第391話 仙台というチーム
第391話 仙台というチーム
ダニー・フォーレン。
背番号33。26歳。スペイン人。元スペイン代表。
今夏、仙台アステルFCへ加入した攻撃的ミッドフィールダーである。
たった一人の加入。
だが、その一人によって、仙台は前半戦とは明確に違うチームへ変貌していた。
前半戦までの基本布陣は4-4-2。
しかし現在、仙台が主に採用しているのは4-2-3-1だった。
二人のボランチの前に明確なトップ下を置き、その位置へフォーレンを配置する。
そして右サイドには、背番号10。
安西清勝。
30歳。
仙台一筋でプレーを続けてきたバンディエラであり、現在のキャプテンでもある。
突出したスピードがあるわけではない。
派手なドリブルで何人も抜き去る選手でもない。
だが、高いキープ力と豊富な運動量を持ち、右サイドで簡単にはボールを失わない。
安西がボールを持てば、その数秒の間に周囲の選手たちが前へ出る時間が生まれる。
そして中央にはフォーレン。
彼は相手選手と選手の間に、わずかに開いた隙間を見つける。
普通なら閉じていると判断するような狭いゲートへ、迷うことなく鋭い縦パスを通してくる。
安西が時間を作り。
フォーレンが、その時間を使って一気に局面を進める。
今の仙台は、もう第16節で戦った仙台ではなかった。
◇
「一度、整理しよう」
マルコ・ベッルーニがそう口にすると、会議室に集まったスタッフたちの視線が正面へ向いた。
八幡は手にしていたリモコンを机へ置き、ホワイトボードの前へ移動する。
そこには、夏以降の仙台が採用している4-2-3-1が描かれていた。
トップ下にはフォーレン。
右には安西。
「まず」
八幡は全員を見回した。
「前回の仙台と、今回の仙台を同じだと思わないことです」
ヘッドコーチの中村が頷く。
「第16節、7対0」
口にしてから、少し考える。
「そこは忘れた方がいい?」
「結果は覚えていていいです」
八幡は答えた。
「ただ、参考にしすぎるのは危ないです」
◇
第16節。
エストレヤ千葉、7。
仙台アステルFC、0。
文字通りの圧勝だった。
当時の千葉には、まだ鈴木がいた。
前線の鈴木へ縦パスを入れる。
収まれば、そのまま攻撃を続ける。
たとえ収まらなくても、こぼれ球を戸塚やエミリオが拾い、二次攻撃へ繋げることができた。
鈴木を止めようと仙台が中央へ人数を寄せれば、その外側を使う。
森川。
川崎。
あるいは、中央から相手を引きつけたことで生まれた空間へダニエルが入り込む。
一つを塞げば、その次。
そこを塞げば、さらに別の場所。
あの日の千葉は、仙台の守備を九十分間にわたって振り回し続けた。
だが当然、その敗戦以降、仙台も何もしていなかったわけではない。
「まず、守備です」
八幡がホワイトボードへ書き込む。
「簡単に人へ食いつかなくなりました」
センターバックが前線の選手を追いかけすぎない。
中盤へ下がっていく相手については、ボランチへ受け渡す。
最終ラインは不用意に動かさず、それぞれのゾーンを維持する。
「前回は鈴木へ寄りすぎて、その周りを空けた。そこはかなり修正しています」
山本が腕を組んだ。
「だから今は崩れにくい」
「はい」
八幡は頷いた。
◇
現在の仙台の成績。
15勝11分6敗。
勝ち点56。
順位は4位。
引き分けは11。
決して少ない数字ではない。
見方によっては、勝ち切れなかった試合が多いとも言える。
しかし逆から考えれば、それだけ簡単には負けていないということでもある。
GKコーチの田島が資料へ目を落とした。
「11分けって、やっぱり特徴出てるな」
「そうですね」
八幡も同意する。
「一回試合が落ち着くと、仙台のペースに持っていかれやすいです」
「焦らない?」
「はい」
前へ進めなければ、横。
そこも無理なら後ろ。
一度センターバックまで戻して、もう一度組み立て直す。
無理に縦へ急がない。
相手の守備が動くまで待つ。
相手が焦れて一人出てきたところで、その空いた場所を使う。
仙台が大崩れしにくくなった理由は、守備だけではない。
ボールを持った時にも、自分たちから試合を壊さなくなった。
◇
ボールを奪った後の考え方も、前回対戦とは違っていた。
以前であれば、奪った瞬間にできるだけ早く前へボールを送る。
多少難しい状況でも、まず前線を見る。
そんな場面が多かった。
現在は違う。
センターバック。
サイドバック。
ボランチ。
後方から短いパスを繋ぎ、相手を動かす。
そのうえで中央へ差し込んでくる。
「そこにフォーレン」
中村が言った。
「はい」
八幡は頷き、続ける。
「それと、安西です」
◇
右サイド。
安西清勝。
仙台が攻撃に詰まった時、まず預けられる選手だった。
ボールを持たせても簡単には奪われない。
背負った状態でも。
一人に寄せられても。
二人に囲まれても。
すぐには失わない。
安西がそこで数秒を作れば、味方が押し上がる。
そして安西自身も止まらない。
上がる。
戻る。
もう一度、前へ出る。
「仙台が詰まった時」
八幡は安西の位置を指した。
「右の安西へ逃がす」
「安西が持つ」
中村が続ける。
「その間に周りが動く」
マルコが口を開いた。
「そして中央」
「フォーレンです」
八幡が答えた。
◇
ダニー・フォーレンに、広大なスペースは必要ない。
むしろ狭い場所ほど怖い。
相手選手が二人並んでいる。
その間。
普通の選手なら、パスコースは閉じていると判断する。
だがフォーレンには、そこに一本の線が見えている。
右足から放たれる速いグラウンダー。
わずかな隙間を通過し、その先にいる味方の足元へ届く。
「普通なら出さないところでも、出してきます」
八幡が言う。
「リスクはある」
中村が映像を見ながら呟いた。
「でも通ったら、一気に前を向ける」
「そういうことです」
安西が時間を作る。
フォーレンが、その時間を一瞬で削る。
安西は持つ。
フォーレンは通す。
まったく違う特徴を持っているからこそ、二人は噛み合っていた。
「仙台の攻撃は」
八幡はホワイトボードに書かれた二人の名前を順番に指した。
「この二人がかなり大きいです」
◇
「弱点も整理しよう」
マルコが言った。
「まず安西」
八幡は名前の横へ文字を書き込む。
――守備。
「サボるわけじゃありません。運動量もあるし、ちゃんと戻ってきます」
「でも?」
「守備判断です。対人での距離感。味方との受け渡し。その辺りは上手くないです」
攻撃時に安西が高い位置まで出れば、当然その背後にはスペースが生まれる。
しかも、戻ったとしても、そこで正しいポジションを取れるとは限らない。
「ここは使えます」
八幡が言った。
◇
次はフォーレン。
八幡はその名前の横へ、さらに分かりやすく書いた。
――守備をしない。
中村が思わず苦笑する。
「こっちはもっと分かりやすいな」
「はい」
「苦手じゃなくて?」
「しないです」
「ほぼ?」
「そうです」
ボールを失っても切り替えが遅い。
自分から強く寄せることも少ない。
深く追いかけない。
自陣へ戻る速度も速くない。
そのため、守備へ切り替わった瞬間、フォーレンの周囲は一人分薄くなる。
山本が言った。
「中央、使えるな」
「使えます」
八幡は即答した。
◇
ただ。
そこでフォーレンという選手を軽く見てはいけない。
仙台は、フォーレンが守備をしないことなど当然理解している。
理解したうえで。
それでも先発で使っている。
理由は一つ。
攻撃で、その欠点を上回るだけの価値を出せるからだ。
「そこ、勘違いしないでください」
八幡の声に、全員が視線を向けた。
「守備しないから簡単な選手じゃないです」
一拍置く。
「むしろ、守備を捨ててでも使われている」
「それだけ攻撃で怖い」
マルコが静かに頷いた。
◇
「では」
監督がホワイトボードを見る。
「千葉側」
八幡は中央。
アンカーの位置へ一人の名前を書いた。
――小林庄雅。
「仙台は中央への縦パスを使う」
ボード上の矢印をなぞる。
「フォーレンも、選手の間にあるゲートを狙う」
そして、その矢印の先。
「そこに小林さんです」
◇
千葉は仙台のパスコースを、最初から全て消すつもりはなかった。
戸塚。
エミリオ。
周囲の選手たちで、選択肢を少しずつ削っていく。
右を消す。
外を消す。
戻すコースを制限する。
しかし。
一つだけ。
通せそうな場所を残す。
仙台から見れば、そこなら行けると思える場所。
フォーレンなら、通せると思う場所。
だが。
そこには小林がいる。
読む。
待つ。
そして、パスが出た瞬間。
一歩前へ出る。
「取れるなら取る」
八幡が言った。
「取れなければ?」
中村が聞く。
「前を向かせない」
「その次は?」
「戸塚かエミリオ」
「はい」
小林が第一段階。
その次に戸塚とエミリオがいる。
一人で全てを解決する必要はない。
◇
中村が腕を組んだ。
「仙台の長所を、逆に使うのか」
「はい」
「繋げると思わせる」
「そこを狙う」
「そうです」
仙台がシーズン後半に身につけた、後方からのビルドアップ。
そして中央への縦パス。
それを最初から消してしまうのではない。
あえて使わせる。
出させる。
そして。
奪う。
◇
「攻撃は?」
田島が尋ねた。
八幡は迷うことなく答えた。
「フォーレンです」
「そこ?」
「守備しないなら、その周りを使います」
ダニエル。
戸塚。
エミリオ。
状況によってはサイドの選手も中央へ入る。
別に、フォーレン本人を一対一で抜く必要はない。
フォーレンの周囲へ人数を入れればいい。
本人が守備についてこないなら、それだけで自然と数的優位が生まれる。
「本人を抜く必要はない」
田島が確認する。
「はい」
「守らないなら」
八幡はフォーレンの名前を指した。
「その場所を使えばいいです」
◇
「安西側は?」
「背後です」
仙台の右。
安西が前へ出る。
さらに右サイドバックも上がる。
そこでボールを失えば、安西も戻ってくる。
だが、守備判断に遅れが出る。
ならば。
奪った瞬間。
千葉から見た左サイドへ、一気にボールを運ぶ。
森川。
あるいは左サイドバック。
スペースができた瞬間を逃さない。
「つまり」
中村が整理するように口を開いた。
全員が彼を見る。
「守備では、安西とフォーレンに好きにやらせない」
「はい」
「攻撃では、二人の守備の弱さを使う」
「はい」
「単純だな」
八幡は少しだけ笑った。
「言葉にすれば、そうですね」
そして、すぐに表情を戻す。
「実際にやるのが難しいだけで」
◇
マルコは、しばらく何も言わずホワイトボードを見つめていた。
やがて口を開く。
「もう一つ」
全員が監督を見る。
「大事なことがある」
少し間を置いてから。
「前回、7対0」
誰も何も言わなかった。
「選手にも、そこを絶対に意識させるな」
八幡もすぐに頷く。
「ですね」
「前回勝った」
マルコは続ける。
「だから今回も勝てる」
そう言って、静かに首を横へ振った。
「そんな試合ではない」
◇
むしろ仙台からすれば、前回の対戦は今シーズン最大の屈辱だった。
0対7。
忘れられるはずがない。
キャプテンの安西も、そのピッチに立っていた。
そして次は、ホームでの再戦。
相手は北海道フェニックスFCと優勝を争っている千葉。
その千葉を止める。
前回の借りを返す。
仙台にとって、これ以上ない機会だった。
「向こう」
中村が呟く。
「相当来るだろうな」
「来ますよ」
八幡は迷わなかった。
「絶対」
◇
さらに。
前回には存在しなかった男がいる。
ダニー・フォーレン。
夏加入。
仙台の中央に生まれた新たな攻撃軸。
右に安西。
中央にフォーレン。
第16節では存在しなかった組み合わせだ。
だからこそ、八幡は言う。
「第16節の映像は答えじゃないです」
全員へ言い聞かせるように続ける。
「参考資料。それくらいです」
◇
マルコが最後にホワイトボードの前へ立った。
中央へ大きく書く。
――仙台アステルFC。
その下へ、順番に特徴をまとめていく。
守備――ゾーン維持。簡単に食いつかない。
攻撃――後方から繋ぎ、中央への縦パス。
右――安西清勝。
中央――ダニー・フォーレン。
そして少し離れたところへ。
――千葉の狙い、小林庄雅。
書き終えると、マルコはスタッフたちを振り返った。
「これが」
一度、仙台の名前を見る。
「今回の仙台だ」
◇
もう誰も。
7対0という数字だけを見てはいなかった。
今、見るべき相手。
現在4位。
勝ち点56。
15勝11分6敗。
簡単には負けない。
守備は整理された。
夏には攻撃も進化した。
右。
背番号10。
安西清勝。
クラブ一筋のキャプテン。
高いキープ力。
豊富な運動量。
中央。
背番号33。
ダニー・フォーレン。
26歳。
スペイン人。
元スペイン代表。
狭いゲートさえ射抜いてくる、高精度の縦パス。
◇
もちろん、弱点もある。
安西は守備を得意としていない。
フォーレンは、そもそも守備をほとんどしない。
そして仙台が後方から丁寧に繋ぐようになったことで、中央へ差し込むパスの本数も増えた。
その一本を。
千葉は待つ。
中盤の底。
背番号25。
小林庄雅。
◇
「前回」
中村が言った。
「7点取った」
あの日の試合を思い出したのか、少しだけ笑う。
「今回は、どうなるかな」
八幡はそこでようやく資料を閉じた。
「分かりません」
それが正直な答えだった。
だが、少しだけ間を置いて続ける。
「でも」
壁際のモニターへ目を向ける。
「同じ試合にはならないでしょうね」
◇
第33節。
エストレヤ千葉。
対。
仙台アステルFC。
前回。
7対0。
だが、それはもう過去だった。
仙台は変わった。
千葉も変わった。
鈴木はもういない。
フォーレンは今、仙台にいる。
そして。
小林庄雅。
次に立つ場所は、FWではない。
中盤の底。
◇
リーグ戦。
残り2試合。
北海道フェニックスFC。
勝ち点69。
エストレヤ千葉。
勝ち点69。
一つでも落とせば、優勝争いは一気に動く。
前回の7対0という結果に、安心する余裕などどこにもない。
エストレヤ千葉首脳陣による仙台分析は、これで終了。
相手の変化は把握した。
長所も弱点もそして、狙うべき場所も。
次はいよいよ第33節へ向けた実戦準備が始まる。