第398話 予想外のスタメン
第398話 予想外のスタメン
試合当日。
仙台。
バーバリスタジアム。
第33節。
仙台アステルFC対エストレヤ千葉。
キックオフを数時間後に控えたスタジアム周辺には、すでに多くのサポーターが集まり始めていた。
ホーム側を埋めるのは、仙台の青紫と黒。
一方、アウェー側へ続く通路には、紺、金、白のユニフォームやマフラーを身につけたエストレヤ千葉のサポーターが次々と姿を見せている。
リーグ戦は残り二試合。
千葉は北海道フェニックスFCと勝ち点69で並び、得失点差で二位。
優勝を狙う以上。
今日の一戦は。
絶対に落としたくない。
◇
アウェーゴール裏。
試合前の千葉サポーターたちは、いつものように今日の先発メンバーを予想していた。
「CFはベニテスじゃない?」
「まあ普通ならそうだろ」
「材木座もあるけどな」
「左は森川かな」
「塩川も最近いいぞ」
「ダニエルは真ん中?」
「右に川崎で、中央ダニエルじゃない?」
最近のチーム状況。
直近の起用。
選手の調子。
それぞれが自分なりの根拠を持ちながら、好き勝手に十一人を並べていく。
「GKは郷田だろ」
「そこは変えないんじゃない?」
「CBは坂本と橋本かな」
「宇津木もある」
「右は毛利?」
「安原で攻撃的に行くかもしれん」
予想はいくらでもできた。
だが。
今回は。
いつも以上に難しい。
理由は明確だった。
エストレヤ千葉は今回。
トップチームの登録選手三十人を。
全員。
仙台へ連れてきている。
さらに。
前日の練習。
報道陣へ公開されたのは。
最初の十分間だけ。
ジョギング。
ストレッチ。
軽いウォーミングアップ。
それだけ。
その後のおよそ二時間は。
完全非公開だった。
「全然分からないんだよな」
「誰が先発でもおかしくない」
「全員連れてきたせいで帯同メンバーからも読めないし」
「情報隠す気満々だったな」
「まあ、残り二試合だしな」
サポーターたちは笑っている。
だが。
この時点では。
千葉が何を準備しているのか。
サポーターも。
報道陣も。
そして。
仙台アステルFC側も。
まだ知らなかった。
◇
その頃。
バーバリスタジアム内部。
エストレヤ千葉のロッカールーム。
選手たちはすでにスタジアムへ入り、それぞれ試合へ向けた準備を始めていた。
背番号25。
小林庄雅。
自分のユニフォームが掛けられたロッカーの前に座り、静かにスパイクの紐を結んでいる。
今日。
公式上のポジションは。
DMF。
中盤の底。
だが。
小林がその場所で。
どんなプレーをするのか。
何を狙うのか。
それを知っているのは。
エストレヤ千葉の内部にいる人間だけだった。
マルコ。
中村。
八幡。
コーチ陣。
そして。
二か月以上。
小林とともに中盤で練習してきた選手たち。
外部には。
ほとんど何も出していない。
◇
小林自身も。
それでいいと思っていた。
知られていない。
だからこそ。
最初の一手になる。
自分が中盤の底へ入り。
どう動くのか。
どこを見るのか。
何を消すのか。
何を狙うのか。
仙台側が。
その正体を理解する頃には。
できれば。
もう一つ。
仕事を終えていたい。
そんなことを考えながら。
小林は。
左足のスパイクの紐を。
ぎゅっと強く結んだ。
◇
少し離れた場所では。
背番号23。
宍道務。
19歳。
こちらは。
誰が見ても分かるほど落ち着いていなかった。
座る。
立つ。
水を飲む。
バッグの中を確認する。
また座る。
しばらくその様子を眺めていた材木座義輝が、ついに声をかけた。
「宍道」
「はい!」
返事が大きい。
「まだ試合始まらないぞ」
「はい!」
「だから返事でけえって」
「すみません!」
「謝るなよ」
周囲から笑いが起きた。
無理もなかった。
今日。
宍道務は。
プロ公式戦。
初出場。
しかも。
初先発。
ポジションはCF。
リーグ優勝争い。
残り二試合。
アウェー。
バーバリスタジアム。
この状況で。
緊張するなという方が無理だった。
◇
宇津木健太のロッカーには。
ユニフォームとともに。
キャプテンマークが置かれていた。
クラブキャプテン。
郷田京。
今日はベンチスタート。
そのため。
ピッチ上でチームをまとめる役目は。
宇津木が担う。
宇津木はキャプテンマークを手に取ると。
一度。
静かに眺めた。
そこへ。
郷田が近づく。
「健太」
「はい」
「任せる」
短い言葉。
宇津木は。
すぐに頷いた。
「任せてください」
それ以上。
言葉はいらなかった。
◇
試合開始。
およそ一時間半前。
両クラブのスターティングメンバーが正式に発表された。
クラブ公式サイト。
報道関係者。
スタジアム内。
SNS。
情報が。
一斉に広がっていく。
アウェーゴール裏。
一人の千葉サポーターが。
スマートフォンを見たまま。
動きを止めた。
「……え?」
隣にいた男が振り向く。
「出た?」
「出た」
「誰?」
「いや……」
「何だよ」
スマートフォンを差し出す。
数秒。
今度は。
画面を覗き込んだ男まで。
「……え?」
同じ反応をした。
◇
「GK、玉縄」
「郷田じゃないの?」
「郷田はベンチ」
「マジか」
まず。
そこから予想が外れた。
「右SB、安原」
「毛利じゃなくて?」
「安原」
「攻撃的に行くのかな」
「CB、宇津木と橋本」
「宇津木キャプテンか」
「坂本は?」
「ベンチにもいない」
「左、高山」
「葉山じゃない?」
「違う」
ここまででも。
かなり変えている。
だが。
本当の驚きは。
まだ先だった。
中盤。
読み上げていた男の声が。
そこで止まる。
◇
「どうした?」
「……25」
「小林?」
「そう」
「FW?」
「いや」
男が。
もう一度画面を確認する。
「DMFになってる」
一瞬。
沈黙が落ちた。
「……は?」
「小林庄雅が?」
「そう書いてある」
「DMF?」
「公式」
「いやいやいや」
別のサポーターまで割って入ってくる。
「小林ってFWだろ?」
「だから驚いてんだよ」
「いつからDMFなんかやってたんだ?」
「知らない」
「練習でやってたの?」
「知らないって」
「どういうプレーするんだよ?」
「それも知らん!」
誰も。
答えられなかった。
◇
小林庄雅。
29歳。
左利き。
FW。
高校時代には全国で得点を量産し。
年代別代表にも選ばれ。
ストライカーとして将来を期待されていた選手。
怪我以降。
苦しい時間が続いてきたことは。
サポーターも知っている。
だが。
DMFとして。
何ができるのか。
それだけは。
誰も知らなかった。
ボールを刈り取るのか。
配球するのか。
守備専門なのか。
ゲームを作るのか。
そもそも。
本当にアンカーとして中盤の底へ立つのか。
情報が。
何もない。
「高さあるわけでもないよな」
「守備上手かったっけ?」
「分からん」
「ロングパス?」
「それも分からん」
「じゃあ何で使うんだよ?」
「こっちが聞きたい!」
アウェーゴール裏のあちこちで。
似たような会話が起き始めていた。
◇
「CMF、エミリオと戸塚」
「ってことは、本当に小林が一番後ろ?」
「表記見る限りそう」
「三枚の中盤か」
「右、ダニエル」
「ダニエル右なの?」
「今日は右SH」
「左、塩川」
「森川ベンチ!?」
驚きは。
まだ終わらない。
そして。
最後。
CF。
そこで。
読み上げる声が。
また止まった。
「……23」
「宍道?」
「宍道務」
「え?」
「スタメン」
「ベニテスは?」
「ベンチ」
「材木座?」
「ベンチ」
「じゃあ本当に宍道?」
「そう」
今度は。
周囲が静かになった。
◇
背番号23。
宍道務。
19歳。
これまで。
公式戦出場。
ゼロ。
つまり。
今日が。
プロ公式戦初出場。
しかも。
途中からではない。
スターティングメンバー。
「初出場だよな?」
「そう」
「この試合で?」
「そう」
「残り二試合だぞ?」
「分かってる」
「優勝争いだぞ?」
「だから分かってるって!」
「何で!?」
「知らん!」
また。
誰も答えられない。
宍道を。
なぜCFで使うのか。
小林を。
なぜDMFへ置くのか。
千葉の内部にいなければ。
分からない。
◇
同じ頃。
仙台アステルFC側にも。
千葉のメンバー表が届いていた。
分析スタッフが。
資料をテーブルへ置く。
「千葉、出ました」
仙台の首脳陣が一斉に覗き込む。
GK。
玉縄。
右。
安原。
中央。
宇津木。
橋本。
左。
高山。
「結構変えたな」
「郷田もベンチか」
「宇津木がキャプテン」
そこまでは。
変更の範囲として。
まだ理解できる。
だが。
中盤。
そこで。
一人のスタッフが止まった。
「……小林?」
「はい」
「25番?」
「そうです」
「ポジション、DMFになってるぞ」
「はい」
別のスタッフが資料を覗き込む。
「FWの小林だろ?」
「そうです」
「どういうタイプだ?」
質問。
だが。
答えは。
すぐには返ってこなかった。
◇
「……分かりません」
「分からない?」
「DMFとしての公式戦データがありません」
当然だった。
今日が。
初めてなのだから。
「練習映像は?」
「前日の公開は最初の十分だけです」
「その前は?」
「確認できる範囲では、DMFとして何をしているのか分かる映像はありません」
仙台のスタッフたちが。
もう一度。
メンバー表へ視線を落とす。
小林庄雅。
DMF。
そこに書かれているのは。
それだけ。
「守備型か?」
「判断できません」
「配球?」
「それも」
「じゃあ」
少し苛立った声が漏れる。
「何で小林なんだ?」
誰も。
答えられなかった。
◇
これまで。
千葉が。
何を隠していたのか。
その答えの一部が。
ようやく。
メンバー表の上へ現れた。
だが。
名前。
配置。
それだけ。
どんなプレーをするのかまでは。
何も読めない。
それが。
仙台にとって。
最も気持ちの悪い部分だった。
◇
「前は?」
別のスタッフが聞く。
「23番。宍道務」
資料が開かれる。
「19歳」
「公式戦は?」
「出場ありません」
「ゼロ?」
「はい」
「特徴は?」
そこについては。
ある程度。
情報はあった。
練習試合。
ユース時代。
登録ポジション。
だが。
J2公式戦。
しかも。
今日の試合で。
何を求められて使われるのか。
そこまでは。
分からない。
「ベニテスじゃない」
「材木座でもない」
「初出場の19歳」
「小林をDMF」
一人のスタッフが。
小さく息を吐いた。
「何をやるつもりだ……?」
◇
それが。
仙台側の率直な感想だった。
千葉の意図が。
見えない。
右のダニエル。
左の塩川。
安原。
高山。
宇津木。
橋本。
そこには。
過去の試合映像がある。
特徴も。
ある程度分かる。
だが。
小林のDMF。
そして。
宍道の初先発。
そこだけは。
映像も。
試合データもない。
予測するしかなかった。
◇
やがて。
バーバリスタジアム。
大型ビジョン。
スターティングメンバー紹介が始まった。
まずは。
ホーム。
仙台アステルFC。
選手の名前が読み上げられるたび。
ホームスタンドから大歓声が響く。
そして。
仙台の紹介が終わる。
大型ビジョンが暗転。
画面の色が。
切り替わった。
『続いて――』
スタジアムDJの声。
『エストレヤ千葉!』
その瞬間。
アウェーゴール裏。
紺と金の旗が。
一斉に揺れた。
◇
『ゴールキーパー! 背番号21!』
**玉縄幸三!**
「玉縄ぁぁぁぁ!」
大歓声。
『ディフェンダー! 背番号29!』
**安原翼!**
『背番号5! 本日のキャプテン!』
**宇津木健太!**
声が。
さらに大きくなる。
『背番号35!』
**橋本翔!**
『背番号24!』
**高山俊樹!**
大型ビジョンに。
最終ラインが並ぶ。
そして。
中盤。
◇
数字。
**25。**
スタジアムの一部が。
少しざわついた。
『ミッドフィールダー!』
その言葉だけで。
改めて驚きが広がる。
『背番号25!』
**小林庄雅!**
「小林ぃぃぃぃぃ!!」
アウェーゴール裏から。
大きな声が飛ぶ。
小林は。
ピッチ脇で。
その歓声を聞いていた。
いつもなら。
フォワードとして紹介される名前。
今日は。
ミッドフィールダー。
自分でも。
少しだけ。
不思議な感覚があった。
だが。
もう。
迷いはなかった。
◇
スタンド。
小林の家族。
天音も。
大型ビジョンを見上げていた。
その横。
娘が。
驚いたように声を上げる。
「パパ、ミッドフィールダーって言われた!」
天音が笑う。
「そうだね」
「本当にアンカーなんだね!」
「うん」
息子には。
まだ細かなポジションの違いまでは分からない。
それでも。
父親の顔が大型ビジョンへ映った瞬間。
「パパ!」
大きく手を振っていた。
もちろん。
小林本人は。
まだ気づいていない。
◇
『背番号7!』
**エミリオ・アルバレス!**
『背番号18!』
**戸塚彩加!**
そして。
『背番号14!』
**ダニエル・ロドリゲス!**
今日は。
右サイド。
大型ビジョンへ表示された配置を見て。
仙台側のスタンドでも。
少しざわめきが起きる。
『背番号8!』
**塩川康文!**
そして。
最後。
数字。
**23。**
◇
ピッチへ向かう通路。
宍道務は。
モニターに表示された自分の番号を見つめていた。
心臓が。
速い。
『フォワード! 背番号23!』
一拍。
**宍道務!**
千葉ゴール裏から。
大歓声が返ってくる。
「宍道ぉぉぉぉ!」
「行けぇぇぇ!」
「初出場!」
「やってこい!」
宍道は。
目を見開いた。
自分の名前。
プロのスタジアムで。
自分自身の選手紹介として。
初めて。
読み上げられた。
「……すご」
思わず。
小さな声が漏れた。
◇
隣にいた小林が。
宍道を見る。
「緊張してる?」
「してます」
「俺も」
宍道が。
思わず小林を見た。
「小林さんもですか?」
「今日はな」
小林は少し笑う。
「お互い初めてみたいなもんだろ」
宍道は。
大型ビジョンに表示されている小林のポジションを見る。
DMF。
「あ……」
小林が言う。
「お前は初出場」
そして。
自分を指した。
「俺は初アンカー」
少し間を置き。
「まあ、やるしかない」
宍道は。
ゆっくり。
頷いた。
「はい」
◇
大型ビジョン。
エストレヤ千葉。
スターティングメンバー。
GK。
21。
玉縄幸三。
右SB。
29。
安原翼。
CB。
5。
宇津木健太。
キャプテン。
その隣。
35。
橋本翔。
左SB。
24。
高山俊樹。
中盤の底。
25。
小林庄雅。
その前。
7。
エミリオ・アルバレス。
18。
戸塚彩加。
右。
14。
ダニエル・ロドリゲス。
左。
8。
塩川康文。
そして。
最前線。
23。
宍道務。
ベンチには。
郷田京。
長谷川智樹。
黒崎隼吾。
笹森正義。
森川佑。
戸部翔。
川崎大志。
マティアス・ベニテス。
材木座義輝。
◇
千葉サポーターは。
その一覧を見ながら。
まだ戸惑っていた。
ベニテス。
森川。
郷田。
主力級がベンチ。
初出場の宍道がCF。
そして。
最大の謎。
小林庄雅。
DMF。
「結局、小林って何するんだ?」
一人が言った。
隣の男も。
首を横へ振る。
「分からん」
「守備?」
「分からん」
「パス出す?」
「知らん」
「じゃあ何でアンカーなんだ?」
「それを今から見るんだろ」
一瞬。
間が空く。
そして。
男は笑った。
「確かに」
◇
仙台ベンチ側でも。
答えは。
まだ出ていなかった。
小林庄雅。
DMF。
メンバー表にあるのは。
その文字だけ。
何を狙うのか。
何が得意なのか。
どういうタイプのアンカーなのか。
分からない。
仙台が。
それを知る方法は。
もう。
一つしかなかった。
試合を見ること。
◇
ピッチ脇。
八幡は大型ビジョンを一度だけ見上げた。
隣にいた中村が。
少し笑う。
「ざわついてるな」
「でしょうね」
「仙台も小林のところ、分かんねえだろうな」
「分からないでしょうね」
練習は。
ほとんど外へ出していない。
公式戦データ。
ゼロ。
小林自身も。
DMFとして。
今日が初めて。
「隠した甲斐あったな」
中村が言う。
八幡は。
仙台側のベンチを見る。
「隠すことが目的じゃないです」
「分かってるよ」
「勝つためです」
中村は。
少し笑い。
頷いた。
◇
バーバリスタジアム。
第33節。
仙台アステルFC。
対。
エストレヤ千葉。
スターティングメンバーが。
ついに公表された。
驚きは。
広がった。
だが。
本当の意味では。
まだ。
何も見せていない。
背番号25。
小林庄雅。
DMF。
その男が。
中盤の底で。
何をするのか。
それを知っているのは。
エストレヤ千葉のスタッフと。
選手たちだけ。
そして。
背番号23。
宍道務。
19歳。
プロ公式戦。
初出場。
初先発。
二つの大きな未知を抱えた千葉が。
今。
バーバリスタジアムのピッチへ。
姿を現そうとしていた。