ。
前回仙台と対戦した頃より。
互いの理解も深まっている。
さらに。
夏を越えて。
選手も増えた。
使える形も。
選択肢も。
増えている。
マルコが言う。
「前回と同じことをする必要はない」
「はい」
八幡は即答した。
◇
そこから。
分析はさらに細かくなった。
最近の仙台。
守備。
攻撃。
攻守の切り替え。
セットプレー。
一つずつ。
確認していく。
八幡が映像を巻き戻した。
「この辺」
再生。
数秒。
「……」
止める。
もう一度。
「ここも」
再生。
そして。
また巻き戻す。
それを何度か繰り返したところで。
中村が不思議そうに横を見た。
「八幡?」
「はい?」
「さっきから同じところ見てない?」
「見てます」
即答。
中村の眉が動く。
「何かある?」
「まだ」
八幡は画面から目を離さなかった。
「ちょっと考えてます」
◇
マルコが八幡を見る。
これまで。
何度も一緒に分析してきた。
だから。
分かる。
八幡が何かに引っかかった時の顔。
「何か思いついたか?」
八幡はすぐには答えなかった。
モニター。
仙台の守備陣。
一つの場面。
もう一度。
巻き戻す。
「……まだ」
「まだ?」
「形になってません」
その言い方に。
中村が嫌そうな顔をした。
「その言い方」
「何です?」
「どうせまた変なこと考えてるだろ」
「失礼ですね」
「否定しろよ」
「まだ考えてる途中なんで」
「否定しないのかよ」
八幡は返事をせず。
再びモニターへ視線を戻した。
◇
第16節。
仙台。
7対0。
あの日。
千葉は。
鈴木という存在を最大限に利用した。
収まっても。
収まらなくても。
そこから攻撃になるようにした。
だが。
今回は鈴木がいない。
そして。
仙台も変わった。
以前ほど人へ食いつかない。
簡単に最終ラインから出てこない。
スペースを埋める。
受け渡す。
ブロックを維持する。
八幡は椅子へ深く座った。
「……」
今の仙台は。
何を守ろうとしている。
何を優先している。
前回の敗戦から。
何を修正した。
ならば。
その修正によって。
別の何かが。
どこかに。
生まれていないか。
八幡の目は。
同じ場面を何度も追っていた。
◇
しばらくして。
マルコが時計を見る。
「今日は一度ここまでにする」
全員が資料をまとめ始めた。
「明日、もう一度仙台を詰める」
「はい」
八幡も立ち上がった。
だが。
席を離れる前。
最後に。
もう一度だけモニターを見た。
仙台の選手たちが。
組織的に動いている。
以前より。
明らかに整理された守備。
「……」
まだ。
戦術と呼べるものにはなっていない。
言葉にも。
完全にはできていない。
ただ。
何かが引っかかっている。
前回とは違う。
今の仙台だからこそ。
使える何か。
◇
第16節。
7対0。
それはもう。
過去の試合だった。
第33節。
仙台アステルFC。
同じクラブ。
同じ名前。
だが。
守り方も。
戦い方も。
あの日とは違う。
そして。
エストレヤ千葉も。
あの日の千葉ではない。
鈴木はいない。
代わりに。
今のメンバーがいる。
今の千葉が積み上げてきたものがある。
その選手たちで。
どう仙台を崩すか。
分析室から出ようとした八幡は。
扉の前で一度だけ足を止めた。
そして。
誰に聞かせるでもなく。
小さく呟いた。
「……ちょっと」
口元が、ほんのわずかに緩む。
「面白いかもな」
だがその中身を。
八幡はまだ誰にも話してはいなかった。