第392話 仙台から見た千葉
第392話 仙台から見た千葉
エストレヤ千葉の首脳陣が仙台アステルFCの分析を進めていた、その頃。
当然ながら。
仙台もまた、次節の相手を見ていた。
◇
仙台アステルFC。
クラブハウス。
分析室。
照明を落とした室内の正面には、大型モニターが設置されている。
そこに映し出されているのは、仙台の紺、金、白のユニフォームではない。
青紫と黒。
次節の対戦相手。
エストレヤ千葉だった。
そして画面の左上には、現在の順位が表示されている。
**2位 エストレヤ千葉 勝ち点69。**
首位、北海道フェニックスFCと勝ち点は同じ。
得失点差によって二位。
リーグ戦は残り二試合。
まさに優勝争いの真っただ中だった。
だが。
仙台にとっても、この第33節はただの一試合ではない。
「……千葉か」
腕を組んだまま、安西清勝が低く呟いた。
背番号10。
30歳。
仙台一筋で戦い続けてきたキャプテン。
その視線は、大型モニターから離れない。
忘れられるはずがなかった。
◇
第16節。
エストレヤ千葉、7。
仙台アステルFC、0。
今シーズン。
仙台が喫した最大の敗戦だった。
大型モニターに、その試合の映像が流れ始める。
右サイド。
そこに安西がいる。
対面する千葉の左には森川佑。
その後方から高山俊樹。
そして中央からは、ダニエル・ロドリゲス。
あの日。
安西は何度も走らされた。
森川へ寄れば、中央へ入るダニエルが空く。
ダニエルを警戒して内側へ絞れば、再び森川へ展開される。
さらに。
当時の千葉には、最前線に鈴木がいた。
仙台のセンターバックとボランチは、その鈴木へ強く意識を向けていた。
前線で収められる。
身体を張られる。
こぼれ球まで含めて、攻撃を成立させられる。
だから止めなければならない。
そう思えば思うほど。
別の場所が空いた。
そして、ようやくボールを奪ったと思っても。
その次。
戸塚。
あるいはエミリオ。
セカンドボールを拾われる。
また千葉の攻撃が始まる。
終わらない。
あの日の九十分間。
仙台は千葉に動かされ続けた。
安西は映像を見ながら、小さく息を吐く。
「……何度見ても嫌になるな」
誰も笑わなかった。
◇
仙台の監督がリモコンを操作し、映像を止める。
「だが」
その一言で、全員の視線が正面へ向いた。
「今日、この映像を見せたのは、七失点を思い出させるためではない」
安西も監督を見る。
「前回と同じことをすれば、また負ける」
短い言葉だった。
だが。
そこに異論を挟む者はいない。
あの試合を境に、仙台自身も変わった。
当時の基本布陣は4-4-2。
守備では相手へ強く出る。
センターバックであっても、前線の選手が中盤へ降りれば積極的についていった。
だが。
千葉はそこを使った。
センターバックが食いついた背後。
ボランチが引き出された後の中央。
空いた場所を、徹底的に利用された。
だから夏以降。
仙台は守備を整理した。
不用意に追わない。
センターバックは最終ラインを保つ。
中盤へ降りた選手は、ボランチへ受け渡す。
人についていくのではなく。
ゾーンを守る。
組織を崩さない。
そして。
夏。
ダニー・フォーレンが加入した。
布陣も4-2-3-1へ変更。
中央に明確な攻撃の起点を置く、現在の仙台が出来上がった。
0対7。
忘れたい敗戦。
だが。
同時に。
今の仙台を作るきっかけになった試合でもあった。
◇
「問題は」
監督が再びリモコンへ手を伸ばす。
「千葉も、あの頃とは違うということだ」
画面が切り替わった。
最近のエストレヤ千葉。
第32節。
山形ブリッツFC戦。
表示されたスコアは。
**4-2。**
続いて。
第31節。
岡山セルフィオFC。
**3-1。**
第30節。
駿河ユナイテッドFC。
**1-0。**
さらに。
秋田。
伊勢。
富山。
直近の試合が次々と並んでいく。
「六連勝」
安西が呟いた。
「そうだ」
監督が答える。
現在。
エストレヤ千葉は六連勝中。
開幕五試合。
二分三敗。
勝ち点2。
単独最下位。
そこから這い上がり。
今。
勝ち点69。
首位と同勝ち点。
リーグ優勝を争っている。
安西は画面を眺めながら言った。
「前半戦で当たった時も強かった」
少しだけ間を置く。
「でも、今の方が完成してる」
「その通りだ」
監督も即座に同意した。
◇
まず。
前線。
あの頃とは違う。
「鈴木はいない」
監督が言った。
すでにドイツへ渡った。
第16節。
仙台が過剰なほど警戒した男。
当時の千葉にとって、攻撃の基準点だった選手。
その姿はもう、日本にはない。
だが。
鈴木が抜けたからといって、千葉の攻撃力が大きく落ちたわけではなかった。
映像が切り替わる。
中央。
背番号9。
マティアス・ベニテス。
23歳。
「現在のセンターフォワード」
そこで初めて、フォーレンが口を開いた。
スペイン語の訛りがわずかに残る日本語。
「鈴木とは、タイプが違う」
「そうだ」
監督が頷く。
鈴木のように、ロストまで含めて前線で攻撃を成立させる基準点ではない。
ベニテスは、もっと直接的にゴールへ向かう。
中央で身体を張る。
クロスが上がればゴール前へ入る。
背後にスペースがあれば走る。
そして。
一度ゴール前へ入れば、簡単にはそこから離れない。
「前回のような、鈴木を止めるための守備をそのまま使っても意味がない」
仙台の守備陣が頷いた。
◇
次。
背番号14。
ダニエル・ロドリゲス。
名前が表示された瞬間。
安西が隣へ視線を向けた。
そこに座っているのは。
ダニー・フォーレン。
フォーレンもまた、黙ったままモニターを見ていた。
「知っているな」
監督が尋ねる。
「もちろん」
返答は短い。
「スペインで同じクラブだった」
モニターの中で。
ダニエルが中央でボールを受ける。
相手が一人寄せる。
身体を入れ替える。
前へ。
二人目。
右へ出すように見せ。
内側。
そして。
そのままシュート。
フォーレンは表情を変えず、その一連のプレーを見ていた。
「今の千葉では、中央だ」
監督が言う。
「昔より自由にやってる」
フォーレンが答えた。
「スペインにいた時より?」
安西が尋ねる。
「ああ」
フォーレンは画面から目を離さない。
「向こうでは右が多かった」
そして。
「今は真ん中で、自分で決めて動いてる」
◇
かつて。
同じクラブでプレーしていた二人。
中央にはフォーレン。
右にはダニエル。
それが今。
ダニエルは千葉のOMF。
フォーレンは仙台のOMF。
二人とも。
現在所属するクラブで、中央の攻撃を担っている。
そして次の試合。
別々のユニフォームで向かい合う。
「昔のチームメイトか」
安西が少しだけ笑う。
フォーレンは軽く肩をすくめた。
「試合では関係ない」
「その通りだ」
監督が小さく頷いた。
◇
映像が変わる。
次は千葉の中盤。
戸塚彩加。
エミリオ・アルバレス。
「ここも重要だ」
ダブルボランチ。
戸塚。
エミリオ。
第16節。
仙台を苦しめた大きな理由の一つだった。
鈴木へ入る。
仙台が競る。
弾く。
奪った。
そう思った瞬間。
そのこぼれ球へ戸塚が入る。
あるいはエミリオ。
そこで千葉の攻撃が終わらない。
「この二人」
仙台のコーチが説明する。
「今は前回より役割分担が整理されてる」
戸塚。
周囲を見る。
相手の動きを読む。
バランスを取る。
危険な場所を先に察知する。
一方。
エミリオ。
縦。
前進。
守備でも、必要ならば激しく前へ出る。
二人は同じ仕事をしているわけではない。
だからこそ。
中央が簡単には崩れない。
「前回も面倒だったけどな」
安西が腕を組んだまま言った。
「今回はもっと面倒だ」
監督は即答した。
◇
右。
川崎大志。
左。
森川佑。
画面へ森川が映った瞬間。
安西の表情がわずかに変わった。
前回。
何度も何度も。
自分の前でボールを受けた男。
「またこいつか」
小さく漏らした言葉に、隣の選手が笑う。
「嫌そうですね、キャプテン」
「当たり前だ」
安西はモニターを指した。
「前回、何回こいつのところまで戻らされたと思ってる」
今度は、室内にも小さな笑いが起きた。
だが。
安西自身はすぐに表情を戻す。
「でも」
映像の森川を見る。
「前より厄介かもしれない」
「なぜ?」
監督が尋ねた。
「無理に全部、自分で行かなくなってる」
◇
最近の試合。
左。
森川。
ボールを持つ。
以前なら、そのまま縦へ仕掛けてもおかしくない場面。
だが。
一度後ろへ戻す。
もう一度受ける。
今度は中央。
ダニエル。
そこから戸塚。
そして。
逆サイド。
川崎。
仙台の監督が頷いた。
「そうだ」
前回。
森川。
ダニエル。
周囲の選手。
仙台の右サイドを集中的に揺さぶった。
今は違う。
そこに固執しない。
右が空けば右。
中央なら中央。
無理なら一度後ろ。
そして。
もう一度やり直す。
「千葉も急がなくなった」
安西が言った。
「はい」
コーチが答える。
「前より、試合をコントロールする時間が増えてます」
◇
続いて。
最終ライン。
右サイドバック。
毛利良一。
左。
葉山隼人。
中央。
坂本湊。
橋本翔。
若い選手もいる。
ベテランもいる。
さらに控えには。
宇津木。
長谷川。
鬼塚。
複数の選択肢がある。
「前回と違うのは」
監督が言う。
「選手層もだ」
夏。
千葉は大きく動いた。
ダニエル。
ベニテス。
坂本。
塩川。
笹森。
古賀。
シーズン途中に戦える人数を増やした。
そして。
その補強組が今。
実際にチームの戦力として機能している。
それは。
フォーレンを加えた仙台も同じだった。
◇
しばらく映像を見ていたフォーレンが、不意に口を開く。
「千葉は」
全員が彼を見る。
「一人を中心にしているチーム?」
監督はすぐに首を横へ振った。
「そこが一番厄介だ」
鈴木がいた頃も。
決して鈴木だけのチームではなかった。
そして現在は。
なおさら。
ダニエル。
森川。
川崎。
ベニテス。
戸塚。
エミリオ。
誰か一人を完全に消せば攻撃が止まる。
そういうチームではない。
第16節。
仙台が犯した最大の失敗。
鈴木を止める。
そのために、一人。
また一人。
中央へ寄った。
そして。
周囲が空いた。
結果。
七失点。
「一人に集中するな」
監督の声が少し強くなる。
「ダニエルが怖いから二人で行く」
「森川が怖いから三人寄る」
「それをやれば」
安西が続けた。
「前回と同じ」
「そうだ」
◇
しばらく。
誰も話さなかった。
画面には再び、第16節の映像が流れている。
鈴木の周囲へ集まる仙台の選手たち。
その外側。
完全に空いた千葉の選手。
パス。
展開。
そして。
ゴール。
監督がそこで映像を止めた。
「これを忘れるな」
忘れてはいけないのは。
七失点という数字ではない。
七失点へ至った。
理由。
だった。
◇
「じゃあ」
安西が口を開く。
「今回はどう守る?」
監督はホワイトボードへ向かった。
仙台。
4-2-3-1。
「まず」
最終ラインを指す。
「センターバックは簡単に出ない」
「はい」
「ベニテスが下がってきても?」
一人のセンターバックが答える。
「ボランチへ受け渡す」
「そうだ」
次。
中盤。
「中央を空けない」
そして。
ダニエル。
「ダニエルへ入ったら?」
ボランチの一人が寄せる。
もう一人はその後ろ。
カバー。
「二人ともボールへ行って、そこで奪い切ろうとするな」
「前を向かせない」
「それでいい」
◇
次に。
右。
安西。
その正面。
森川。
「俺は?」
安西が尋ねる。
監督は即答した。
「前回みたいに、中へ寄りすぎるな」
安西が苦笑する。
「覚えてますよ」
「ならいい」
森川がいる。
中央にはダニエル。
前線にはベニテス。
危険な選手は一人ではない。
だからこそ。
誰か一人を止めるために、自分の場所を捨てない。
チーム全体の形を崩さない。
それが。
現在の仙台が身につけた守り方だった。
◇
「攻撃では」
監督は別の線を描く。
千葉。
4-2-3-1。
「戸塚とエミリオの前で止まるな」
フォーレンがホワイトボードを見る。
「その間を使う」
「そうだ」
中央。
フォーレン。
そして。
右。
安西。
仙台が夏以降。
何度も磨いてきた形。
後方から繋ぐ。
千葉の中盤を一度動かす。
そして。
中央へ差す。
そこからフォーレン。
あるいは安西。
「千葉はボールを奪ってからが速い」
監督が言う。
全員を一度見回してから。
「だから中央で、安い失い方をするな」
◇
その言葉に。
フォーレンがわずかに目を細めた。
彼の持ち味。
狭いゲート。
そこへ通す縦パス。
当然。
リスクはある。
通れば。
一気に前進できる。
だが。
読まれれば。
中央。
最も危険な場所。
そこでボールを失う。
「ダニー」
監督が呼ぶ。
「何?」
「全部通す必要はない」
フォーレンは一瞬黙った。
「分かってる」
「本当に?」
横から安西が口を挟む。
「お前、狭いとこ見ると通したくなるだろ」
「通るから出す」
「そういうところだぞ」
室内に少しだけ笑いが起きる。
フォーレンは不満そうに安西を見るが、言い返さなかった。
◇
だが。
監督はすぐに真剣な表情へ戻った。
「千葉の中盤は読む」
フォーレンも視線を戻す。
「戸塚」
「エミリオ」
それから。
監督は資料へ目を落とす。
「そして他にも、中盤で使える選手はいる」
具体的な先発はまだ分からない。
千葉が仙台戦で、どの十一人を並べるのか。
そこまでは断定できない。
だが。
一つだけ。
間違いなく考えておかなければならないことがあった。
「比企谷がいる」
安西が言った。
何人かが彼を見る。
「前回」
安西は続けた。
「俺たちが何を嫌がるか」
映像の中の千葉を見る。
「全部、先に分かってるみたいだった」
高山を無理に上げない。
森川を動かす。
ダニエルを使う。
エミリオ。
鈴木。
仙台がどこへ動けば。
どこが空くのか。
まるで。
そこまで最初から計算していたかのように。
◇
「今回も」
安西はモニターを見たまま言う。
「何かやってくる」
監督は否定しなかった。
「そう考えるべきだ」
その言葉を聞いて。
フォーレンが首を傾げる。
「比企谷」
「監督?」
「違う」
安西が答えた。
「国際スカウト兼分析官」
「スカウト?」
「そう」
フォーレンは少し不思議そうな表情になる。
「スカウトが、試合の戦術を?」
安西が苦笑する。
「俺も最初はそう思った」
そして。
画面の隅に残る、第16節のスコアを見る。
「七点取られた後は、どうでもよくなったけどな」
◇
仙台にとって。
比企谷八幡は、ピッチへ立つ選手ではない。
ベンチの前で直接指揮を執る監督でもない。
それでも。
前回。
最も嫌な存在の一人だった。
仙台の特徴。
癖。
守備の動き。
誰が出るのか。
誰がついていくのか。
その結果。
どこが空くのか。
そこを。
千葉は徹底的に使ってきた。
だから今回。
仙台が警戒するのは、千葉の選手たちだけではない。
「相手が何か仕掛けてくる前提で入る」
監督が言った。
「予想外のことが起きても」
ホワイトボードを指す。
「形を壊すな」
◇
安西が静かに頷いた。
前回。
できなかったこと。
鈴木へ寄る。
さらに一人。
もう一人。
気づけば。
外。
森川。
中央。
ダニエル。
何度も。
何度も。
走らされた。
今度は。
同じことをしない。
安西はモニターに映る森川を見る。
「今度は」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
「走らされるだけじゃ終わらせねえよ」
◇
監督が最後に。
現在の順位表を大型モニターへ映し出した。
**2位。**
**エストレヤ千葉。**
**勝ち点69。**
**21勝6分5敗。**
**6連勝中。**
一方。
仙台。
**4位。**
**勝ち点56。**
**15勝11分6敗。**
優勝争いには。
もう届かない。
それでも。
消化試合ではない。
現在4位。
上位争い。
そして。
何より。
第16節。
0対7。
「千葉は」
監督が静かに言う。
「優勝するために来る」
誰も目を逸らさない。
「なら」
監督が続けようとしたところで。
安西が先に口を開いた。
「俺たちは、勝つために行く」
監督が頷いた。
◇
前回。
七失点。
だが。
その結果に怯える必要はない。
仙台も。
変わった。
4-4-2から。
4-2-3-1へ。
夏。
フォーレンが加わった。
守備も。
人へ食いつく形から。
ゾーンを守り。
組織を崩さない形へ変えた。
そして。
千葉も変わっている。
鈴木はいない。
その代わり。
ベニテスがいる。
ダニエルは中央。
森川。
川崎。
戸塚。
エミリオ。
六連勝。
勝ち点69。
◇
同じ相手。
同じシーズン。
だが。
同じ試合にはならない。
安西清勝は、もう一度大型モニターを見る。
そこには。
エストレヤ千葉。
そして。
画面の隅には。
あの日の数字。
**7-0。**
安西はその数字を数秒見つめた。
もう。
目を逸らすことはない。
「次は」
静かに。
誰に聞かせるでもなく。
「俺たちが変わったって、見せる番だ」
◇
第33節。
仙台アステルFC。
対。
エストレヤ千葉。
千葉が仙台を分析しているのと同じように。
仙台もまた。
あの日とは違う千葉を。
徹底的に見始めていた。