悼むという痛み
悼むという痛み
―― 六日目 ―― 昨日も今日も、特に何もありませんでした。 エリオットは様子見のようです。 ―― 七日目 ―― サメがほとんど居なくなりました。 エリオットは王都へ行くと言い、出て行きました。 『教授の鞭』はお貸ししました。 ―― 八日目 ―― エリオットが帰ってきました。 王都へは辿りつけなかったようです。 そのかわり巨大な蛸のような魔物に追われていました。 エリオットは空が暗くなるまで戦い続け、お店の照明が辺りを照らす頃になると、巨大な蛸は砂の下に沈んで消えました。 ―― 九日目 ―― 日が昇ると蛸の魔物は襲ってきます。エリオットによるとそれはクラーケンと言う魔物だそうです。 サンドワームよりも遥かに大きなクラーケンでも、やはりこのお店を壊す事は出来ないようです。 クラーケンの足はどれももの凄く太いのですが、その中でも特別に細い足がお店の中に侵入してくるので、エリオットは籠城する事も出来ず、外に出て戦いを挑んでいます。 瀕死になりながらも、激闘を繰り広げていました。 夜になるとクラーケンは遠ざかって砂に潜り、姿を消します。 私はポーションをお売りする事くらいしか出来ません。 ―― 十日目 ―― エリオットが死にました。 ―― 十一日目 ―― 砂漠だった痕跡は跡形も無く、今は元の草原に戻っていました。 先程まで吹いていた風も凪ぎ、穏やかな風景の中、遠くに馬車が見えました。 御者台には知らない騎士の人が乗っています。 馬車はお店の前まで来ると停車し、幌の中からランドルフが出てきました。「やあサオリ、元気だったかい?」 一人店内に入ってきて、ランドルフは挨拶してきます。「ランドルフ……」「どうした、何かあったのか?」「私、私……」 私はカウンターから飛び出して、ランドルフに抱きつきました。 ランドルフは背が高いので、私の顔はちょうどその胸の下辺りになります。「うわあああああ! 私……私! 見捨てた! 助けなかったの! 殺したの! わああああ!」 私はランドルフの胸で号泣してしまいました。 ―― 再び十日目 ――「があっ!」 エリオットが血を吐きながら、店内に倒れ込みました。「ポーションを!」 外には巨大な蛸の足が何本も、砂の海から生えています。 やがてそれらはお店全体を包み込みました。 ミシミシと軋んだ音はしますが、お店は無事です。「くそっ、魔法がほとんど効かねえ。剣持ちが居ないと無理だ」 ナイフと鞭だけでは対抗出来ないと、エリオットは嘆きます。「逃げる事も出来ませんか?」「やつは足も速い、王都とここまでの距離を計算して、近いと判断したここに辿りつくのもギリギリだった」 武器は他にありません。どうする事も出来ないのでしょうか。 エリオットは何やら考えた後に立ち上がり、カウンターの前に来ました。「サオリ、このペンを持っていてくれ。今のところこいつの価値は不明だが、鞭の代金の代りと思ってくれていい」 例の羽根ペンをカウンターに置きました。 鞭の原価を知ってしまった私は無償でお貸ししましたが、返ってこないのも覚悟の上でお渡ししたのです。 でも、それの代りにペンを置いて行くと、エリオットは言います。「いいのですか? そのペンは苦労して手に入れたものなのでしょう?」「そのうち金を持ってくるから、その時に返してくれればいい」 私はカウンター越しにエリオットと向き合い、羽根ペンに目を落とします。 それを手に取ろうと腕を伸ばしました。 カウンターのちょうど真ん中に結界は発生しています。 その結界を私の腕が超えて羽根ペンを掴もうとした瞬間、エリオットに腕を掴まれました。「え?」 私は視線をエリオットの顔に戻します。 彼は、これは冗談でも何でもないといった真面目な表情でした。「言ったろう? 俺は利用出来るものは利用する主義なんだ」 私の力ではエリオットに抵抗して、腕を戻す事も出来ません。「俺をその結界に入れてくれ。君に危害は加えない」「……」 私の右手首がエリオットの左手で強く掴まれています。 そして彼の右手にはナイフがありました。「そう言いながらナイフですか? 信じられません」「結界に入れてくれたら、危害は加えないと言ってるんだ」「入れなかったら?」「このナイフが君の手首を切るかも知れない」「……」 どうする!? どうする私!! まさかエリオットがこんな事をするとは、思いませんでした。 それ程までに切羽詰っているという事でしょうか。 私が許可をすれば彼は結界に入れるでしょう。試した事はありませんがそんな気がします。 でも、それでいいのでしょうか。一時しのぎにしかならないのは本人も分かっていると思います。 外ではいまだにクラーケンがお店を破壊しようと、その巨大な足で覆っています。 お店はまだ大丈夫みたいですが、どこまで耐えられるのかは分かりません。 私が彼を結界に入れたとして、その後どうなるのでしょう。 ずっと彼と二人で過ごさなければならないのでしょうか。彼がここに居る限り、クラーケンも居続けるはずです。「クラーケンはどうするのですか?」「やつが諦めるまで待つ。もしくは君が強力な武器を仕入れてくれ」「そんな……」 クラーケンが諦めるとは思えませんでした。武器だって発注出来るようになるのか分かりません。 もし発注出来たとしても、外にクラーケンが居る限り、荷物が届く事もないでしょう。「どうする? そろそろ俺を結界に入れてくれてもいいんじゃないか? 君に何もしないと約束するさ」「私、私……」「少し休みたいだけなんだ。頼むよサオリ、少しでいい」 嘘だ……。男が女にこんな頼みごとをして、言葉通りに済むはずがありません。 私の男性に対する偏見や頑なな意志は、決して想像だけのものではないのです。 悲しいかな経験として身についてしまったものなのです。そうでもなかったら、とっくに結界の中に呼んでいます。 でも一つだけ引っかかる事があります。 何故エリオットは私を掴んでおきながら、結界から引きずり出そうとしないのでしょう。 考えられる事はエリオットは無理強いよりも、私の意思で選ばせようとしているのだという事です。 結界に入れた時の、これからの関係性を危惧しての事でしょう。 私からして見れば、ナイフで脅された時点でどっちも同じ事なのですけれど。 ならば――「いいです。手首でもなんでも切ってください。私はそれでもあなたをこちら側へは入れません」 私はエリオットは決して、危害を加えてくる事はないと判断しました。 ここで手首を切るくらいなら、私を引きずり出す事でしょう。 私のその言葉にエリオットは少し驚いた顔をして、すぐに笑顔になりました。「やっぱり。君はSランクの素質があるよ。人生は選択肢の連続なんだ、俺たちはその選択を瞬時に見極めなければ生き残れない。君にとって最悪と思えるような選択を選べる、君のその意志に俺は驚愕する。君はきっと――」 その言葉の続きは聞けませんでした。 クラーケンの足があっという間にエリオットを 攫 ( さら ) っていったのです。 ほとんど音も立てずに、一瞬の出来事でした。 気付いたら目の前のエリオットが消えていたのです。 彼は私を巻き添えにしませんでした。 私は少しも引っ張られる事もなく、エリオットだけが消えました。 カウンターの上には羽根ペンが残されています。「エリオット!?」 外を見ればクラーケンの足を体に巻きつけたエリオットが、砂の海に沈む所でした。「エリオット!!!」 クラーケンはエリオットを連れて、砂を巻き上げながら潜っていきました。 それっきり辺りは何事もなかったかのように、静まり返ります。 やがて砂漠は次第にその姿を、元の草原へと戻しました。 目的が達成されたのでしょう。――エリオットを殺すという目的が。 私のせいでしょうか。 私が結界に入れなかったせいです。 だから私が殺したようなものなのです。 こんな結果、分かり切っていた事ではないでしょうか。 私はいったい何に嘆くのでしょう。 あんな化け物に、勝てるはずもなかったじゃないですか。 自分でそうしておいて、何で私は泣いているのでしょう。 そうなるかもと思っていながら、いざそうなると、私は泣くのです。 そんな女なのです。「私がエリオットを……」 私は安全な結界の中で、消えたエリオットを悼むのです。