第394話 全員で仙台へ
第394話 全員で仙台へ
試合二日前。
朝。
エストレヤ千葉トレーニングセンターの駐車場には、一台の大型バスが停まっていた。
行き先は仙台。
第33節。
仙台アステルFCとのアウェーゲームへ向けて、エストレヤ千葉はこの日から現地へ入る。
リーグ戦は残り二試合。
北海道フェニックスFCと勝ち点69で並ぶ中で迎える、今季最後のアウェーゲームだった。
選手たちは大きなバッグやキャリーケースを手に、次々とバスへ乗り込んでいく。
普段の遠征なら。
ここにいるのは、試合へ出場する可能性が高い選手たち。
そしてベンチ入り候補が中心となる。
だが。
今回は違った。
「……本当に全員行くんだな」
誰かが呟いた。
その言葉通りだった。
今回。
千葉に残るトップチームの選手はいない。
現在登録されている。
三十人。
その全員が。
一人残らず仙台へ向かう。
◇
GK。
郷田京。
玉縄幸三。
村上渉。
古賀悠斗。
四人。
DF。
葉山隼人。
長谷川智樹。
宇津木健太。
毛利良一。
高山俊樹。
橋本翔。
鬼塚純一郎。
黒崎隼吾。
坂本湊。
安原翼。
十人。
MF。
戸塚彩加。
エミリオ・アルバレス。
森川佑。
川崎大志。
戸部翔。
ダニエル・ロドリゲス。
佐久間浩二。
中田正和。
笹森正義。
塩川康文。
こちらも十人。
そしてFW。
材木座義輝。
小林庄雅。
栗林宰三。
背番号23の若手。
元原太陽。
マティアス・ベニテス。
六人。
合計。
三十人。
現在のエストレヤ千葉トップチーム。
その全員だった。
◇
全員を連れていく理由は単純だった。
仙台に。
スタメンを読ませないため。
リーグ終盤。
しかも。
優勝争いの最終局面。
誰が遠征へ帯同したのか。
逆に。
誰が千葉へ残ったのか。
それだけでも。
相手にとっては十分な情報になる。
そして。
今回の千葉には。
特に隠しておきたいものがあった。
背番号25。
小林庄雅。
登録上はFW。
だが。
仙台戦で予定されている役割は。
アンカー。
九月から。
二か月以上。
時間をかけて準備してきた新しい役割。
それを。
試合前から仙台へ知らせる必要はない。
全員を連れていく。
誰がメンバー入りするのか。
誰が外れるのか。
誰がどこで使われるのか。
外から見ただけでは。
何一つ判断できないようにする。
◇
「遠足みたいになってきたな」
バスの後方から声が飛んだ。
「三十人全員だからな」
「修学旅行だろ、これ」
「お前ら若手は後ろ行けよ」
「なんでですか」
「うるさいから」
「佐久間さんも結構うるさいじゃないですか」
「俺は37歳だぞ」
「年齢関係ないでしょう」
「ある」
「ないですよ」
朝から。
選手たちは普段より明らかに騒がしかった。
若手。
中堅。
ベテラン。
全員がいる。
しかも。
今回は首脳陣が選手バスへ乗らない。
監督もいない。
ヘッドコーチもいない。
分析官もいない。
普段なら。
何となく選手たちの声量を抑える人間が。
このバスには乗っていなかった。
その事実に気づいた何人かが。
少しだけ開放的な表情を浮かべていた。
だが。
バスへ乗り込んだ直後。
その空気は微妙に変わった。
◇
選手三十人だけを乗せれば。
間違いなく騒ぐ。
クラブ側も。
それくらいは分かっている。
だから。
選手バスには広報部から三名が同乗することになっていた。
そして。
その三人の中には。
今の選手たちが最も雑な行動を見られたくない人物がいた。
バス前方。
窓側の席。
すでに資料へ目を落としている女性。
天童くれは。
39歳。
エストレヤ千葉広報部長。
つい先日。
全選手。
全スタッフ。
その全員を集め。
『自分の身は自分で守る』
という題目で研修を行ったばかりの人物だった。
女性関係。
SNS。
金銭。
投資。
飲酒。
賭け。
知人からの紹介。
写真。
動画。
秘密保持。
メディア対応。
およそ一時間。
プロサッカー選手が巻き込まれる可能性のある危険について。
徹底的に話した。
その本人が。
一番前にいる。
「……天童さんいるじゃん」
「そりゃ広報だからな」
「広報三人って聞いてたけど、部長まで来ると思わなかった」
「今日、変な話できねえな」
「普段何話してんだよ」
「普通の話だよ」
「じゃあ問題ないだろ」
「でも何か緊張するんだよ」
全員。
かなり小声だった。
◇
「おい」
若手の一人が隣へ顔を寄せる。
「変な話するなよ」
「しねえって」
「SNSとかDMの話もやめとけ」
「なんで俺が何かやってる前提なんだよ」
「前にDM来たって話してただろ」
「声でけえって」
「聞こえてるよ」
前方から。
くれはの声が飛んだ。
「……」
数列分。
一瞬で静かになる。
くれはは資料から顔を上げると。
ゆっくりと後ろを振り返った。
「別に、仙台まで全員黙ってろなんて言わないから」
「はい」
「普通に話してていいよ」
「はい」
「ゲームしてても、寝ててもいい」
「はい」
そこで。
少しだけ表情が引き締まる。
「ただし、車内の写真を勝手にSNSへ載せない」
「はい」
「今どこにいるか分かる投稿もしない」
「はい」
「誰が帯同しているか分かる写真も外へ出さない」
「はい」
そして。
全員を見る。
「今回は特に、遠征メンバーから情報を読ませないために全員連れてきてる。分かった?」
「はい!」
三十人の返事が。
妙に綺麗に揃った。
くれはは満足したように頷き。
再び前を向く。
その数秒後。
後方から。
極めて小さな声。
「やっぱ怖え……」
「聞こえてるよ」
「すみません!」
一気に。
車内へ笑いが広がった。
◇
その様子を。
小林庄雅は少し後方の席から眺めていた。
自分を含め。
三十人。
全員。
だから。
外から見れば。
今日の小林も。
ただの帯同選手の一人でしかない。
背番号25。
FW。
それ以上の情報は。
何も見えない。
だが。
本人だけは知っている。
二日後。
自分が立つ場所は。
前線ではない。
中盤の底。
アンカー。
昨日。
家へ帰り。
妻の天音と。
八歳になった娘。
五歳になった息子へ。
自分から。
試合へ来てほしいと伝えた。
家族も。
仙台へ来る。
そのことを思い出すと。
小林は少しだけ。
窓の外へ視線を向けた。
◇
やがて。
広報スタッフによる人数確認が始まった。
一人ずつ。
名前を確認していく。
三十人。
全員。
問題なし。
荷物も全て積み込まれている。
最後に広報スタッフ三人も乗車し。
バスの扉が閉じた。
エンジン音が少し大きくなる。
『それでは出発します』
運転手の声。
大型バスは。
ゆっくりと。
エストレヤ千葉トレーニングセンターを離れていった。
目的地。
仙台。
◇
ほぼ同じ頃。
選手バスとは別に。
もう一台。
駐車場を出た車があった。
大型バスではない。
10人乗りのハイエースワゴン。
クラブカラーも。
エンブレムもない。
一見しただけでは。
エストレヤ千葉の関係車両とは分からない。
窓には濃いスモーク。
外から車内の様子を確認することも難しい。
首脳陣と主要スタッフが。
目立たずに仙台へ向かうために用意された車両だった。
乗員は。
ちょうど十名。
◇
運転を担当するのは二名。
長距離移動となるため。
途中で交代しながら仙台を目指す。
そして。
残る八人。
監督。
マルコ・ベッルーニ。
ヘッドコーチ。
中村敏三郎。
GKコーチ。
田島雍也。
フィジカルコーチ。
ルイス・マルティネス。
国際スカウト兼分析官。
比企谷八幡。
セットプレーコーチ。
山本恭三郎。
チームドクター。
鳥山右京。
アスレティックトレーナー。
本庄麻衣。
運転手二名。
スタッフ八名。
合計十名。
10人乗りのハイエースは。
文字通り満席だった。
◇
「……狭いな」
出発して間もなく。
中村が呟いた。
八幡は隣から冷たい視線を向ける。
「十人乗ってるんだから当たり前でしょう」
「選手は大型バスだろ?」
「そうですね」
「広いんだろうな」
「じゃあ選手バスに乗ればよかったじゃないですか」
「いや……」
中村が少し考える。
「向こう、くれはさんいるだろ」
「なんで避けてるんですか」
「避けてねえよ」
前方から。
マルコが振り返った。
「出発してまだ五分だ」
中村が止まる。
「はい」
「もううるさい」
「すみません」
素直に黙った。
田島が笑う。
「結局こっちはマルコがいるから静かになるな」
八幡は淡々と言った。
「選手側よりマシでしょう」
「何が?」
「天童さんがいない」
山本が頷く。
「それは確かに」
◇
本庄麻衣が少し呆れた顔をする。
「みんな天童さん怖がりすぎじゃないですか?」
「怖がってないです」
八幡が即答した。
「怒らせない方がいいと思ってるだけです」
「それを怖がってるって言うんじゃない?」
鳥山が笑った。
「まあ、研修した直後だからな。選手も意識するだろ」
田島も頷く。
「選手だけで三十人乗せたら、途中で写真だ動画だ始めるやつは出るだろうしな」
「だから広報を三人つけた」
山本が言う。
「監視役」
「管理です」
本庄がすぐに訂正した。
「言い方が悪いです」
「失礼しました」
車内に。
小さな笑いが起こった。
◇
その中で。
八幡はすでにタブレットを開いていた。
画面には。
仙台アステルFC。
右。
安西清勝。
中央。
ダニー・フォーレン。
さらに。
最近のセットプレー。
後方からのビルドアップ。
中央への縦パス。
場面ごとに細かく分類された映像が並んでいる。
仙台戦まで。
あと二日。
今日は。
あくまで移動が中心。
現地到着後に行うのも。
長時間の移動で固まった身体をほぐす程度の軽いコンディショニング。
本格的な最終確認は。
明日。
それでも。
移動時間だからといって。
完全に何もしない理由はない。
中村が横からタブレットを覗き込む。
「また仙台見てんの?」
「暇なんで」
「寝ろよ」
「眠くないです」
「仙台着くまで何回見るつもりだ」
「気になるところがなくなるまで」
中村が呆れた。
「それ、永遠に終わらないやつだろ」
八幡は。
聞こえなかったことにした。
◇
映像を止める。
仙台。
安西が右から中央へ入る。
その外を。
右サイドバックが上がる。
中央では。
フォーレンが立ち位置を変えている。
そして。
仙台が中央へ縦パスを差し込む。
その先。
八幡の頭の中では。
すでに千葉の選手が立っていた。
小林庄雅。
マルコが後ろを振り返る。
「比企谷」
「はい」
「庄雅の確認か?」
「それもあります」
「それも?」
「仙台の右サイドバックが上がるタイミングです」
中村が苦笑する。
「小林だけ見てたんじゃないのかよ」
「中央だけ読んでも、外へ逃げられたら意味ないでしょう」
八幡はタブレットの画面を見せる。
「安西が中へ入った瞬間、右SBが外を取る場面が多い。毎回ではないですけど、かなり早いです」
山本が画面を覗き込む。
「小林が中央の縦だけ意識しすぎれば、外を使われる」
「はい」
マルコも頷いた。
「だから庄雅一人に守らせない」
「そうです」
戸塚。
エミリオ。
サイド。
最終ライン。
全員で。
仙台が出せる場所を限定する。
そうやって。
小林が最も読みやすい一本を。
相手に選ばせる。
小林だけが。
特別なことをするわけではない。
彼の長所が。
最も出やすい状況を。
チーム全体で作る。
そこは。
最後まで変わらなかった。
◇
一方。
選手バス。
出発直後こそ。
天童くれはの存在で妙な緊張感が漂っていたが。
三十分も経てば。
さすがに全員が慣れてくる。
イヤホンをつける者。
眠り始める者。
映画を見る者。
スマートフォンでゲームをする者。
カードゲームを始める者。
前後の席で話す者。
若手も。
中堅も。
ベテランも。
全員。
同じバスにいる。
普段の遠征では。
なかなか見ない光景だった。
ベテラン組は比較的静か。
若手は。
やはり少し騒がしい。
それでも。
車内の写真を外へ上げようとする者は。
一人もいなかった。
理由は。
言うまでもなかった。
◇
前方。
くれはは時折後ろを確認していた。
騒ぐこと自体を。
止めるつもりはない。
試合二日前。
長時間の移動。
ずっと緊張したまま仙台まで行く方が。
むしろ疲れる。
話したければ話せばいい。
寝たければ寝ればいい。
ゲームでも。
映画でも。
好きにすればいい。
ただし。
情報だけは。
外へ出さない。
今回。
三十人全員を連れてきた意味。
それを。
たった一枚の写真で壊させるわけにはいかなかった。
◇
「天童さん」
少し後ろから。
佐久間浩二が声をかけた。
「何?」
「今日、仙台着いてからメディア対応あります?」
「基本ないよ」
「よかった」
「なんで?」
「移動後って顔死ぬんで」
くれはが佐久間を見る。
「37歳だから?」
「年齢関係ないでしょう」
周囲から笑い声が上がった。
くれはも少し笑う。
「明日は可能性あるから、そのつもりで」
「了解です」
「あと」
「はい?」
「寝顔撮られても困らないようにね」
「選手同士でも?」
「外へ出さなければ、好きにすれば」
「そこはいいんだ」
「何でも禁止にしたら、私が嫌われるでしょ」
少し後ろから。
「もう十分怖いけど」
極めて小さな声。
くれはが振り返る。
「誰?」
「……」
全員。
見事なほど目を逸らした。
また。
笑いが起こった。
◇
小林も。
その光景を見ながら笑っていた。
緊張していないわけではない。
むしろ。
している。
ただ。
今までとは。
その種類が違った。
もし。
久しぶりにFWでスタメン。
そう言われていたら。
きっと。
左足。
シュート。
ゴール。
怪我をした日の記憶。
昔の自分。
そんなものばかり。
頭に浮かんでいただろう。
だが。
今。
小林が考えているのは。
仙台のパスだった。
安西が。
どこで受けたがるのか。
フォーレンが。
どのゲートを見るのか。
相手のボランチが。
どこへ動くのか。
前線の選手は。
どこへボールを欲しがるのか。
ストライカーだったからこそ。
分かるものがある。
受けたい場所。
相手の守備者から消えたい場所。
パスを出してほしい瞬間。
そこを。
今度は奪う側から見る。
その感覚は。
少しずつ。
小林の中で形になり始めていた。
◇
窓の外。
景色が流れていく。
千葉を離れ。
北へ。
仙台へ。
二日後。
自分は。
中盤の底に立つ。
そして。
スタンドには。
天音がいる。
娘がいる。
息子がいる。
怪我をして以来。
一度も自分から言えなかった。
見に来てほしい。
それを。
ようやく言えた試合。
小林は窓へ映る自分の顔を見て。
ほんの少しだけ笑った。
◇
一方。
首脳陣を乗せたハイエースでは。
今度は山本がセットプレーの資料を広げていた。
「仙台、CKはニア多いんだよな」
田島が聞く。
「右から?」
「ああ」
「フォーレンが蹴る?」
八幡が答える。
「パターンの一つですね。安西も蹴ります」
マルコは前を向いたまま言った。
「細かい確認は明日だ」
「はい」
「今日、選手へ詰め込みすぎるな」
「分かってます」
それまで静かだったルイス・マルティネスが口を開く。
「今日は移動が仕事だ。到着後は身体を動かす程度でいい」
本庄も頷いた。
「長時間座るので、股関節周りとハムストリングス、ふくらはぎは普段より長めに動かしたいです」
鳥山も続ける。
「違和感があれば到着後すぐ申告させよう。コンディションは全員確認する」
監督。
ヘッドコーチ。
GK。
フィジカル。
セットプレー。
分析。
医療。
トレーナー。
同じ試合へ向かっている。
だが。
見ている場所は。
それぞれ違う。
その全てを。
一つの試合へまとめる。
そのための。
試合二日前だった。
◇
大型バス。
選手三十人。
広報スタッフ三人。
そして。
別のハイエース。
運転手二人。
首脳陣と主要スタッフ八人。
二台は。
少し距離を取りながら。
同じ北を目指して進んでいく。
仙台。
第33節。
仙台アステルFC。
対。
エストレヤ千葉。
◇
トップチーム登録。
三十人。
全員帯同。
誰がスタメンなのか。
誰がベンチなのか。
誰がメンバー外になるのか。
遠征風景だけでは。
何も分からない。
特に。
背番号25。
小林庄雅。
FW。
29歳。
左利き。
その男が。
二日後。
FWではなく。
アンカーとして中盤の底へ立つ。
その事実を知っているのは。
まだ。
クラブ内部の限られた人間だけだった。
誰を連れていくか。
どう移動するか。
何を見せるか。
何を見せないか。
それもまた。
試合へ向けた準備の一つ。
エストレヤ千葉にとって。
第33節はもう始まっていた。