第399話 謎のアンカー
第399話 謎のアンカー
バーバリスタジアム。
キックオフまで、残り一時間を切っていた。
スタンドでは、両クラブのサポーターが少しずつ熱を上げ始めている。
ホーム側では仙台の青紫と黒。
アウェー側では千葉の紺と金。
応援歌。
太鼓。
旗。
試合開始へ向けて、スタジアム全体の空気が徐々に高まっていく。
その一方。
スタジアム上部に設けられた放送ブースでは。
先ほど正式に発表されたばかりのスターティングメンバーを前に、少し違った意味でのざわめきが広がっていた。
大型モニターには、エストレヤ千葉の先発十一人が表示されている。
その中央。
一人だけ。
明らかに目を引く名前があった。
**DMF 25 小林庄雅。**
司会者は手元の資料を見直した。
そして。
もう一度。
モニターを見る。
「……これ、間違いではないんですよね?」
隣に座る元プロ選手の解説者も、苦笑しながら頷いた。
「私も最初、確認しました」
「ですよね」
「でも正式発表です」
司会者は、改めて画面に表示された文字を読む。
「背番号25、小林庄雅。ポジション表記は……DMF」
「はい」
「いやあ……驚きました」
◇
小林庄雅。
29歳。
左利き。
これまで。
世間から見れば。
完全にFWの選手だった。
高校年代から。
ゴールを奪う選手。
全国大会で得点を重ね。
年代別代表にも選ばれ。
その後もストライカーとしてキャリアを歩んできた。
怪我を境に出場機会は減った。
以前のように。
左足一本で試合を決める姿も少なくなった。
それでも。
小林庄雅という選手を説明する時。
最初に出てくるポジションは。
間違いなく。
**FW。**
その男が。
今日。
リーグ優勝争いの終盤。
第33節。
アウェー仙台戦で。
突然。
中盤の底へ置かれている。
◇
「小林が中盤をやっているという情報って、ありました?」
司会者が尋ねる。
解説者は首を横へ振った。
「少なくとも公式戦ではないですね」
「ですよね」
「私も過去の出場記録を確認しましたけど、DMFとして出場した記録はありません」
「ということは」
「少なくとも公式戦では、今日が初めてと考えていいでしょう」
司会者が。
思わず息を吐く。
「それを、この試合でやりますか」
解説者も笑った。
「普通はそう思いますよね」
◇
モニターが切り替わる。
順位表。
**1位 北海道フェニックスFC 勝点69**
**2位 エストレヤ千葉 勝点69**
残り。
二試合。
一つの勝敗が。
優勝争いを大きく左右する。
そんな状況だった。
しかも。
今日の相手は。
4位。
仙台アステルFC。
決して。
新しいことを試すための試合ではない。
「開幕直後なら分かるんですよ」
解説者が言う。
「シーズン序盤で、選手の新しい適性を探す。その中で小林を中盤に置いてみる。それなら理解できます」
「はい」
「でも今は第33節です」
「残り二試合」
「しかも首位と同勝ち点」
解説者は。
モニターに映る小林の名前を見る。
「ここで初めて出すということは」
少し間を置いた。
「千葉側には、かなり明確な理由があるはずです」
◇
司会者が。
手元の資料をめくる。
「ただ、その理由が分からない」
「分からないですね」
即答だった。
「小林って、どんなアンカーなんですか?」
解説者が思わず笑った。
「それを私に聞きます?」
「解説ですから」
「資料がないんですよ」
放送ブースに。
小さな笑いが起きた。
だが。
これは。
本当にそうだった。
DMF。
アンカー。
通常なら。
過去の試合映像を見る。
守備位置。
ボール奪取。
配球。
展開力。
対人守備。
セカンドボール。
そうしたデータから。
その選手が何をするのか。
ある程度。
推測できる。
だが。
小林には。
それがない。
◇
「例えば」
司会者が言う。
「守備力を評価されている?」
「分かりません」
「配球能力?」
「それも分かりません」
「運動量?」
「分かりません」
「分からないばっかりじゃないですか」
「だって、本当に分からないんですよ」
解説者も困ったように笑った。
「FWとしての小林なら説明できます。でも、DMFとしての小林は今日初めて見るんです」
その言葉が。
全てだった。
◇
司会者は。
改めて先発表へ目を向ける。
「その前にエミリオ・アルバレスと戸塚彩加」
「はい」
「となると、形としては小林を一番後ろに置いた中盤三枚ですか」
「発表通りなら、そうでしょうね」
一番後ろ。
小林。
その前。
エミリオ。
戸塚。
「エミリオを一番下げる形ではない?」
「試合が始まれば入れ替わる可能性はあります。ただ、クラブ発表では小林がDMF、エミリオと戸塚がCMFです」
「わざわざ小林をDMF表記にしている」
「そうなんですよ」
そこが。
余計に不思議だった。
◇
解説者は。
少し考えるように。
腕を組んだ。
「ただ、一つだけ気になることはあります」
「何でしょう」
「小林は元々FWですよね」
「はい」
「ということは少なくとも、前線の選手がどこでボールを受けたいかという感覚は持っているはずです」
司会者が頷く。
「そこを中盤で生かす?」
「可能性の話ですよ」
解説者はすぐに付け加える。
「どう生かすのかまでは分かりません。守備なのか、攻撃なのか。それとも、まったく別の目的なのか」
「なるほど」
「外から見えているのは、元FWをアンカーに置いたという事実だけです」
◇
実際。
千葉は。
徹底して隠していた。
試合二日前。
トップチーム登録選手全員で仙台入り。
誰が帯同したのか。
そこから先発を読ませない。
前日。
練習公開は。
最初の十分間だけ。
ジョギング。
動的ストレッチ。
ウォーミングアップ。
それが終わったところで。
完全非公開。
その中で。
小林が。
どのようなプレーをしていたのか。
どこへ立ち。
何をしていたのか。
外から確認できる映像は。
一つもない。
「今考えると」
司会者が言う。
「全員連れてきたのも、こういうことだったんでしょうか」
「可能性はありますね」
「小林を隠すため?」
「小林だけかどうかは分かりません」
解説者は。
先発表を指した。
「今日の千葉、かなり変えていますから」
◇
GK。
玉縄幸三。
右SB。
安原翼。
CB。
宇津木健太。
橋本翔。
左SB。
高山俊樹。
中盤。
小林。
エミリオ。
戸塚。
右。
ダニエル。
左。
塩川。
そして。
最前線。
宍道務。
「宍道も初出場です」
司会者が言う。
「そこも驚きですよね」
「19歳」
「公式戦出場ゼロ」
「それでいきなりCFの先発です」
解説者が少し笑った。
「普通なら、こちらが一番の話題になってもおかしくないです」
「確かに」
「でも小林のDMFが強すぎる」
「そうなんですよ」
二人とも。
思わず笑ってしまった。
◇
だが。
解説者の表情は。
すぐに真剣なものへ戻った。
「ただ、宍道も含めて考える必要があります」
「と言いますと?」
「千葉がこれだけ普段とは違う選手を並べている」
「はい」
「しかも、それを試合前日まで徹底して隠した」
一拍。
「偶然とは考えにくいです」
司会者が。
今度は仙台のフォーメーションへ目を向ける。
「仙台用?」
「その可能性は高いでしょうね」
「ただ、何を狙っているかは」
「分かりません」
また。
その答え。
司会者は。
苦笑するしかなかった。
◇
「今日、小林のところは試合が始まるまで何も言えないですね」
「むしろ」
解説者が言う。
「試合が始まってからも、最初の数分では分からないかもしれません」
「そんなに?」
「アンカーって、ボールを持った時だけを見るポジションじゃないので」
立ち位置。
相手との距離。
味方との関係。
どこへ動くのか。
どこへ動かないのか。
何を消すのか。
どこをあえて空けるのか。
それらを見なければ。
役割は分からない。
「ボールに何回触ったかだけでは分かりません」
「なるほど」
「例えば、相手にあるパスを出させないだけでも仕事になります」
「小林がそれをするかは?」
「知りません」
「またですか」
「だから今日は、それを見るんです」
◇
放送席のモニター。
ちょうど。
ウォーミングアップ中の小林が映った。
短いパス。
ジョギング。
軽いステップ。
何の変哲もない。
司会者は。
画面をじっと見つめる。
「これだけ見ても、やっぱり分からない」
「分からないですね」
「普通にボール蹴ってます」
「そりゃ蹴りますよ」
「何かアンカーらしいことしてくださいよ」
「ウォーミングアップで全部見せたら千葉が困るでしょう」
再び。
放送席に小さな笑いが起きた。
◇
そこへ。
カメラが千葉ベンチ側へ切り替わる。
監督。
マルコ・ベッルーニ。
その少し後ろ。
比企谷八幡。
腕を組み。
静かにピッチを見ている。
司会者が八幡へ目を向ける。
「比企谷分析官も、今回かなり関わっているんでしょうか」
「千葉は相手分析にかなり力を入れているクラブですからね」
「前回対戦は7対0」
「ただし、仙台はあの時とは別のチームです」
夏以降。
4-2-3-1。
ゾーンを基準とした守備。
そして。
ダニー・フォーレン加入。
仙台は。
大きく変わった。
だから。
千葉も。
前回と同じではない。
「もしかすると」
解説者が言う。
「前回勝ったから同じことをする、ではなく」
モニター。
そこへ。
再び小林が映る。
「今の仙台に合わせて、別のものを持ってきたのかもしれません」
◇
背番号25。
小林庄雅。
ウォーミングアップ中。
表情は。
いつもと変わらない。
何も。
特別には見えなかった。
司会者が。
資料へ視線を落とす。
「小林庄雅、29歳」
「はい」
「これだけキャリアのある選手で」
「はい」
「今日、初めて何をする選手なのか分からないというのも不思議ですね」
解説者は。
少し考えたあと。
答えた。
「それが今日の面白いところでしょうね」
◇
ストライカー。
だった男。
今。
アンカー。
サポーターも知らない。
報道陣も知らない。
仙台も知らない。
そして。
放送席の解説者でさえ。
分からない。
知っているのは。
エストレヤ千葉。
そのスタッフと。
選手たちだけ。
「今日の注目選手」
司会者が言う。
「やっぱり小林ですか?」
解説者は。
少し笑った。
「少なくとも」
大型モニター。
そこに表示されている。
**25 小林庄雅 DMF**
その文字へ目を向ける。
「何をするのか、一番見てみたい選手ではありますね」
「なるほど」
「ただ」
「はい」
「もしかしたら、最初のプレーで全部分かるかもしれない」
少し間。
「逆に、前半が終わっても分からないかもしれない」
◇
司会者は。
楽しそうに笑った。
「では、それも含めて見ていきましょう」
カメラが。
バーバリスタジアムを映し出す。
青紫と黒。
紺と金。
スタンドは。
少しずつ埋まっていく。
ピッチでは。
両チームが。
最後のウォーミングアップを続けていた。
◇
第33節。
仙台アステルFC。
対。
エストレヤ千葉。
試合前。
最大の話題。
背番号25。
小林庄雅。
**DMF。**
なぜ。
そこにいるのか。
何ができるのか。
何をするのか。
放送席にも答えはない。
その答えを知っているのはエストレヤ千葉だけ。
そしてあと少しで。
仙台アステルFCも。
その答えをピッチの上で知ることになる。