第15話 森のてっぺんまで
第15話 森のてっぺんまで
森の町へ入った瞬間、アデマールは足を止めた。太い幹が何本も空へ伸び、その途中に家や店が張りつくように建っている。隣の巨木へ渡る木道は枝の高さを縫い、さらに上では吊り橋が風に揺れていた。オルヴァンは早くも一番高い木道を目で追っている。「アデ、あそこまで行けるみたいです」「行く?」「もちろんです」宿へ荷物を置く前に、今日の予定が一つ決まった。****翌朝、二人は町の半ばまで登ったところにある茶店で朝食を取っていた。太い枝そのものが店の床を貫き、柵の向こうには一面の緑が広がっている。遥か下の木道を渡る人々は、葉の隙間から時折小さく覗くだけだった。香草茶の隣には、赤い果実を煮詰めた焼き菓子が二つ並んでいる。オルヴァンが一口食べると、すぐにもう一口続いた。「気に入った?」アデマールが笑う。「酸っぱいと思ったら、後から甘くなります。アデも食べてください」差し出された菓子へ、そのまま口を寄せる。「うまい」「でしょう?」オルヴァンは満足そうに自分の分を食べ直した。食後、店先に吊るされた木製の音飾りへ目を留める。細い木片が重なり、風を受けるたび柔らかな音を鳴らしていた。オルヴァンは一つずつ指先で揺らす。「これは少し高いですね」「こっちは?」「柔らかいです」「俺にはかなり似て聞こえる」「では、アデは形で選んでください」アデマールは白木に青い石が埋め込まれたものを取った。オルヴァンが鳴らす。澄んだ音が一つ、長く残った。「これにします」「早いな」「アデが選びましたから」アデマールが会計へ向かうと、オルヴァンも財布を出した。「僕が払いますよ」「俺も欲しい」「音の違いはほとんど分からなかったでしょう」「オルが気に入ったやつなら、俺も欲しいよ」オルヴァンの口元が緩む。「では、一つを二人で持ちましょう」「うん。旅の間、宿に飾ろう」包みを受け取ると、二人は次の木道へ向かった。****森の町には、歩く以外の移動手段もあった。二本の巨木の間に太い綱が張られ、腰帯につけた滑車で向こう側まで一気に渡る。係のエルフが道具を締めながら説明する。「両手でここを持つ。向こうで係が受け止めるから、着く前に足を出せばいい」先にアデマールが踏み台を蹴った。「おおっ!」風を切って森の上を滑る。到着する頃には、完全に笑っていた。続いてオルヴァンが滑り出す。白い上着が風をはらみ、葉の海を背にして近づいてきた。アデマールは係員の横へ並び、腕を広げる。「オル!」「係の方がいますよ!」「俺もいる!」到着したオルヴァンの腰を抱え、係員と一緒に勢いを止める。「着いた」「はい。分かります」そう答えながら、オルヴァンはアデマールの腕から離れず、そのまま肩越しに次の滑走路を見た。「もう一回乗ります?」「行こう」係員が笑って、戻りの乗り場を指した。二人は本当にもう一往復した。****昼前、宿の主人から近くの果樹園が収穫日だと教えてもらった。町の外縁に近い森へ進むと、日当たりのいい斜面に果樹が何本も並んでいる。どの木も高く、赤や橙の実は頭上の枝へ点々とついていた。木の下には籠と長梯子が並び、エルフたちが綱を腰へ結んで次々に登っていく。年配の男が二人へ声をかけた。「旅の人か。収穫を見るなら、一緒にやっていくか?」アデマールがすぐに答える。「やる」「僕も参加します」年配の男が笑い、近くにいた若い女性を呼んだ。「今日はこいつが仕切ってる。採る場所はこいつに聞いてくれ」女性は木札を片手に、作業中の仲間へ次々と声を飛ばしていた。「東側はあと二籠。西の木は上だけ残して。そこの梯子、次は奥へ回して」年配の男はその指示を聞きながら、口元だけで笑っている。女性がアデマールへ向き直った。「木には登れます?」「登れるよ」「収穫用の綱は掛け方が違います。一度やってみせますね」熟練のエルフが梯子を上り、太い枝へ移る。腰の綱を幹へ回し、足場を確かめながらさらに上へ進んだ。アデマールは一連の動きを追う。男が降りてくる。「だいたいこんな――」アデマールはもう梯子へ足を掛けていた。枝へ移り、教わった通りに綱を掛け替える。そのまま太い幹を回り込み、迷いなく上へ進んでいった。熟練の男が途中から首を反らす。「おい、速い速い!」「この辺から採ればいい?」「いや、熟してるやつを選ぶんだ! 赤けりゃ全部いいわけじゃ――」「アデ、右へ二本目の枝です」地上にいたオルヴァンが声を上げた。アデマールが右を見る。「どれ?」「葉の奥に三つ並んでいます。手前より色が濃いです」葉を分けると、熟した実が三つ現れた。「これだ」「はい」一緒に見上げていたエルフが眉を寄せる。「どこから分かった?」オルヴァンは別の枝を指した。「あちらにも二つあります。枝が分かれた先です」男が目を凝らす。「……俺には葉しか見えんぞ」上にいたアデマールが数歩移動し、指された場所を掻き分ける。「二つあった!」今度は別のエルフまでオルヴァンの隣へ来た。「次は?」オルヴァンは木全体へ視線を巡らせた。「アデの左上。黄色い葉が固まっている少し奥です」「了解」アデマールは枝から枝へ移り、赤い実だけを籠へ入れていく。最初に登り方を教えた男も、別の枝へ上がった。しばらくして上から叫ぶ。「お前、何で俺より先に向こうへいるんだ!」アデマールが笑う。「分かりやすかったから!」「何がだ!」下で笑いが起きた。****収穫は昼を過ぎても続いた。オルヴァンも低い枝の実を摘みながら、上の作業者へ熟した場所を伝える。アデマールはいつの間にか一番高い枝まで担当していた。隣の木から短い叫びが上がった。枝へ掛けていた籠の紐が外れ、果実を詰めた籠が落ちる。アデマールの身体が先に動いた。今いる枝を蹴り、隣の木へ渡る。途中の枝へ片足を置き、さらに下へ身体を投げ出した。落下する籠へ腕を伸ばす。あと僅か。アデマールは枝へ脚を絡め、そのまま逆さになった。片手が籠の取っ手を掴む。籠が止まった。中から一個だけ果実が跳ね出す。オルヴァンが地上から掌を向けると、落ちていた実が緩やかに横へ流れ、その手の中へ収まった。果樹園が静かになった。逆さにぶら下がったアデマールが籠を持ち上げる。「これ、誰の?」収穫を教えていた男が両手を腰へ当てた。「その前に上へ戻れ!」「はい」アデマールは身体を一度振り、その勢いで枝の上へ戻った。若い女性が受け取った籠の中を確かめる。「全部きれいです。助かりました」「間に合ってよかった」熟練の男はアデマールと籠を交互に見た。「旅人って、みんなそんな動きするのか?」オルヴァンが笑う。「かなり元気な方だと思います」枝から降りてきたアデマールが口を挟む。「オルだって一個取ったじゃん」「僕は果実一つです」「一個も傷つけなかった」「アデは籠ごと守ったでしょう」互いに褒め始めたところで、年配のエルフが豪快に笑った。「分かった分かった。二人とも大したもんだ。まだ働けるなら、そこの木を頼む!」「はい」「やります」二人はすぐ収穫へ戻った。****午後には、採った果実を分ける作業も始まった。若い女性が皆へ指示を飛ばし、熟した実、保存へ回す実、今日中に煮る実へ分けていく。オルヴァンは説明を一度聞くと、次々に果実を籠へ移した。隣のエルフが一籠目を仕分けている間に、すでに二籠目へ手を伸ばしている。「待ってくれ。もう次か?」「はい」「さっき説明したばかりだぞ」オルヴァンは傷のある実を煮込み用の籠へ置いた。「これは今日使う方ですね」「そうだ」男は自分の籠へ戻り、無言で速度を上げた。少し離れたところでは、アデマールが果実箱を運んでいた。最初に二箱。次に四箱。若い女性が気づく。「二箱ずつでお願いします!」「四箱でも持てるよ?」「通路ですれ違えません!」「あ、そっちか」アデマールは素直に二箱へ戻した。オルヴァンが肩を揺らして笑う。「力の問題ではありませんでしたね」「ちゃんと考えてたつもりだった」「今度は大丈夫ですね」「うん」夕方には、木の下に積まれていた空籠がすべて片づいた。若い女性が木札へ最後の印を入れる。年配のエルフが隣から覗いた。「予定よりずいぶん早く終わったな」女性は果樹園を見回した。「皆がよく動いてくれたからです」「指示を出したのはお前だ」年配のエルフはそれだけ言って、収穫箱を一つ担いだ。女性は一瞬だけ目を丸くし、すぐに笑った。「明日は西側をやります」「好きにやれ。俺も手伝う」二人は並んで倉庫へ向かう。オルヴァンがその背中を眺め、アデマールの袖を軽く摘んだ。「いい日でしたね」「うん。腹減った」「僕もです」収穫したばかりの果実を一つ分けてもらい、二人で半分ずつ食べた。朝の焼き菓子より酸味が強く、噛むたび果汁があふれる。「これも買って帰ろう」「少し多めでも入りそうですね」「菓子も買う?」「それは必須です」話はすぐ夕食へ移った。****果樹園の近くには、作業を終えた者が休む吊り寝台があった。太い枝の間へ厚い布を張り、二人で横になれるほど広く作られている。夕食まで少し時間がある。アデマールが先に横になると、布が大きく沈んだ。オルヴァンも隣へ乗る。一度揺れたあと、二人の身体が中央へ寄った。「狭いですね」オルヴァンはそう言って身体を起こし、そのままアデマールの上へ乗った。胸元へ頬を寄せると、アデマールの片腕が背中へ回り、もう片方の手が髪をゆっくり梳いた。「ここならちょうどいいです」「好きに使って」「では遠慮なく」オルヴァンは本当に遠慮しなかった。両脚を絡めるように身体を預け、アデマールの首元へ鼻先を寄せる。風が木々を抜け、遠くで木製の音飾りが鳴った。しばらくすると、アデマールの胸元から小さな声がする。「アデ」「起きた?」「まだです」「今しゃべっただろ」「寝言です」アデマールが笑い、背中を撫でる。オルヴァンも笑ったまま顔を上げ、そのまま唇を重ねた。軽く触れて離れ、またすぐ戻る。今度は少し長い。アデマールが腰を抱き寄せると、オルヴァンの身体がさらに密着した。唇が離れたあとも、距離はほとんど変わらない。「今日はいっぱい動きましたね」「うん」「楽しかったです」「俺も」オルヴァンがもう一度唇を重ねる。アデマールは耳の下へ口づけ、そのまま首筋へ移った。オルヴァンが気持ちよさそうに息を吐く。「そこ、好きです」「知ってる」もう一度。「もう少し」「うん」吊り寝台がゆっくり揺れる。オルヴァンはアデマールの胸へ頬を戻し、背中を撫でられながら目を閉じた。遠くから夕食を知らせる鐘が聞こえる。「お腹も空きました」「俺も」「宿へ戻ります?」「飯食って、風呂入って、それからまたくっつこう」「それがいいです」起き上がる前に、オルヴァンがもう一度唇を重ねた。今度はアデマールの方が少し長く離さなかった。鐘が二度目に鳴る頃、ようやく二人は吊り寝台から降りた。****夕食は宿の一階で取った。森の茸を煮込んだ濃いスープに、焼いた根菜、昼に収穫したものと同じ赤い果実を使った肉料理。二人ともよく働いた分だけよく食べた。部屋へ戻る前に、朝買った薬草を湯へ入れてもらう。木造りの広い浴槽へ入ると、湯から柔らかな香りが立った。オルヴァンはアデマールの前に座り、肩まで沈む。「脚、楽になりますね」「木登ってないオルも?」「地上をかなり歩きました」「じゃあ揉む?」返事を待つより先に、アデマールの両手が肩へ乗った。親指が首の付け根をゆっくり押す。オルヴァンが息を吐いた。「そこ、気持ちいいです」「ここ?」「もう少し下も」言われた通りに手を動かす。しばらくすると、オルヴァンは後ろへ身体を預け、アデマールの胸へ寄りかかった。アデマールは肩から腕へ手を滑らせ、指を絡める。「明日も高いところ行く?」「行きたいです」「また滑る?」「乗りたいです」「果実も買う?」「たくさん」話しながら、アデマールが濡れた髪の横から頬へ口づける。次は顎の下。オルヴァンが少し振り返り、唇を重ねた。湯の中でも、その距離はいつも通り近かった。****部屋へ戻ると、朝買った音飾りを窓辺へ吊るした。夜風を受けて、澄んだ音が一つ鳴る。「いいですね」オルヴァンが見上げている間に、アデマールが背後から抱きついた。「髪乾かすよ」「お願いします」椅子へ座ったオルヴァンの髪を、温かな風でゆっくり乾かす。終わる頃には、オルヴァンはアデマールの腹へ頭を預けていた。「眠い?」「少し。でも、このまま寝るのは嫌です」「じゃあ着替えよう」アデマールが白い上着の留め具へ手をかける。オルヴァンも黒いシャツの襟へ指をかけた。「アデも」「一緒に?」「はい」互いの旅着を脱がせる。シャツの留め具を外す途中で目が合い、そのまま唇が重なった。一度離れる。また続く。オルヴァンの指が黒いシャツを緩め、肩から布を落とした。アデマールも白いシャツの襟を開く。首筋から肩へ掌を滑らせる。「冷たくない?」「暖かいです」オルヴァンはアデマールの胸へ触れ、そのまま背中へ腕を回した。「今日はまだ触っていたいです」「俺も」唇が重なる。今度は少し長い。アデマールが腰を抱き上げる。オルヴァンは慣れたように脚を絡めた。「寝台までお願いします」「喜んで」寝台へ下ろしても、オルヴァンは脚を解かなかった。アデマールの首へ腕を回し、自分から引き寄せる。「アデ」「ん?」「もう少し」「うん」白い布がさらに緩む。アデマールの手が肌へ触れる。オルヴァンも黒いシャツを脱がせ、肩から背中へ指を滑らせた。指を絡める。互いに引き寄せる。身体が重なる。「好きです」「俺も好き」窓辺の音飾りが、夜風に揺れて一度だけ鳴った。****夜更け。オルヴァンは毛布の中で、アデマールの胸へ収まっていた。汗の残る髪をアデマールの指が梳き、額から頬へゆっくり撫でる。オルヴァンはその手へ頬を寄せた。「アデ」「ん?」「明日も滑走索へ行きます?」「行く」「何往復します?」「オルは?」「三往復くらい」「じゃあ俺も三往復」「競争します?」「する」オルヴァンが笑う。「係の方に怒られますよ」「速さじゃなくて回数」「それなら大丈夫そうですね」アデマールが髪へ口づける。「果実も買うんだろ?」「はい。焼き菓子も」「朝の茶店行こう」「行きましょう」オルヴァンが胸元へ口づけを返す。「今日は楽しかったです」「俺も」「明日も楽しみです」「うん」アデマールは背中へ腕を回し、毛布ごと少し抱き寄せた。「寝る?」「寝ます」「おやすみ、オル」「おやすみなさい、アデ」窓辺の音飾りがもう一度、小さく鳴った。****翌朝。朝の風で音飾りが鳴り、オルヴァンが目を開けた。アデマールの腕枕の上に頭を置き、脚もまだ絡んでいる。「おはようございます」「おはよう」アデマールが頬へ口づける。オルヴァンも一つ返した。「身体どう?」「少し重いです」「揉む?」「朝食のあとでお願いします」「今は?」オルヴァンがもう一度胸へ寄る。「もう少しだけ、このままがいいです」「俺も」アデマールが毛布を肩まで掛け直す。「朝飯、昨日の茶店な」「はい」「菓子二つ?」「僕は二つ食べます」「じゃあ俺も」「真似しましたね」「オルがうまそうに食べるから」オルヴァンが笑う。窓辺では、二人で選んだ音飾りが朝の木漏れ日を受けていた。もう一度だけ柔らかな音が鳴る。二人はその音を聞きながら、朝食へ行くまでの時間を少しだけ延ばした。