第387話 刈り取るアンカー
第387話 刈り取るアンカー
翌日。
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
分析室の大型モニターには、前日に引き続き仙台アステルFCの試合映像が流れていた。
リーグ戦は残り2試合。
第32節終了時点で、北海道フェニックスFCとエストレヤ千葉はともに勝ち点69。
21勝6分5敗。
勝敗数まで完全に同じ。
得失点差によって北海道が首位、千葉が2位となっている。
一つの引き分け。
一つの敗戦。
それだけで、優勝争いの景色が大きく変わりかねない。
そんな状況で迎える第33節。
相手は現在4位。
仙台アステルFCだった。
◇
「昨日の続きからだ」
マルコが言った。
八幡がリモコンを操作する。
映し出されたのは、最近の仙台の試合。
センターバックからサイドバック。
一度横へ動かし。
中盤へ戻す。
相手の守備が動けば、今度は中央へ縦パスを差し込む。
そこから再び外へ逃がす。
ボールを無理に前へ運ばず。
相手を動かしながら、少しずつ前進する。
八幡は昨日から。
同じような場面を何度も見返していた。
「……またそこか?」
中村が尋ねる。
「はい」
「昨日から何回見た?」
「数えてません」
「何か分かったのか?」
「一応」
八幡は映像を止めた。
そして。
席を立つ。
◇
「前回」
ホワイトボードの前へ立った八幡が言う。
「仙台は鈴木を止めようとしすぎた」
画面が切り替わる。
第16節。
7対0。
当時の映像。
鈴木へ縦パスが入る。
仙台のCBが出る。
ボランチも寄せる。
中央に人が集まる。
その外。
森川。
反対側。
川崎。
さらに。
戸塚。
エミリオ。
ダニエル。
「鈴木を潰そうとして人が動く。その動きを利用した」
「そうだったな」
マルコが頷いた。
「だから今回は」
八幡は再び最近の仙台へ映像を戻した。
「かなり変えています」
相手CFが中盤へ下がる。
仙台のCBは追わない。
代わりにボランチへ受け渡す。
最終ラインはそのまま残る。
「人に食いつかない」
八幡が続ける。
「ゾーンを崩さない。無理に奪いに出ず、まず自分たちの形を維持する」
「前回の反省だな」
「でしょうね」
7失点した試合。
その原因になった部分を。
仙台も何もせず放置していたわけではない。
◇
だが。
八幡が注目していたのは、守備だけではなかった。
「ボールを奪った後もです」
映像が進む。
仙台が自陣でボールを回収する。
以前ならば、早い段階で前線へ蹴っていた場面。
しかし。
今は近くの味方へ預ける。
横。
もう一度中央。
そして。
縦。
「かなり繋ぐようになってるな」
山本が言った。
「はい」
八幡は、一本のパスが入った瞬間に映像を止める。
「特にここ」
中盤中央。
「縦パス」
次の映像。
また中央。
別の試合。
そこでも同じ。
後方から。
中盤へ。
「ここを出口にしてます」
八幡が言う。
「前から来られても、一度中央へ入れて、そこから逃げる」
田島も画面を見つめる。
「安定してるな」
「だから簡単に負けないんでしょうね」
15勝11分6敗。
引き分けは多い。
だが。
敗戦は少ない。
第16節。
千葉相手に7失点した頃とは。
明らかに違うチームになっていた。
◇
「で?」
マルコが尋ねる。
「その縦パスをどうする?」
八幡は。
ほんの少しだけ笑った。
「刈ります」
一瞬。
部屋が静かになった。
「……刈る?」
「はい」
八幡はホワイトボードへ、一人の名前を書いた。
**小林庄雅。**
その下。
**DMF。**
そして。
さらに。
**アンカー。**
◇
「ああ」
中村は、今度は驚かなかった。
「庄雅か」
「はい」
「なるほどな」
数か月前なら。
この名前がDMFの位置へ書かれれば、全員が首を傾げていただろう。
しかし。
今は違った。
小林庄雅。
28歳。
9月21日生まれ。
左利き。
元々は。
生粋のストライカー。
高校時代。
全国高校サッカー選手権で得点王を獲得。
森川と同世代の中でも、全国屈指の点取り屋として知られていた。
エストレヤ千葉へ加入した後も。
クラブのエースとしてゴールを重ねた。
だが。
23歳の時。
ある出来事を境に。
それまでと同じようにはプレーできなくなった。
接触への恐怖。
ゴール前で生まれる迷い。
以前なら迷わず踏み込めた場所へ。
身体が入っていかない。
かつて持っていた鋭さは。
少しずつ。
失われていった。
しかし。
数か月前。
そんな小林に。
誰も予想していなかった新しい可能性が見つかった。
◇
きっかけは。
紅白戦だった。
遊びに近い形で行われた、普段とは違うポジションでの実戦。
その日。
小林が入ったのは。
DMF。
最初から本格的なコンバートを考えていたわけではない。
人数や組み合わせ。
少し違うことを試してみよう。
それくらいのものだった。
だが。
始まってみると。
一本。
二本。
三本。
小林は次々と相手のパスを奪った。
相手がボールを蹴る。
その瞬間ではない。
蹴る前。
すでに。
ボールが通りそうな場所へ動いている。
終わってみれば。
一試合で七本ものインターセプト。
偶然と呼ぶには。
あまりにも多かった。
◇
「これだったな」
マルコが言った。
八幡が当時の紅白戦の映像を再生する。
小林。
中盤の底。
相手OMFへ縦パスが入る。
その瞬間。
一歩前へ。
パシッ。
インターセプト。
次。
横パス。
そこでも。
先回り。
カット。
「守備技術が特別高いわけじゃない」
八幡が説明する。
「対人も強くない。ロングパスが上手いわけでもない」
映像の中。
また。
小林が一本のパスを切った。
「でも」
一拍。
「危険な場所を読む能力」
「パスコースを読む能力」
「これは、かなり高い」
◇
そして。
それは。
紅白戦一度きりで終わった話ではなかった。
9月1日。
強化部会議。
小林庄雅をDMFとして継続的に育てることが決まった。
完全なコンバートを宣言したわけではない。
FWとしての可能性を捨てたわけでもない。
それでも。
9月以降。
練習では。
何度も中盤の底へ入っていた。
「もう二か月以上やってるもんな」
山本が言う。
「はい」
八幡も頷いた。
「紅白戦だけの偶然じゃないかは、ずっと確認してきました」
戸塚。
エミリオ。
笹森。
小林が組んだ相手は一人ではない。
小林をアンカーに置き。
その前に戸塚。
あるいはエミリオ。
時には笹森。
実戦形式。
守備練習。
ビルドアップ。
練習試合。
様々な組み合わせで。
何度も。
何度も。
中盤の選手としてプレーしてきた。
「最初より、かなり自然になったよな」
中村が言う。
「ですね」
八幡も映像を見ながら答える。
「最初はボールだけ見てましたから」
「今は?」
「周囲。味方。相手。スペース。その辺も見るようになってます」
八幡は少しだけ笑う。
「ちゃんと中盤の選手っぽくなってます」
「本人に聞かせてやれ」
「褒めてますよ」
◇
そして。
何より。
小林本人が、DMFとしての練習を嫌がらなかった。
むしろ。
長い間。
FWとして苦しんでいた時より。
楽しそうに見えることすらあった。
ボールを奪う。
近くの味方へ繋ぐ。
危険な場所を消す。
ゴールを決めなくても。
チームへ貢献できる。
自分には。
まだ役割がある。
そんな感覚を。
小林自身も。
少しずつ掴み始めていた。
◇
「だから」
八幡は仙台の映像へ戻した。
「今回、いきなり小林さんをアンカーにするわけじゃない」
全員が八幡を見る。
「9月からずっと練習してきたものを使います」
マルコが頷く。
「仙台相手なら、一番生きると?」
「そう思っています」
◇
八幡はホワイトボードへ向き直る。
仙台。
後方。
センターバック。
サイドバック。
その前。
中盤。
「仙台は、ここを使いたい」
後方から中央へ一本。
線を引く。
「こっちも」
別の場所から。
中央。
「そして、ここも」
仙台が前線からの守備を回避するために使っている。
中盤への縦パス。
中村が尋ねた。
「全部潰す?」
「いや」
八幡は首を振った。
「全部潰すわけじゃありません」
「なら?」
「出させます」
◇
ホワイトボード中央。
小林。
アンカー。
ただし。
相手の受け手へ最初から密着するわけではない。
「少し離れます」
八幡が言う。
マルコがすぐ意図を理解した。
「空いているように見せる」
「はい」
仙台から見れば。
通せる。
そう思える程度の距離。
相手の中盤が顔を出す。
小林はいる。
だが。
少し離れている。
なら。
入る。
縦パス。
その瞬間。
小林が前へ出る。
八幡は。
ホワイトボードの一本の線を指した。
「ここで刈る」
◇
小林の武器は。
身体能力ではない。
圧倒的なスピードでもない。
強い接触でもない。
**相手が、どこへボールを出したいのかを読むこと。**
長年。
ストライカーとしてゴール前で生きてきた。
自分なら。
どこでボールを受けたいか。
どの角度から縦パスが欲しいのか。
どこへ入れば。
次のプレーでゴールへ向かえるのか。
小林は知っている。
だからこそ。
逆から見ることもできる。
「FWだったからこそ」
八幡が言う。
「相手FWやOMFが何を狙っているのか、かなり分かる」
危険になる場所。
そこへ。
危険になってから向かうのではなく。
その前に立つ。
◇
「庄雅をボールハンターとして使う」
マルコが言った。
だが。
八幡は首を振った。
「ちょっと違います」
「違う?」
「ボールを追い回すわけじゃない」
八幡は続ける。
「追わせたら、多分良さが消えます」
「待つ?」
「はい」
自分から相手へぶつかりに行かない。
走り回ってボールホルダーを追い続けない。
見るのは。
人ではない。
パス。
その線。
「人じゃなく」
山本が言った。
「パスを捕まえる」
「それです」
◇
ただし。
小林一人で成立する戦術ではない。
「周りも必要です」
八幡は小林の前へ二人の名前を書いた。
**戸塚。**
**エミリオ。**
「この二人で仙台が出せる場所を限定する」
中村がホワイトボードを見る。
「全部消すわけじゃない」
「はい」
「小林が狙う場所だけ残す」
「そうです」
戸塚が片方のコースを切る。
エミリオが逆を限定する。
前線も外への逃げ道を少しずつ消す。
仙台から見える。
中央。
一つ。
そこだけ。
出せる。
そう。
思わせる。
しかし。
その先には。
小林。
◇
「なるほどな」
中村が頷いた。
「仙台にパスを選ばせるんじゃなくて」
「はい」
「選ばせてるように見せる」
「実際は」
八幡が続ける。
「こっちが出す場所を決めてる」
前回。
第16節。
千葉は。
仙台の守備を動かした。
鈴木へ人を集め。
空いた場所を使った。
今回は。
逆。
仙台の攻撃を。
誘導する。
◇
「でも」
田島が確認するように言った。
「小林の弱点が消えたわけじゃないぞ」
「もちろん」
八幡はすぐに答えた。
接触への恐怖。
今も残っている。
強く身体をぶつける守備は得意ではない。
ロングパスも。
専門のDMFほど精度が高いわけではない。
「だから」
八幡は言った。
「やらせません」
中村が苦笑する。
「また極端だな」
「できないことを仙台戦で急に要求しても意味ないです」
小林がボールを奪う。
すぐ近く。
戸塚。
あるいは。
エミリオ。
そこへ預ける。
「取った後は簡単に」
「はい」
「長いボールを蹴らせない」
「展開は?」
「戸塚かエミリオ。ダニエルへ入れてもいい」
「小林は?」
八幡は一拍置いた。
「奪ったら、まず渡す」
中村が笑った。
「役割はっきりしてんな」
「その方がいいです」
できること。
できないこと。
そこを曖昧にしない。
◇
「あと」
マルコが聞く。
「もし小林が読めなかったら?」
「そこですね」
八幡も頷いた。
アンカー。
その後ろには最終ライン。
小林がパスを狙い。
外せば。
中央を通される。
一気に危険になる可能性がある。
「だから、全部取らせようとはしません」
八幡は図を少し書き換える。
縦パス。
小林。
間に合わない。
相手が受ける。
それでも。
そのまま自由にはさせない。
「取れなかった場合は寄せる」
前を向かせない。
トラップをずらす。
ボールを一度横へ逃がさせる。
そこへ。
戸塚。
エミリオ。
「二段目」
マルコが言った。
「はい」
「小林が刈る」
「無理なら、受け手を乱す」
「その次で回収」
「そういうことです」
◇
それも。
9月から何度も練習してきた。
最初の頃。
小林は。
自分が読んだパスをすべて奪おうとしていた。
出る。
届かない。
後ろ。
空く。
何度も繰り返した。
だから。
修正した。
取れるなら取る。
無理なら。
受け手を遅らせる。
その次の選手へ任せる。
そして。
奪ったら預ける。
少しずつ。
中盤で必要な判断を覚えてきた。
八幡はホワイトボードを見ながら言った。
「二か月やってきた意味」
一拍。
「ここで出ると思います」
◇
午後。
トレーニンググラウンド。
戦術練習。
小林は黄色いビブスを着て。
中盤の一番後ろへ入っていた。
アンカー。
もう。
誰も。
その位置に小林が立っていることを不思議には思わない。
9月から。
何度も見てきた光景だからだ。
戸塚が声を飛ばす。
「庄雅さん、少し右お願い!」
「ああ!」
すぐに小林が立ち位置を変える。
エミリオも前を指さした。
「前は俺が切る!」
「分かった!」
互いに声を掛ける。
位置を修正する。
相手チーム。
後方でボールを回す。
千葉の守備が。
少しずつ。
パスコースを限定していく。
◇
縦。
出た。
小林。
一歩。
前。
パシッ。
完全に読み切った。
インターセプト。
すぐに。
エミリオへ。
「ナイス!」
小林は余計なことをしない。
渡す。
そして。
次の位置へ。
次。
違う場所。
相手がまた中央へパスを通す。
今度は。
小林の一歩が届かない。
ボールは受け手へ入った。
だが。
小林は無理に奪いに行かない。
前を向こうとした相手のコースを塞ぐ。
一度止まる。
その瞬間。
横から戸塚。
奪った。
「よし!」
グラウンドの外。
八幡は黙ってその一連の動きを見ていた。
◇
「前より」
隣に立った中村が言う。
「かなりマシだな」
八幡が横を見る。
「マシって褒めてます?」
「かなり褒めてる」
「ならいいです」
再開。
仙台のビルドアップを想定する。
後方。
横へ。
もう一度中央。
そして。
出したくなる場所だけが残っていく。
相手が見る。
中央。
空いている。
ように見える。
パス。
小林。
動く。
カット。
そして。
奪った瞬間。
前。
ダニエル。
小林はすぐに預けた。
守備から。
攻撃。
一気に反転する。
「そこだ!」
マルコの声が響いた。
◇
パスを奪う。
それだけではない。
仙台が。
自分たちの攻撃が前進したと思った瞬間。
ボールを失う。
当然。
仙台の選手たちは前へ動き始めている。
守備陣形は。
まだ完成していない。
八幡は目を細める。
「奪った後」
マルコも頷く。
「ここが一番大きいな」
「はい」
仙台が。
縦パスを通した。
そう思った瞬間。
逆に。
千葉の攻撃が始まる。
ただ守るためのインターセプトではない。
相手の攻撃開始を。
そのまま。
自分たちの攻撃開始へ変える。
◇
第16節。
鈴木。
その存在を利用した。
ボールが収まらなくても。
ロストしても。
そこからまた攻撃を始めた。
今回は。
鈴木はいない。
だから。
違う選手。
違う能力を使う。
◇
小林庄雅。
28歳。
かつて。
エストレヤ千葉のエースストライカーだった男。
高校選手権。
得点王。
鋭い左足。
ゴール前の嗅覚。
それを武器に。
点を取り続けてきた。
23歳から。
長い間。
苦しんだ。
かつて当たり前にできていたプレーが。
できなくなった。
それでも。
ストライカーとして積み上げた全てが。
消えていたわけではない。
危険な場所を知っている。
相手がどこへパスを欲しがるのか分かる。
ボールが出る前に。
その場所を感じ取れる。
◇
紅白戦で。
偶然見つかった。
DMFとしての可能性。
そして。
そこで終わらなかった。
9月から。
二か月以上。
戸塚と。
エミリオと。
笹森と。
何度も中盤で組んできた。
失敗した。
抜かれた。
パスを取りに出すぎた。
逆に。
奪った。
危険を消した。
攻撃の起点にもなった。
少しずつ。
中盤の選手になっていった。
まだ。
専門のボランチではない。
弱点もある。
完成には程遠い。
それでも。
一つ。
他の選手にはないかもしれない武器を持っている。
**パスを読む。**
**危険を察知する。**
そして**先に立つ。**
◇
第33節仙台アステルFC。
前回とは違う仙台。
ならば千葉も同じ戦い方はしない。
仙台が改善した後方からのパスワーク。
今度はその武器そのものを利用する。
縦パスを消さない。
むしろ出したくなるように仕向ける。
そこへボールを通させる。
そして中盤の底で待っている。
背番号25小林庄雅。
比企谷八幡が仙台戦へ用意した一手。
それは試合直前に突然生まれた奇策ではない。
9月から何度も試し何度も失敗し。
少しずつ育ててきた。
小林庄雅のDMFとしての適性。
その中でも最も異質な武器。
**パスカット。**
それを今度は。
チーム全体の戦術へ組み込む。
**アンカー・小林庄雅。**
仙台が狙う縦パス。
その先へ誰よりも先に立ち。
狙って刈り取る。