第400話 また何かやる気だ
第400話 また何かやる気だ
バーバリスタジアム。
ホーム側スタンド。
大型ビジョンにエストレヤ千葉のスターティングメンバーが映し出されてからというもの、仙台アステルFCのサポーター席では妙なざわめきが続いていた。
もちろん、驚いている。
それは間違いない。
ただ、その驚きは千葉サポーターのものとは少し種類が違っていた。
「……これ、嫌だな」
一人の仙台サポーターが、スマートフォンに表示されたメンバー表を見ながら呟いた。
隣に座っていた男が眉を寄せる。
「何が?」
「千葉のスタメン」
「変だよな」
「だから嫌なんだよ」
その会話を聞いていた前の席の男まで振り返った。
「分かる」
短い一言。
だが。
三人が考えていることは、ほとんど同じだった。
◇
GKは玉縄幸三。
右SBに安原翼。
CBは宇津木健太と橋本翔。
左SBに高山俊樹。
守備陣だけを見ても、普段とは少し違う。
とはいえ。
ここまではまだ理解できなくもなかった。
宇津木は経験豊富なセンターバック。
橋本も今季、出場機会を増やしている若手。
高山は守備の安定感がある。
安原は攻撃参加を武器にする右サイドバック。
玉縄もセカンドGKとして実力のある選手だ。
問題は。
その先だった。
「小林庄雅、DMF」
「何回見ても意味分かんねえな」
「元々FWだよな?」
「元々っていうか、今も登録はFWだろ」
「じゃあ何でアンカー?」
「知らん」
「守備できるの?」
「だから知らんって」
誰も答えを持っていない。
そのこと自体が。
妙に気持ち悪かった。
◇
小林庄雅という名前そのものは知っている。
かつて注目されたストライカー。
左利き。
長くエストレヤ千葉に所属している選手。
ただ。
仙台サポーターが知っている小林は、あくまでFWとしての姿だった。
中盤の底で何をするのか。
ボールを奪うのか。
パスを散らすのか。
相手を潰すのか。
ゲームを作るのか。
それとも。
そもそも典型的なアンカーとは違う役割を与えられているのか。
何一つ分からない。
「普通さ」
男が言った。
「FWをDMFに置いてたら、『大丈夫か?』って思うじゃん」
「思う」
「でも千葉だと、そう思い切れないんだよ」
「……前回があるからな」
その一言で。
三人の間の空気が、わずかに重くなった。
◇
第16節。
エストレヤ千葉。
7。
仙台アステルFC。
0。
忘れられるはずがなかった。
今季。
仙台にとって。
最大級の屈辱。
しかも。
ただ力の差で押し切られた試合ではなかった。
試合が始まってみれば。
千葉は。
妙なことをしていた。
「前の試合もそうだったよな」
「ああ」
「鈴木のところ、やたら入れてきた」
「そうそう」
「こっちが囲んで奪えるだろって場所にも普通に出してきた」
「なのに」
一人が苦い顔をした。
「奪ったはずなのに、全然こっちのボールにならなかった」
◇
千葉の前線にいた鈴木へボールが入る。
仙台が寄せる。
潰す。
奪った。
そう思う。
だが。
次の瞬間。
戸塚。
エミリオ。
セカンドボール。
千葉。
また攻撃。
再び鈴木へ入る。
仙台が寄る。
中央へ人数が集まる。
すると。
今度は外。
森川。
ダニエル。
高山。
中央を閉じれば外。
外へ出れば中。
一度守ったと思ったのに。
千葉の攻撃は。
なかなか終わらなかった。
当時、スタンドから見ていた仙台サポーターたちも。
試合途中から。
少しずつ気づき始めていた。
もしかして。
これ。
わざとじゃないか。
と。
◇
「普通はさ」
一人が言う。
「前の選手にボール入れて、取られたら失敗だろ?」
「まあな」
「でも、あの日の千葉って、取られるところまで込みで攻撃してた感じだった」
「後から解説でも言われてたな」
「鈴木のところに人を集めて、こぼれを拾ってもう一回」
「こっちは毎回『守った』と思わされて」
「全然終わってない」
思い出すだけで。
嫌になる。
前半の途中までは。
まだ修正できると思っていた。
だが。
千葉は。
同じように見える攻撃の中で。
少しずつ。
使う場所を変えてきた。
そして。
気づけば。
七失点。
◇
「だから今日も嫌なんだよ」
最初に口を開いた男が、もう一度メンバー表へ視線を落とす。
そして。
背番号25。
その部分を指で示した。
「これ、普通なら意味不明だろ」
「うん」
「でも前回も、試合始まってから『何だこれ』ってなった」
「……確かに」
「今日も同じ匂いするんだよ」
否定できなかった。
むしろ。
そう考えると。
妙にしっくり来てしまう。
◇
さらに。
最前線。
CF。
背番号23。
宍道務。
「こいつも嫌なんだよな」
「宍道?」
「初出場なんだろ?」
「らしい」
「19歳」
「ベニテスと材木座をベンチに置いて?」
「そう」
「普通に考えたら意味分かんないよな」
「分かんない」
マティアス・ベニテス。
得点力。
裏への飛び出し。
現在の千葉で主力を務めるCF。
材木座義輝。
身体を張ったポストプレー。
前線で起点になれるFW。
その二人を。
両方ともベンチへ置いた。
そして。
公式戦出場ゼロの19歳。
宍道務。
「優勝争いしてるチームがさ」
男が言う。
「残り二試合で、初出場の19歳をいきなりCFで使うか?」
「普通なら使わない」
「だろ?」
「でも使ってる」
「ってことは……」
そこで。
言葉が止まる。
何かある。
それ以外に。
理由が思いつかなかった。
◇
「小林も」
「宍道も」
「仙台相手だから出してる?」
「たぶんな」
「何のため?」
「分からん」
結局。
そこへ戻る。
分からない。
それが。
何より不気味だった。
◇
別の場所でも。
似たような会話が起きていた。
「ダニエルも右だぞ」
「普段中央だろ?」
「今日はRSH」
「塩川が左」
「森川ベンチ」
「右SBも安原」
「かなり変えてるな」
「ターンオーバー?」
「この時期に?」
「ないだろ」
「じゃあ仙台対策」
「やっぱ、そう見えるよな」
北海道フェニックスFCと。
勝ち点69。
得失点差だけで二位。
残り二試合。
ただ休ませるためだけに。
ここまで配置を変えるとは考えにくい。
しかも。
千葉は。
二日前から。
トップチーム登録選手全員を仙台へ連れてきた。
前日の公開練習も。
見せたのは十分間だけ。
その後は。
完全非公開。
「今思うとさ」
若い仙台サポーターが言った。
「全員連れてきたのも、誰を使うか隠したかったんだろ」
「そうだろうな」
「そこまでして隠したスタメンがこれ?」
「うん」
「……ますます嫌なんだけど」
隣にいた父親くらいの年齢の男も。
深く頷いた。
「俺もだ」
◇
もちろん。
仙台も。
第16節の頃とは違う。
そこは。
サポーターたちも理解している。
あの大敗を境に。
チームは変わった。
夏。
ダニー・フォーレン加入。
4-2-3-1。
後方から丁寧にボールを繋ぐ。
守備も。
以前のように簡単に相手へ食いつかなくなった。
ゾーンを維持し。
受け渡す。
ここまで。
15勝11分6敗。
勝ち点56。
4位。
あの日。
七失点した仙台とは。
もう違う。
「でもさ」
一人が言う。
「向こうも、それ分かってるんだよな」
「当たり前だろ」
「前と同じ仙台だと思ってない」
「だから」
男は。
もう一度。
千葉のメンバー表へ視線を落とした。
「これなんじゃない?」
沈黙。
「……だよなあ」
◇
仙台が。
変わった。
だから。
千葉も。
前回とは違うものを持ってきた。
そう考える方が。
自然だった。
問題は。
その中身が。
まったく分からないこと。
「小林が一番下」
「前に戸塚とエミリオ」
「右ダニエル」
「左塩川」
「前が宍道」
一人が。
指を折りながら確認する。
「これ、どうなるんだ?」
誰も答えない。
「小林がボール持つ?」
「知らない」
「宍道にロングボール?」
「知らない」
「ダニエルが中に入る?」
「それはありそうだけど」
「じゃあ安原が上がる?」
「……ありそう」
「塩川側は?」
「高山だから守備重視?」
「でも塩川も動くぞ」
考えれば。
考えるほど。
分からなくなる。
◇
すると。
少し年配の仙台サポーターが、ぽつりと言った。
「考えすぎても仕方ないぞ」
全員が。
そちらを見る。
「相手が何するか分からないなら」
男は腕を組む。
「最初の十分見ればいい」
「まあ、それしかないですね」
「うちの選手たちもそうだろ」
「ですね」
少しだけ。
空気が軽くなった。
だが。
その男性は。
最後に大型ビジョンへ視線を向けた。
「ただ」
一拍。
「前回も、最初に分かった時にはもう面倒なことになってたけどな」
「……」
再び。
嫌な空気が戻った。
◇
大型ビジョン。
千葉の先発。
その中央。
**25 小林庄雅。**
仙台サポーターから見れば。
そこにあるのは。
名前と。
ポジション表記だけ。
DMF。
それだけ。
エストレヤ千葉の内部で。
二か月以上。
何をしてきたのか。
知らない。
どこを見ているのか。
知らない。
何を狙っているのか。
知らない。
◇
「比企谷って、またいるんだよな」
一人が。
千葉ベンチの方向を見ながら言った。
「そりゃスタッフなんだからいるだろ」
「いや、そうじゃなくて」
前回対戦。
試合後。
仙台サポーターの間でも。
少しだけ話題になった名前があった。
エストレヤ千葉の分析担当。
比企谷八幡。
仙台の守備の癖。
選手の動き。
どこにスペースができるのか。
そこを。
千葉はかなり細かく突いてきたのではないか。
そんな話。
もちろん。
観客に。
クラブ内部の事情など分からない。
それでも。
7対0という結果を見せられれば。
気にはなる。
「今回も分析してるだろ」
「当然」
「今の仙台を?」
「当然だろ」
「じゃあ」
背番号25。
背番号23。
そこを見る。
「この二人も、何か理由あるんだろうな」
「……だろうな」
◇
その頃。
両チームの選手たちが。
ウォーミングアップのため。
ピッチへ姿を見せた。
ホームスタンドから。
一気に歓声が上がる。
「仙台!」
「行けぇぇぇ!」
「今日はやり返せ!」
前回。
0対7。
だからこそ。
今日は。
勝ちたい。
仙台は変わった。
それを。
証明したい。
◇
反対側では。
千葉の選手たちも。
ウォーミングアップを始める。
小林。
普通に走っている。
普通にボールを蹴る。
軽くパスを出す。
それだけ。
仙台サポーターたちが。
じっと見る。
「……何か分かる?」
「全然」
「アンカーっぽい?」
「アップで分かるわけないだろ」
「だよな」
次。
宍道。
19歳。
こちらも。
普通に動いている。
「初出場には見えないな」
「いや、顔めっちゃ緊張してない?」
「あ、してるわ」
少し。
笑いが起きた。
◇
だが。
結局。
視線は。
また小林へ戻る。
「25番」
「うん」
「俺、あそこが一番嫌だ」
「何するか分かんないから?」
「それもある」
少し。
間。
「前回の千葉ってさ」
「うん」
「こっちが『何でそんなことするんだ?』って思ってたことが」
男は。
ピッチを見た。
「全部、後から意味あるって分かったじゃん」
隣の男が。
静かに頷く。
「だから今回も」
「そう」
背番号25。
中盤の底。
未知。
「今は変に見えるけど」
少し顔をしかめる。
「試合始まったら、『そういうことか』ってなる気がするんだよ」
◇
第33節。
バーバリスタジアム。
仙台アステルFC。
対。
エストレヤ千葉。
仙台サポーターは千葉の奇妙なスターティングメンバーを見ながら。
まだその意味を知らない。
だが一度経験している。
前回対戦。
理解しづらいことをいきなり始めた千葉。
そしてその意味に気づいた頃には。
仙台を完全に飲み込んでいた。
だからこそ今日の。
**小林庄雅、DMF。**
そして。
**宍道務、公式戦初出場初先発。**
その二つの未知を単なる奇策だと笑い飛ばすことができなかった。
「……頼むから」
一人の仙台サポーターがピッチを見つめながら小さく呟いた。
「今日は普通の意味不明であってくれよ」
隣の男が苦笑する。
「意味分からん願い方だな」
「だって」
もう一度千葉の選手たちを見る。
「また『全部狙ってました』だったら、嫌すぎるだろ」
それには誰も反論できなかった。