第18話 ヨリス、ちょっと偉くなる
第18話 ヨリス、ちょっと偉くなる
「どうだ」ヨリスは両腕を広げた。「店っぽいだろ」アデマールとオルヴァンは、目の前の屋台を見た。屋台というより、小さな露店だった。木製の台へ香辛料の袋が並び、その横には染め布、乾燥果実、陶器の小瓶、砂漠で仕入れたらしい塩まで置かれている。背後には見覚えのある荷車が一台。以前より積荷が増えていた。アデマールが頷く。「店だな」「でしょう?」オルヴァンも嬉しそうに棚を眺める。「種類も増えましたね」「分かるか?」「前に会った時は、こんなに香辛料を持っていませんでした」「そこまで覚えてんのかよ」ヨリスは少し照れたように鼻を擦った。「まあ、荷車一台なのは変わらないけどな。でも今回は場所代払って、ここを六日借りた」胸を張る。「ちゃんと俺の店だ」二人とも笑った。アデマールがヨリスの肩を叩く。「すげえじゃん」「だろ?」「格好いいです」オルヴァンにまで言われ、ヨリスはさらに得意そうになった。「もっと言っていいぞ」「調子乗るからやめとこう」「お前が先に褒めたんだろ!」三人で笑う。巨大市場の朝は、もう始まっていた。****魔人族の多く暮らす自由交易都市は、町の中心そのものが巨大な市場だった。屋根付きの通路が何本も交差し、その左右へ店が果てしなく続く。人族の布商。猫獣人の香油屋。ドワーフの金物屋。エルフの薬草店。魔人族の商人たちは、装飾の多い衣服を着た者もいれば、腕まくりしただけの気軽な格好の者もいる。呼び込みの声。焼けた肉の匂い。香辛料。甘い菓子。金属を叩く音。どこを向いても何かがある。オルヴァンは早々に、色鮮やかな香辛料の店へ捕まった。「アデ、これ嗅いでください」「どれ?」「赤い方です」店主から渡された小皿へ鼻を近づける。アデマールが盛大にくしゃみをした。オルヴァンが吹き出す。「辛い!」「鼻へ近づけすぎです」「先に言ってよ」「そんな勢いで嗅ぐと思いませんでした」店主まで笑っている。今度は黄色い粉。こちらは甘い香りがした。「菓子に使うのか?」「肉にも使うよ」店主が説明する。オルヴァンは小袋を二つ買った。次は布。さらに細工物。通りを進むたびに足が止まる。ヨリスは店番があるため別れたが、「夕方には戻ってこいよ。面白い商談があるかもしれん」と言っていた。アデマールは肩掛け鞄へ新しい包みを入れる。「オル、買ってるな」「アデもさっき革紐を買ったでしょう」「あれは使う」「僕も使います」「何に?」「まだ決めていません」「買ってから決めるの?」「旅の楽しみです」言い切った。アデマールは笑って、オルヴァンの腰へ腕を回した。「じゃあ好きなだけ見よう」「はい」二人はまた次の店へ入った。****昼は市場の中央にある食堂街で食べた。平たいパンへ炙った肉と酸味のある野菜を挟み、濃い豆のソースをかける。オルヴァンは辛味の強いもの。アデマールは肉を増量。さらに二人で甘い揚げ菓子を一皿頼んだ。「これ、昨日の砂漠の菓子と似ていますね」「こっちの方が甘い」「蜂蜜が多いんでしょうか」「食べ比べる?」「します」二人で半分ずつ食べる。その横では、商人たちが値段を叫びながら昼食を取っていた。食堂ですら商談が始まる。隣の卓の魔人族が、「三十なら買う」「四十だ」「三十五」「三十八」と肉を食べながら話している。アデマールが小声で言う。「飯に集中できるのかな」「しているんでしょう。両方に」「すげえな」オルヴァンはそのまま揚げ菓子を一つ取った。「僕たちは食べる方に集中しましょう」「賛成」アデマールが最後の一個へ手を伸ばす。同時にオルヴァンも伸ばした。指が触れる。二人で止まる。「オル食べる?」「アデが食べてください」「半分にする?」「そうしましょう」結局、二つに割った。****午後。ヨリスの店へ戻ると、客が何人もいた。ヨリスは一人で応対している。「そっちは銀貨十二。三袋なら三十だ」「この布は?」「それは南の島。色落ちしにくい。二反なら少し引く」忙しい。アデマールとオルヴァンは邪魔にならないよう少し離れた。その時、大柄な魔人族の男が卓へ硬貨を積んだ。「これで香辛料十袋」ヨリスが袋をまとめる。硬貨は卓上へ乱雑に置かれている。オルヴァンが一度そちらを見た。「ヨリス」「ん?」「三枚足りません」客の手が止まった。ヨリスも止まる。「え?」「銀貨が三枚です」客が眉を上げた。「数えたのか?」オルヴァンは硬貨へ近づいていない。ヨリスが急いで一枚ずつ数える。途中から声が小さくなった。最後。「……三枚足りない」客自身が驚いた。「ああ、悪い。別の袋に入れたままだ」腰袋から銀貨を三枚出す。「よく分かったな」オルヴァンは少し笑った。「並び方が途中で変わっていましたから」ヨリスが硬貨とオルヴァンを交互に見る。「いや、それで分かる?」次の客が来たため、話はそこで切れた。少しして今度は荷袋が運ばれてきた。若い運び手が札を見せる。「香辛料二十斤。ヨリス宛て」ヨリスが受け取ろうとする。アデマールが横から袋を持った。片手で一度持ち上げる。「これ、軽くない?」運び手が止まった。「二十斤って書いてあるぞ」「たぶん足りない」ヨリスが秤へ載せる。針が止まった。「……十八斤」運び手が青ざめた。「俺は積み場で渡されたまま持ってきただけだ!」「分かってる」ヨリスは責めるより先に荷札を確認した。別の札が紐の下へ重なっている。「積み替えで袋を間違えたな。戻って確認してくれ」「すぐ行く!」運び手が駆けていく。ヨリスはアデマールを見る。「お前、持っただけだよな?」「うん」「何で二斤の差が分かるんだよ」「いつも荷物持つから?」「そんな答えある?」オルヴァンが笑った。アデマールは肩をすくめる。「商売はヨリスの方が上手いよ」「当たり前だ!」ヨリスは言ってから、少しだけ嬉しそうだった。****夕方になると、市場の人通りがさらに増えた。日中の暑さが引き、今度は夜市目当ての客が集まってくる。その頃、ヨリスの前に身なりのいい魔人族の女性が現れた。二人の従者を連れている。「あなたがヨリス?」「そうです」声が変わった。さっきまでの気軽な調子ではない。ヨリスは背筋を伸ばした。女性は卓上の香辛料を一つ手に取る。香りを確かめる。「この産地を継続して仕入れられる?」「量によります」「月にこれくらい」差し出された紙を見る。ヨリスの目が僅かに動いた。かなり大きいらしい。アデマールが口を開きかける。オルヴァンが袖を軽く引いた。アデマールもすぐ黙る。ヨリス自身が紙を見る。一度考える。「毎月全部は無理です」女性の眉が上がる。「理由は?」「今の俺じゃ、その量を約束したら他の客へ回せなくなる。仕入れ先にも無理をさせる」「では断る?」「半分ならできます」女性がヨリスを見る。「値は?」ヨリスが答える。女性が少し下げる。ヨリスが返す。何度か数字が行き来する。アデマールにはよく分からなくなった。オルヴァンも口を挟まない。最後に女性が手を差し出した。「その条件なら買う」ヨリスが握る。「ありがとうございます」商談が終わった。女性が去る。従者も続く。ヨリスはしばらく立ったままだった。アデマールが横から顔を覗く。「ヨリス?」「……売れた」「うん」「毎月だぞ」「すげえじゃん」「俺、今のちゃんとやれたよな?」オルヴァンが微笑む。「格好よかったですよ」「本当か?」「はい」ヨリスは大きく息を吐いた。それから両手で顔を覆う。「うわ、やべえ。嬉しい」アデマールが背中を叩いた。「飲もう」「まだ店番だ!」「夜に」「それなら飲む!」ヨリスはすぐ復活した。****夜市は昼より派手だった。赤や青の灯りが天幕へ映り、楽師の音に合わせて大道芸人が火を回している。店を閉めたヨリスも一緒だった。三人で串焼きを買う。酒を買う。ヨリスは何度も商談の話をした。「俺さ、最初は全部売れるなら売った方がいいと思ったんだよ」「うん」「でも全部約束したら、いつも買ってくれる客の分がなくなるだろ」「うん」「だから半分って言った」「格好いいじゃん」「だろ?」同じ話なのに、本人が嬉しそうなのでアデマールも聞いている。オルヴァンも笑っていた。やがて三人は装飾品の並ぶ通りへ入った。腕輪。耳飾り。髪飾り。指輪。細い鎖。色石。店主の女性がオルヴァンを見て、細い銀の腕輪を取った。「白い服なら、これが似合うよ」「きれいですね」オルヴァンが手を出しかける。店主も腕輪を持って近づいた。その間へ、アデマールの手が自然に入った。「俺がつける」店主が瞬く。オルヴァンも一瞬だけ止まった。すぐに笑う。「お願いします」アデマールはオルヴァンの手首を取り、腕輪を通した。留め具を締める。白い袖の上で銀が光る。「似合う」「ありがとうございます」オルヴァンは腕を持ち上げ、角度を変えて眺めた。アデマールはまだ手首を離していない。店主が口元を緩める。「旦那さん?」「うん」「なるほどね」アデマールは何も言わず、今度は腕輪とオルヴァンを見比べた。「買う?」「欲しいです」「じゃあこれ」即決した。ヨリスが後ろから呆れた声を出す。「商談より分かりやすいな、お前ら」「何が?」「特にお前」アデマールを指す。「俺?」「店の人が触ろうとした瞬間、すげえ自然に割り込んだぞ」「オルに付けたかったから」「そういうところだよ」オルヴァンは腕輪を見ながら、とても嬉しそうだった。「アデ」「ん?」「僕も選びます」今度は黒い革紐に、小さな金属飾りのついた腕輪を取る。アデマールの手首へ巻いた。「どうです?」「格好いい?」「とても」アデマールの目元が緩む。「これ買う」「やっぱり即決だな!」ヨリスが笑った。****宿へ戻る途中、ヨリスとは市場の分かれ道で別れた。「明日も店いるから、暇なら来い」「行く」「邪魔しない程度に寄ります」「今日みたいに硬貨とか荷物見てくれるなら助かるけどな」ヨリスが冗談めかして言う。オルヴァンが笑う。「商人の仕事はヨリスがしてください」「分かってるよ」アデマールが肩を叩く。「今日、ほんと格好よかった」「もういいって」「照れてる?」「帰れ!」追い払われた。二人は笑いながら夜道を進む。少し歩いたところで、オルヴァンが銀の腕輪を街灯へかざした。「気に入りました?」「はい」「よかった」アデマールが腰へ腕を回す。オルヴァンも肩へ寄った。「アデ」「ん?」「さっき、店員さんより先に腕輪を取ったでしょう」「うん」「僕につけたかったんですか?」「うん」オルヴァンが横目で見る。「それだけ?」「……ちょっとだけ、俺がつけたかった」「同じですよ」「同じ?」「僕も、アデの腕輪は自分でつけたかったです」アデマールが笑う。「夫夫だな」「夫夫ですね」そのまま歩く。少ししてアデマールがオルヴァンの手を取った。銀の腕輪ごと指を絡める。「明日も市場行く?」「行きたいです」「何買う?」「まだ決めていません」「また買ってから決めるやつ?」「はい」オルヴァンが楽しそうに笑う。アデマールはその頬へ口づけた。夜市の音は、宿へ着くまでずっと後ろから聞こえていた。****部屋へ戻ると、二人は買ったものを卓上へ並べた。香辛料。革紐。小さな陶器。銀の腕輪。黒い革の腕輪。アデマールが自分の腕を眺める。「オルが選んだやつ、いいな」「僕も気に入っています」オルヴァンは銀の腕輪を外そうとした。アデマールが留め具へ手を添える。「俺が外す」「お願いします」留め具を外し、そのまま手首を撫でる。オルヴァンがアデマールの肩へ身体を寄せた。「今日は楽しかったですね」「ヨリス、成長してたな」「はい。嬉しそうでした」アデマールはオルヴァンの腰を抱く。「オルもずっと楽しそうだった」「市場ですから」「いっぱい買ったし」「アデもでしょう」唇が重なる。離れて、また触れる。オルヴァンが笑う。「アデ」「ん?」「腕輪をつける時、少し妬きました?」「ちょっと」「嬉しいです」「オルも?」「少し」アデマールが額を合わせる。「同じじゃん」「そうですね」オルヴァンはそのままアデマールの首へ腕を回した。「では、もう少しくっついてください」「喜んで」抱きしめたまま、二人で寝台の端へ座る。今日買った腕輪は、二つ並んで卓上へ置かれた。翌朝も市場へ行くつもりだったので、夜更かしはほどほどにした。