第405話 見つけたつもりの答え
第405話 見つけたつもりの答え
ハーフタイム。バーバリスタジアムの一角にある仙台アステルFCの控室には、重たい空気が流れていた。
スコアは0対1。前半三十八分、ダニエル・ロドリゲスに先制点を奪われた。しかも、その始まりは仙台が攻撃へ出ようとした瞬間だった。ダニー・フォーレンが前線へ差し込んだ縦パスを小林庄雅に読まれ、そこからエミリオを経由して右のダニエルへ展開され、一気にゴールまで運ばれている。
「……くそ」
安西清勝はベンチへ腰を下ろすと、首に掛けていたタオルで乱暴に顔を拭った。
前半、仙台がボールを持てなかったわけではない。むしろ保持している時間自体は決して少なくなかった。問題は、そこから前へ進めなかったことだ。
後方から繋ごうとすれば、最前線から宍道務が走ってくる。19歳。今日が公式戦初出場とは思えないほど、千葉の背番号23は迷いなくプレスをかけ続けていた。ただボールを追い回しているわけではない。中央へのコースを切りながら、仙台が出せる場所そのものを狭めてくる。
そして、そこを越えて中央へ入れようとすれば、今度は小林がいる。
安西は前半を思い返しながら、思わず小さく呟いた。
「……あいつ、本当にFWかよ」
誰もすぐには答えなかった。そもそも、その疑問は安西一人だけのものではない。この控室にいる誰もが、似たようなことを考えていた。
◇
少し離れた場所では、ダニー・フォーレンが椅子へ深く腰掛け、水を飲んでいた。
表情は険しい。
前半、これほど長い時間にわたって試合から切り離された経験は、フォーレンにもほとんどなかった。
中央で要求しても、ボールが入ってこない。受けようと動けば、小林がパスコースへ入る。低い位置まで下がれば戸塚やエミリオが前を塞ぎ、もう一度中央へ戻れば、また小林が待っている。
何より腹立たしいのは、マンマークではないことだった。
小林はフォーレンだけを追い回しているわけではない。むしろ何メートルも距離を取っている場面の方が多い。それなのに、いざ縦パスが出れば、その瞬間だけ先に軌道へ入ってくる。
触れない。
関われない。
自分が最も得意としてきた中央で、自分だけが試合から外されている。その感覚が、前半の終盤までフォーレンを苛立たせ続けていた。
「ダニー」
監督の声が飛んだ。
フォーレンはボトルを置き、顔を上げる。
◇
仙台の監督はホワイトボードとモニターの前に立っていた。
「前半最後の形を確認する」
その言葉に、選手たちの視線が一斉に集まった。
モニターに映し出されたのは、前半終了間際の場面だった。仙台がこの試合で最もゴールへ近づいた攻撃である。
右サイドで安西がボールを持っている。その時、フォーレンは本来の中央にはいなかった。少し外へ流れ、右のハーフスペースへ立っていた。
小林の正面を避けた位置。
安西からパスを受ける。
前を向く。
そこから橋本と宇津木の間に生まれた、ほんのわずかなゲートへ縦パスを通す。
CFが抜け出し、シュート。
最後は玉縄幸三に止められた。
そこで映像が止まった。
「これだ」
監督が言う。
フォーレンは黙ったまま画面を見つめた。安西も小さく頷いている。
「中央にこだわる必要はない」
監督はホワイトボード上に置かれていたフォーレンの駒を、少し右へ動かした。
次に指したのは中央に置かれた背番号25、小林の駒だった。
「こいつは中央を守っている。しかも前半を見る限り、外まで追ってくるタイプじゃない」
「そうですね」
分析スタッフの一人が補足する。
「フォーレンが大きく右へ出た時、小林はついていきませんでした。中央へ残っています」
フォーレンの眉がわずかに動いた。
その通りだった。
前半終了間際、自分が右へ大きく流れた時、小林は中央を捨てなかった。だからこそフォーレンはそこで初めて、前向きでボールを持つことができた。そして、自分らしい縦パスを通せた。
「なら、後半もそこを使う」
監督の言葉に、安西が少し身を乗り出した。
「右を厚くしますか?」
「ああ。ダニー、安西、右SB。必要ならボランチも一枚近づける」
中央で小林と正面から勝負する必要はない。
小林を中央へ残したまま、自分たちが横へずれればいい。
フォーレンは静かに頷いた。
それなら話は分かる。
◇
思い返せば、前半の自分は少し意地になっていたのかもしれない。
中央の狭いスペース。
そこは自分の場所だ。
そこで受け、前を向き、守備の間へ決定的なパスを入れる。それがダニー・フォーレンという選手の価値だと思っていた。
だから、何度消されても同じ場所へ戻った。
だが。
小林がそこを待っているのなら、別に正面から倒す必要はない。
場所を変えればいい。
そう考えた瞬間、フォーレンの表情から少しだけ苛立ちが抜けた。
「俺が右へ出れば、高山と塩川が来る」
「来るだろうな」
監督が頷く。
「そこで安西と右SBを使う」
安西もホワイトボードへ視線を向けた。
フォーレン、安西、右SB。
千葉側は塩川と高山。
「三対二を作る?」
「理想はな。ただし、数だけの問題じゃない」
監督は駒を動かしながら説明を続けた。
フォーレンが外へ出れば、千葉側にも対応が必要になる。塩川が中へ絞るのか、高山が前へ出るのか、それともエミリオが右へ寄るのか。
誰かが動けば、別の場所が空く。
「相手を動かせ。前半は、こっちが動かされた」
その言葉に、安西の表情がわずかに険しくなった。
まさにその通りだった。
宍道が前から出口を限定し、その先で小林が中央を管理する。仙台は自分たちでパスを選んでいるつもりだったが、実際には千葉に出す場所を選ばされていた。
「後半は、こっちから動かす」
安西が低い声で言った。
監督は頷いた。
「ああ」
◇
今度は映像が少し巻き戻された。
フォーレンへパスが入る前。
仙台のCFが中央から少し下りている。
監督はそこで映像を止めた。
「CFも重要だ」
ホワイトボード上のCFの駒を下げる。
「25番の意識を引きつけろ」
仙台のCFが頷いた。
「自分が受けなくてもいいですか?」
「ああ。むしろ受けることだけを考えるな。お前が動けば、小林は一度見る。そこでダニーへのコースができる」
小林を中央から完全に引きずり出す必要はない。
一歩。
あるいは視線だけでもいい。
一瞬だけ意識をずらせれば、その間にフォーレンが右へ移動し、前向きで受けられる。
そこへ安西が加わる。
「ダニーが右へ来たら、俺が中へ入るのもありですね」
「もちろんだ」
監督はすぐに答えた。
安西が内側。
フォーレンが右のハーフスペース。
右SBが大外。
三人で立ち位置を入れ替える。
「固定するな。25番に狙いを絞らせるな」
「はい」
選手たちが次々と頷いた。
少しずつ控室の中へ、ある感覚が広がり始める。
答えを見つけた、そんな感覚だった。
◇
フォーレン自身も、前半最後のプレーを思い返していた。
右へ流れた。
安西から受けた。
前を向いた、そして通した。
橋本と宇津木の間。
狭いゲート。
あそこへ自分のパスは届いた。
最後に玉縄が止めただけだ。
つまり、できる。
「俺が外へ行けば、25番は来ない」
フォーレンが静かに言った。
「前半を見る限りではな」
監督が答える。
そこが重要だった。
小林は追い回すタイプではない。身体をぶつけ続けるわけでもなく、激しいタックルを繰り返すわけでもない。
中央に立ち、そこでパスを読む。
なら勝負する場所そのものを、その中央から外してしまえばいい。
「さっきの形、続けよう」
安西がフォーレンを見る。
「ああ」
「お前が右で受けたら、俺が近づく」
「俺が中へ入ったら?」
「SBを外へ使う。逆もありだ」
「それでいい」
二人の会話が、少しずつ増えていく。
前半には作れなかった連係のイメージが、はっきりしてきた。
監督はそれを止めず、そのまま次の修正へ移った。
◇
「後ろからの前進も変える」
分析スタッフが、今度は宍道の駒をホワイトボードへ置いた。
仙台のCBたちが顔を上げる。
「23番のプレス。想定以上でした」
誰も否定しなかった。
19歳。
公式戦初出場。
その情報もあり、仙台側はそこまで警戒していなかった。
だが実際には、宍道はかなり厄介だった。
ただ走るだけではない。
中央へのコースを切る。
外へ誘導する。
後ろへ戻せば、また走る。
仙台が一番使いたい中央への入口を消し続けていた。
「真正面から剥がそうとするな。一度GKを使って逆へ振る。ボランチも一枚、最終ライン近くまで下りる」
後方で数的優位を作る。
そして宍道一人に、できるだけ長い距離を走らせる。
「走らせろ」
監督が付け加えた。
「前半、かなり走っている。後半まで同じ強度が続くとは限らない」
それも理屈は通っていた。
初出場の19歳。
前半から高い強度で動き続けている。
後半のどこかで疲労が出る。
そう考えるのは自然だった。
◇
監督は最後に、全員へ向き直った。
「後半の最初の十分、急ぐな」
仙台は一点負けている。
だがまだ四十五分ある。
「千葉は前半の形が成功したと思っている。なら、その形を外す」
小林の駒を指す。
「25番の守備を避ける」
次に宍道。
「23番のプレスを空転させる」
そして、右サイドの三つの駒へ指を移した。
安西。
フォーレン。
右SB。
「ここから前進する」
狙いは明確だった。
◇
安西が、少しだけ笑った。
「やっとやり返せるな」
前半はフラストレーションが溜まり続けた。
右で受けても次がない。
中央へ入れれば小林が消す。
ならばその小林を無理に攻略しない。
無視する。
勝負する場所そのものを変える。
「前回みたいにはしない」
安西の声は低かった。
第16節。
0対7。
忘れていない。
そして今日も、前半は千葉に先手を取られた。
それでも今回は違う。
まだ一点差。
そしてハーフタイムで修正できている。
「まだ一点だ」
安西は周囲を見渡した。
「一点返せば、流れは変わる」
「そうだ」
「取り返そう」
あちこちから声が返る。
数分前まで控室を覆っていた重たい空気は、もうほとんど消えていた。
◇
フォーレンも椅子から立ち上がる。
前半、これほど試合へ入れなかったのは初めてだった。
悔しかったプライドも傷ついた。
だが最後に一本、自分らしいパスを通した。
その感触は、まだ右足に残っている。
「ダニー」
監督が呼ぶ。
「はい」
「中央へ戻ることにこだわるな」
フォーレンは一瞬だけ黙った。
前半の自分なら、その言葉を素直に受け入れられなかったかもしれない。
しかし今は違う。
「分かりました」
「外で受けろ。前を向いたら――」
監督はフォーレンを真っ直ぐ見た。
「お前のパスで壊せ」
その瞬間フォーレンの目に、少しだけ力が戻った。
「はい」
自分のパス。
それを求められている。
フォーレンにとって、それ以上に分かりやすい言葉はなかった。
「次は通します」
横から安西が口を挟む。
「通せ」
「決めさせろ」
「そっちは任せる」
二人は軽く拳を合わせた。
◇
仙台の控室には、数分前とはまるで違う空気が流れていた。
後半どう戦うか。
答えを見つけた。
誰もが、そう思っていた。
フォーレンを中央で小林の前に立たせ続けない。
右のハーフスペースへ動かす。
そこへ安西と右SBを絡ませる。
CFが下りて小林の意識を中央へ引きつける。
その隙にフォーレンが前向きで受ける。
そして前半最後に一度通った縦パスを、もう一度ゴール前へ届ける。
「いいか」
監督が最後に選手たちを見渡した。
「前半最後に突破口は見つけた。後半は、それを続ける」
「はい!」
「まず一点。取り返すぞ」
「はい!」
選手たちが一斉に立ち上がった。
安西がキャプテンとして先頭へ向かう。フォーレンも、そのすぐ後ろに続いた。
前半終了直後とは明らかに顔つきが違う。
◇
控室の扉が開いた。
その向こうから、バーバリスタジアムの大歓声が流れ込んでくる。
「仙台!」
「行けぇぇぇ!」
「追いつけ!」
その声を背中に受けながら、安西が通路を歩いていく。
フォーレンも隣へ並んだ。
「ダニー」
「何?」
「右、使うぞ」
「ああ」
「最後みたいに」
「ああ」
短い確認、それだけで十分だった。
仙台アステルFCは、自分たちなりの答えを持って後半へ向かっていく。
小林の守る中央を避ける。
フォーレンを右へ移す。
安西、右SBと絡みながら千葉を横へ動かし、空いた場所へフォーレンのパスを刺す。
それこそが、前半の苦しさを打ち破る突破口だと仙台は信じていた。
◇
だが同じ頃、反対側のエストレヤ千葉の控室でも。
まったく同じの前半終了間際の映像が映し出されていた。
右へ流れたフォーレン。
そこへパスをつけた安西。
外側を上がる右SB。
そして中央に残った小林。
千葉も見ていた。
フォーレンが中央で小林と勝負し続けることを諦めたことを。
右へ流れれば前を向けると気づいたことを。
安西と右SBを絡ませれば、そこから前進できると考えるであろうことを。
そして前半最後に成功したその形を。
後半も仙台が使おうとすることまですでに想定していた。
仙台はまだ知らない。
自分たちがようやく見つけたと思っている突破口の先に。
エストレヤ千葉がもう次の守り方を用意していることを。