第33話 あの日の四人
第33話 あの日の四人
「アデ、襟が曲がっています」「え?」オルヴァンが正面へ立ち、アデマールの正装の襟を直した。黒を基調にした上着は普段の旅装よりずっと堅い。胸元には王国から贈られた勲章がいくつか並んでいる。アデマールは鏡を見るより、目の前のオルヴァンを見ていた。「オル、今日すごく綺麗」「ありがとうございます。アデも格好いいですよ」「もう一回」「式典が始まる前からですか?」「始まったら言えないかもしれないだろ」「では、格好いいです」「よし」オルヴァンが笑う。こちらも白を基調にした正装だった。普段は隠している左手の賢者紋も、今日は白い礼装用手袋の下にある。アデマールが袖口を直す。「オルのも曲がってない?」「大丈夫です」「ちょっと見せて」「アデ」「俺も何かしたい」「では、ここの留め具をお願いします」胸元の小さな金具を指す。アデマールは嬉しそうに留め直した。「できた」「ありがとうございます」その時、部屋の扉が叩かれた。「二人とも、生きてる?」聞き覚えのある女の声。アデマールが扉を開ける。シビラが立っていた。濃紺の正装。長い白髪はいつもよりきちんとまとめられている。アデマールが目を丸くした。「シビラ、ちゃんとした格好できるんだ」「喧嘩売ってる?」「褒めた」「どこがよ」その後ろからベルトランも現れた。こちらは軍の正装。剣聖らしく腰には儀礼用の剣を下げている。アデマールが見る。「ベルトランも格好つけてる」「お前にだけは言われたくない」オルヴァンが笑った。「四人揃いましたね」一瞬だけ、全員が黙った。昔は当たり前だった並び。今では、こうして同じ場所へ揃うだけでも少し珍しい。シビラが最初に口を開いた。「何よ。急に静かにならないで」アデマールが笑う。「いや、久しぶりだなって」「この前三人で会ったばかりだろ」ベルトランが言う。「四人だよ」「そういう意味か」オルヴァンが二人を見る。「行きましょう。遅れますよ」シビラが歩き出す。「賢者が一番まともね」アデマールがオルヴァンの腰へ手を回した。「俺の夫だから」「そういうところよ」四人で廊下へ出た。****式典会場は旧軍都の中央広場だった。戦争終結の記念日に合わせ、町中に旗が飾られている。広場の正面には大きな壇。その向こうには、四人の英雄像が並んでいた。アデマールが足を止めた。「……俺、こんなだった?」巨大な勇者像。胸を張り、大太刀を高く掲げている。実物より胸板が一回り厚い。肩も広い。顎も少し立派だった。オルヴァンが像と本人を見比べる。「少し盛っています」「少し?」ベルトランが笑った。「かなり盛られてるな」「お前の見ろよ!」隣には剣聖像。ベルトランが普通に剣を構えている。顔まで妙に似ていた。四人で黙って見る。シビラが吹き出した。「何でベルトランだけ似てるのよ!」アデマールが像を指す。「ずるくない?」「俺に言うな」オルヴァンの像は、長い杖を持ち、優雅に片手を差し出している。本人が眉を寄せる。「僕、こんなに静かに立っていました?」「立ってなかった」アデマールが即答する。「戦場ではもっと走ってた」「そうですよね」シビラの像は両腕を広げ、長い髪を風になびかせていた。シビラが見上げる。「これ、誰?」ベルトランが答える。「お前だろ」「私は戦場でこんな芝居がかった立ち方しないわよ」「魔法撃つ時たまにやってた」アデマールが言う。「やってない」「やってた」「やってません」オルヴァンまで加わる。シビラが三人を見る。「全員敵?」広場へ集まった人々が、四英雄像の前で言い合っている本人たちに気づき始めていた。ざわめきが広がる。「あれ……」「本人じゃないか?」「勇者様?」アデマールが周囲を見る。「やば」ベルトランが言う。「今さらだ」次の瞬間、大きな歓声が広場を満たした。アデマールは少し肩をすくめる。オルヴァンが隣から袖へ触れる。「行きましょう」「うん」四人は壇へ向かった。****式典は、想像していたより長かった。町の代表の挨拶。軍の代表の挨拶。当時の記録を読み上げる時間。楽団の演奏。アデマールは座席に座りながら、小さく息を吐いた。「オル」「はい?」「あとどのくらい?」「聞こえますよ」「小声だから平気」隣のベルトランが前を向いたまま言う。「昔より集中力落ちたな」「昔は式典なんか出てないだろ」「だから言ってる」シビラが反対側から囁く。「静かにしなさい」アデマールが座り直した。オルヴァンがそっと手を伸ばす。椅子の間で指が触れる。そのまま軽く絡む。アデマールが横を見る。オルヴァンは壇上を見たままだった。「オル」「静かに」「はい」アデマールの機嫌はすぐ直った。少し離れたシビラが気づき、ため息だけついた。****昼前になると、四人が壇上へ呼ばれた。広場を埋める人々が立ち上がる。拍手が続く。アデマールは一瞬だけ目を細めた。昔、同じ場所には負傷兵と荷車が並んでいた。今は子どもが肩車され、露店の旗が揺れ、手に花を持った人々が笑っている。オルヴァンが隣に立つ。ベルトラン。シビラ。四人が横一列に並ぶ。町の代表が大きな声で紹介を始めた。「魔獣王戦争において――」その時。アデマールが空を見た。ほぼ同時に、オルヴァンも顔を上げる。一拍遅れてベルトランとシビラ。歓声の中では、まだ誰も気づいていない。雲の下。黒い影が一つ。翼を広げた大型魔獣が、広場へ向かって降下していた。アデマールが呟く。「来る」「見えています」オルヴァンの声は低い。シビラが片手を上げた。「壇上、傷つけないでよ」「お前が一番壊すだろ」ベルトランが剣へ触れる。次の瞬間だった。魔獣が翼を畳み、一気に落ちてくる。悲鳴が上がるより早く、四人が動いた。オルヴァンの指が空を切る。風が一度だけねじれ、魔獣の右翼が持ち上がった。姿勢が崩れる。そこへシビラの魔法が走った。細い光が翼の付け根へ当たり、さらに軌道が逸れる。ベルトランが壇から飛ぶ。石畳へ着地した次の瞬間には、剣が抜かれていた。魔獣が高度を落とす。アデマールも飛び降りる。大太刀を抜く。二人の剣が一度だけ閃いた。魔獣の身体が地面へ落ちる前に、オルヴァンの風が受け止める。シビラがさらに魔力を重ねる。巨体が広場の外れへ滑るように降りた。静止。誰も巻き込まれていない。壇も壊れていない。旗も立ったままだった。広場が静まり返った。ベルトランが剣を鞘へ戻す。アデマールも大太刀を収納する。シビラが正装の袖を払った。オルヴァンは壇へ戻る階段を上る。四人が元の位置へ並んだ。町の代表は口を開けたままだった。アデマールが小声で言う。「続き、どこだっけ」「紹介の途中です」オルヴァンが答える。ベルトランが町の代表を見る。「続けてくれ」シビラも頷く。「時間押してるから」広場のどこかから、乾いた笑い声が一つ上がった。次に拍手。それが一気に広がった。歓声が爆発する。アデマールが少し困ったように笑う。「余計目立った」オルヴァンが隣で笑う。「仕方ありません」町の代表はようやく我に返り、原稿を持ち直した。「え、ええ……それでは改めまして!」今度の歓声は、さっきよりずっと大きかった。****式典が終わったのは午後だった。四人は広場脇の控室へ逃げ込んだ。アデマールが椅子へ座る。「疲れた」シビラが隣の卓から水を取る。「魔獣より式典の方が疲れた顔してるわよ」「ずっと座ってるの苦手」「子どもか」ベルトランは正装の襟を緩めた。「しかし、ちょうど式典の最中に来るとはな」「空気読めない魔獣だったね」アデマールが言う。オルヴァンは窓の外を見る。広場では、すでに兵士と冒険者たちが魔獣を調べていた。「町の方に任せて大丈夫そうですね」「なら飯にしよう」アデマールが立ち上がる。シビラが呆れる。「切り替え早いわね」「昼過ぎてる」「それは私も賛成」ベルトランまで立った。四人で控室を出る。廊下を歩きながら、アデマールがオルヴァンの腰へ腕を回した。「オル、さっき格好よかった」「アデもです」「右翼上げたの綺麗だった」「アデがすぐ動いたので、合わせやすかったです」アデマールが嬉しそうに笑う。「また惚れた」「僕もです」頬へ口づける。オルヴァンも一つ返す。前を歩いていたシビラが振り返った。「式典の客がまだそこら中にいるわよ」「普通のキスだよ」「知ってる。だから止めてないでしょ」ベルトランが言う。「昔よりひどくなってるな」アデマールが反応する。「何が?」「夫夫」オルヴァンが首を傾げる。「そうですか?」「本人たちだけ分かってないのよ」シビラが答える。アデマールは少し考えた。「仲良くなったってこと?」「最初から仲良かっただろ」「じゃあ何だろ」ベルトランとシビラは同時にため息をついた。オルヴァンが笑う。「お腹が空きました」「俺も」「話を終わらせたわね」四人はそのまま食堂へ向かった。****記念式典の日だけあって、軍都の大通りには屋台が並んでいた。正装のまま歩く四英雄はかなり目立つ。何度も呼び止められ、握手を求められ、酒を渡される。ようやく一軒の食堂へ入る頃には、アデマールの腕に焼き菓子が三袋、ベルトランが酒瓶を二本、シビラが花束、オルヴァンが子どもからもらった小さな花冠を持っていた。席へ着く。シビラが花束を卓の端へ置く。「何で私だけ花なのよ」「似合ってるよ」アデマールが言う。「馬鹿にしてる?」「本気」「余計腹立つわね」オルヴァンは小さな花冠を眺める。「僕はこれ、気に入りました」アデマールがすぐ見る。「つける?」「小さいですよ」「腕につけたら?」オルヴァンが試してみる。白い正装の袖へ、小さな花の輪が収まった。「どうです?」「可愛い」即答だった。ベルトランが注文表を見る。「飯を決めろ」「オルが可愛い」「知ってるから飯を決めろ」「ベルトランも知ってる?」「長い付き合いだからな」アデマールが急に眉を寄せる。「でもオルは渡さない」「今日までその話を持ち込むな」シビラが笑う。オルヴァンは平然と注文表を見ていた。「僕は肉の煮込みにします」「俺も」「じゃあ私も」「俺は魚」ベルトランが言う。アデマールが見る。「別の頼むんだ」「四人で同じ物食う必要あるか?」「昔はよく同じ鍋だった」シビラが笑う。「軍の食堂だったからでしょ」料理が運ばれてくる。話は自然と昔へ移った。式典で見た英雄像。当時使った訓練場。四人が初めてこの町へ来た時に泊まった兵舎。アデマールが言う。「俺たち、あの頃こんな立派な服なかったよな」「泥だらけだったわね」シビラが答える。「オルだけ比較的綺麗だった」ベルトランが言う。アデマールが頷く。「分かる。昔から白いの好きだったよな」「汚れが分かりやすいので」「戦場向きじゃなくない?」「魔法で落とせます」「そういうとこ賢者だな」シビラが酒を飲む。「その賢者が雨の中で転んで泥だらけになった日もあったけど」オルヴァンが止まる。「シビラ」「何?」「その話は忘れてください」アデマールが目を輝かせた。「何それ。俺知らない」「あなたが別働隊だった日です」「聞きたい」「だめです」「シビラ」「あとで教える」「シビラ!」ベルトランが笑った。四人の卓だけ、昔の食堂へ戻ったように賑やかだった。****夕方。式典関係者との最後の挨拶を終え、四人は広場を抜けた。英雄像の前ではまだ観光客が写真代わりの絵を描いてもらっている。アデマールが自分の像を見上げた。「やっぱ盛りすぎだと思う」オルヴァンが隣へ並ぶ。「本人の方が格好いいですよ」「……オル」アデマールの足が止まった。ベルトランとシビラも少し先で振り返る。オルヴァンは何でもないことのように続けた。「像より、今のアデの方が好きです」アデマールがオルヴァンを見つめる。「今それ言う?」「言いたくなりました」アデマールの腕が腰へ回る。オルヴァンも自然に胸へ寄る。頬へ口づける。次は唇。一度。もう一度。ベルトランが腕を組んだ。「始まったな」シビラも立ち止まる。「式典の締めがこれなの?」アデマールは気にせずオルヴァンを見る。「俺も像より今のオルが好き」「ありがとうございます」「昔のオルも好き」「僕も昔のアデが好きですよ」「今の方が?」「ずっと好きです」アデマールの口元が緩む。また抱き寄せる。シビラがベルトランを見る。「昔よりひどいわよね」「ひどい」アデマールが振り返る。「聞こえてるぞ」「聞かせてる」オルヴァンが笑いながらアデマールの腕へ腕を絡めた。四人でまた歩き出す。少し進んだところで、アデマールが言った。「でも、今日四人で並べてよかったな」ベルトランが前を向いたまま答える。「そうだな」シビラも頷いた。「式典は長かったけどね」オルヴァンが笑う。「僕も嬉しかったです」昔の四人が並んだ像は、広場に残っている。その本人たちは、もう像の前を離れていた。今日の夕食をどこで食べるか。明日は誰が先に町を出るのか。次に四人で食事をするならどこがいいか。そんな話をしながら、夕暮れの通りを歩いていった。****夜。アデマールとオルヴァンは宿の部屋へ戻っていた。正装を脱ぎ、ようやく普段の軽い服へ着替える。オルヴァンが勲章のついた上着を丁寧に畳んだ。アデマールは寝台へ腰を下ろす。「疲れた」「式典ですか?」「うん。戦う方が楽」オルヴァンが笑う。「今日は少しだけでしたね」「四人だったし」「本当に早かったです」オルヴァンが隣へ座る。アデマールはすぐ肩へ頭を乗せた。「アデ?」「ちょっとだけ」オルヴァンの手が黒い髪へ触れる。ゆっくり撫でる。「今日はよく頑張りました」「式典?」「式典です」「魔獣じゃなくて?」「そちらもです」「もっと褒めて」オルヴァンが笑う。「正装も格好よかったです」「うん」「壇上でもちゃんとしていました」「途中飽きた」「手をつないだら戻りましたね」「オルがつないでくれたから」アデマールはそのまま身体を横へ倒した。オルヴァンの膝へ頭を乗せる。「今日はアデがこっちなんですね」「だめ?」「嬉しいです」オルヴァンは髪を撫で続ける。アデマールが見上げた。「昔も四人でこういう式典出てたら、俺寝てたかも」「シビラに起こされています」「オルは?」「隣に座ります」「起こしてくれる?」「膝を貸します」アデマールが笑った。「じゃあ寝る」「本当に寝るんですか?」「少し」オルヴァンが額へ口づける。「おやすみなさい」「まだ寝ない」「どちらです?」アデマールが手を伸ばし、オルヴァンの頬へ触れた。「キスしてから」オルヴァンが顔を近づける。唇が重なる。一度離れ、もう一度。アデマールは満足そうに目を閉じた。オルヴァンは髪を撫でながら、窓の外の灯りを見た。今日は四人で並んだ。昔のように戦うためではなく、守った町で拍手を受けるために。その日の最後には、夫の膝で眠ろうとしている元勇者がいる。オルヴァンの口元が緩んだ。「アデ」「ん?」「今日は僕も嬉しかったです」「四人でいたから?」「それもです」アデマールが目を開ける。「それ以外は?」「今、アデがここにいるからです」アデマールは少し黙った。それからオルヴァンの腰へ腕を回す。「俺も」膝の上から身体を起こし、今度は正面から抱きしめる。オルヴァンも背中へ腕を回した。「今日はこのまま寝る?」「はい」「いっぱいくっついて?」「もちろんです」二人は寝台へ横になった。アデマールの腕枕へオルヴァンが収まり、脚が自然に絡む。何度か頬へ口づける。オルヴァンも胸元へ一つ返した。外では記念日の灯りが、夜遅くまで消えずに残っていた。