その可愛いいきもの
その可愛いいきもの
ランドルフが帰った後も私は、バックルームで羽根ペンの検証を続けていました。 出来立てのコロッケを齧りながら、思いついた言葉を適当に、ノートに書き連ねていきます。『異世界、コンビニ、電気、カフェラテ、地球、神様お願いします私を十七歳にしてください、元の世界に返して下さい、お風呂作って下さい、ベッドも下さい、ラミパスラミパスルルルルル、雨よ降れ、ピピルマピピルマプリリンパ、ABCD、エリオット』 死んでしまったら嫌なので、人名は控えました。 そしてエリオットの名前を書いても、彼が戻って来るはずもありませんでした。『白井沙織』 思い切って自分の名前も書いてみました。 何も起きません。もしかして書く事以外の使い道があるのでしょうか。『天使』「あっ」 その文字を書いた時、一瞬だけ光ったような気がしました。『天使』 やはり一瞬だけ光ります。パスワードの一つを解いた感じがします。「エリオットが言っていた天使の名前はなんだっけ……たしか」『第一天使ミカエル』 第一天使という部分だけが光りました。名前を間違えたのでしょうか。 私の頭の中では、天使ミカエルだと思っていましたが。「あっ読み方?」 ミカエルの部分を、違う読みにしてみます。『第一天使ミシェール』 文字すべてが光りました。その光も今度は消えません。 代りに文字が消えます。一文字、一文字剥がれるように。 光が大きくなり、眩しくて目を開けていられなくなりました。 やがて光が小さくなっていくのが分かり、薄目を開けた時、私の目の前には――「魔王? どこ?」 十歳くらいの可愛い女の子が、きょとんとした様子で、広げたノートの上に座っていました。 肩に掛かる薄い青の髪と、薄い青の瞳、白いワンピース姿のその少女は、どこからどう見ても、美少女です。「どっ、どこから出てきたの!?」 私の問いかけに答える事もなく、可愛い少女はキョロキョロとしています。「えっと……天使様かな?」 やっと私に、その薄い青色の瞳を向けてくれました。「私は第三天使ラフィー。ミシェールはあの場所から動けない。私来た。魔王居ない。帰る」 なんだか片言で喋る女の子は天使らしいのですが、帰ると言い出したので、待ったをかけます。「お願いだからすぐに帰らないで。……私はサオリよ。こんにちはラフィー。あなた神様って知ってる?」「……」 彼女の視線の先には、私の食べかけのコロッケがありました。「コロッケよ。食べかけだけど食べてみる?」 ラフィーは無言でうんうんと頷いて、私が齧ったコロッケを受け取って口にしました。「なにっ! これっ! うまっ!」 あっという間に食べてしまいました。……お気に召したようです。「よかったら新しく作るわ。食べる?」 ラフィーはうんうんと無言で首を縦に振り、それにつられて薄い青の髪がさらさらと揺れます。 エリオットの言っていた天使とも、荷物を届けていた天使とも違うようです。 あちらはミシェールという名前と、もう一人、フーゴさんの目撃した天使は金髪だと言っていました。 いったい天使は何人居るのでしょう。「じゃあ作るからそこで待っててね、勝手に帰っちゃ駄目よ?」 ラフィーは 三度 ( みたび ) 頷きます。なんて可愛いのだろう。私は本物の美少女というものに、初めて出会った気がしました。 フライヤーにコロッケを四個置いて、Bモード三番のボタンを押します。あとは六分待つだけです。 天使は少食かしら? さっきの食べっぷりなら四個くらい食べちゃうかな。 バックルームのラフィーの所へ戻ると、彼女は椅子に大人しく座っていました。 「ねえラフィー、あなたは神様の元から来たの?」「うん。ジダルジータは神。私、第三天使ラフィー」 神様きた! 本当に居るんだ!? 私の鼓動は高鳴ります。「魔王居ないのに……呼んだ?」 ラフィーから話しかけてきました。そういえば、さっきも魔王という単語を口にしていました。「ここには魔王は居ないわ。魔王が居たらどうするの?」「魔王倒す人の手伝い、する。居ないなら、帰る」「ちょっと待ってね、今コロッケ作ってるから! もうちょっとここに居てちょうだい!」 私は懇願しました。ここで帰られても困ります。せっかくの手掛かりなのです。「……ころっけ」 あ、よだれ垂らしてる……か、かわいい……可愛すぎる。 コロッケはまだ出来ません。 待っている時間を繋ぐために、私はウォークインの中の冷えたコーラを持ってきました。 ペットボトルのキャップを開けてから、ラフィーに差し出します。「コーラよ。飲んでみる?」「こーな?」 両手で受け取る手の小ささと、その仕草に胸を打たれます。この可愛い生き物はいったい何なのでしょう。 ……天使でした。 両手持ちでペットボトルを傾け、コクコクと飲んだラフィーは――「おくち……しびれる。しゅわしゅわするぅ」 ――初めての炭酸飲料に目を >< ( バッテン ) にしています。 私は思わずラフィーを抱きしめていました。そうせずにはいられなかったのです。「可愛すぎるよぉぉぉ!」「ん?」 大人しく抱きしめられているラフィーは、きょとんとしながらも嫌がりませんでした。 私はいったい何をやっているのでしょう。肝心の話も聞けていないのに、ただ少女を抱きしめています。「ごめんごめん。ゆっくり飲んでね。もうすぐコロッケも出来るわ」 小さな頭を撫でて離れます。抱きしめた時の柔らかな感触と、何とも言えない感覚に感動を覚え、私の全身は震えました。 まるで何か、とても柔らかくて温かい塊をぶつけられたような、訳の分からない感覚でした。 その何かは何故か――『慈愛』という単語が思い浮かびます。 これが……天使。 自然にそう思えました。 ピーッピーッとフライヤーの終了音が鳴っています。 私はフライヤーの所へ行き、ペーパーを敷いたトレイにコロッケ四個を移しました。 一度ペーパーの上に乗せる事で、余計な油を抜くのです。 中濃ソースは使うかしら? このままでも美味しいのでとりあえず持っていきましょう。「はい、お待たせしました。揚げたてのコロッケよ」 一個ずつ専用の小さな紙袋に入れてあげます。 この袋は真ん中にミシン目が入っていて、そこから切れば袋の下半分が残り、上にコロッケが出るので手を汚さずに食べられるのです。「袋ごと食べちゃだめーーーっ!」 いつの間にか一個を食べきってしまっていて、袋ごと口にしていました。「ぺってして、ぺって」「ぺっぺっ」 ああ……可愛いよぉ。どうしよう……私の母性が目覚めてしまったかもしれません。 いや、だからこんな事をしている場合ではないのです。早く情報が欲しいのです。「ねえラフィー。神様って、違う世界からこっちの世界に人を転移させたり出来る人?」 まずそれが出来るか出来ないか、教えてもらわないといけません。 ラフィーは少し考えた後――「わかんない」 一言呟いてから、残りのコロッケに取り掛かりました。 わかんない……か。これでは私が直接、神様の所へ行くしかないじゃないですか。「ラフィーは私をその神様の所へ連れて行く事は出来る?……その、転移とかでパッと」「ラフィーできない」「あら、ならここからどうやって帰ろうとしてたの?」「歩き」「……」 もしかして神様の居る場所って近いのでしょうか。「ここから近かったりするの? 神様の居る所」「わかんない」「……」 まって、確かエリオットの話では、洞窟から何日か逃げていたって言っていました。 その何日かが思い出せません。何十日とかだったと思います。 しかも魔物たちと戦いながらです。もしかしたら本当にそんなに遠くでもないのかもしれません。 でも例え近くても、私が歩いて辿りつけるとも思えませんでした。お店の外は、魔物が闊歩する恐怖の世界なのです。 ラフィーはコロッケとコーラを交互に口にして、満足げです。「こーなおいしい」 ああ、癒される……。 ランドルフに相談したい所なのですが、明日までこの子はここに居てくれるでしょうか。「そういえばここには結界があるんだけど、ラフィーは弾かれないのね? 体、なんともない?」 ランドルフがトイレの壁を壊した時は、結界に弾き飛ばされていました。 ラフィーは私が 認める ( ・・・ ) 前から結界の中に居ます。 現れたのが結界の中だからでしょうか?「けっかい?」 ラフィーは首をかしげます。仕草ひとつひとつがすべて可愛いです。「あー」 何かを思い出したようでした。「けっかいはー」「結界は?」 ラフィーの可愛さに浮かれていた私は、次の瞬間、現実に引き戻されました。 私は馬鹿でした。ここは異世界なのです。しかも今相手にしているのは天使なのです。 その可愛い容姿しか私は見ていませんでした。それがどんな存在なのかも知らなかったのです。 この世のものとは思えない可愛い笑顔で、ラフィーが口にした言葉は――「邪魔だったからけした」 ――この世のものとは思えない言葉として、私に聞こえました。