第41話 手紙がいっぱい
第41話 手紙がいっぱい
宿へ戻ったアデマールは、帳場の横を見て足を止めた。腰ほどの高さまである木箱が置かれている。その隣には旅塵のついた外套姿の男が立ち、腕を組んで二人を待っていた。男は二人を見るなり言った。「ようやく捕まえた」アデマールがオルヴァンを見る。「誰?」「ユスタシュです」「知ってる。冗談」男――ユスタシュは王国の行政官で、アデマールたちへの公的な連絡や書類を扱っている。「冗談を言う前に住所を持て」オルヴァンが木箱を見る。「まさか、それ全部ですか?」「全部だ。王都へ届いた分、領地管理局へ届いた分、軍を経由した分、宿へ転送したらもう出たと言われた分まで入っている」アデマールが蓋を開けた。封筒。紐で束ねられた紙。小包。小さな木箱。「いっぱいだな」「お前たちが歩き回るからだ」「旅してるし」「知っている。だから困っている」オルヴァンが笑う。「ご苦労をおかけしました」「そう思うなら、まず受領の署名をくれ」「はい」アデマールは食堂の方へ目をやった。「飯は?」「まだだ」「じゃあ先に食おう」「先に署名だ」「腹減った」「三枚だ」オルヴァンがアデマールの袖を引く。「すぐ終わりますよ」「オルもそっち側?」「終わったら一緒に食べます」「じゃあやる」ユスタシュが書類を取り出した。「……相変わらずだな」「何が?」「いや、署名しろ」****三枚の署名を終える頃には、食堂の卓へ煮込みとパンが運ばれていた。アデマールは席につくなり食べ始めた。ユスタシュが向かいへ座る。「さっきまで黙って書類を読んでいた男とは思えんな」「終わったから」「切り替えが早すぎる」オルヴァンがユスタシュへパンを渡す。「どうぞ」「ありがとう」三人で食べる。腹が落ち着いたところで、アデマールは木箱へ手を伸ばした。「開けるぞ」「お前たち宛てだから好きにしろ」最初の封筒には、見慣れた筆跡があった。「ヨリスだ」オルヴァンが隣から覗く。「元気でしょうか」「読む」紙を広げる。『今度会ったら見せたい布がある。お前たちなら買うと思う。特に白い方』オルヴァンが笑った。「僕ですね」「黒い方にも売れよ」続きを読む。『店は順調。荷車をもう一台増やす。値引きはしない』アデマールが笑う。「偉い」「すっかり商人ですね」最後に小さく一行。『どこにいるか分からん。そろそろ住所を作れ』ユスタシュが無言でアデマールを見る。「何だよ」「同感だ」「二人してうるさい」次の封筒をオルヴァンが取った。「リュシアンからです」手紙には、また商隊護衛を終えたことが書かれていた。道中で荷車の車輪が壊れ、護衛たちと一緒に交換したこと。町では迷子の子どもを家まで送り、母親から焼き菓子を大量にもらったこと。最後に、『大きな仕事じゃなくても、最近はちゃんと面白いです』とある。アデマールが笑った。「いいじゃん」「はい」「返事書こう」「もちろんです」次は小さな包み。乾かした香草と手紙が入っていた。オルヴァンが香りを嗅ぐ。「果樹園からですね」今年もよく実ったこと。若い管理人がほとんどの仕事を任されるようになったこと。滑走索が一本増えたこと。『また来たら、今度は上の区画まで案内する』アデマールがすぐ言う。「行きたい」「僕もです」ユスタシュが煮込みを食べながら聞く。「全部また行く気か?」「行けるなら」「いつ行く」「そのうち」ユスタシュがパンをちぎった。「だから連絡先が要るんだ」「今日はそればっかりだな」「今日の仕事だからな」****箱の中身は、なかなか減らなかった。酒造都市からは、新酒ができたという知らせが来ていた。追伸には大きな字で、『今度は夫を酔わせすぎるな』とある。オルヴァンが紙を伏せた。「これは返事をしなくてもいい気がします」「するだろ」「何を書くんです?」「また飲みに行くって」「そこですか」アデマールは楽しそうに笑った。別の封筒には、城壁の爪痕を模した焼き菓子の絵。パン職人からだった。『爪痕パンが売れすぎて、型を増やした』アデマールが絵を見る。「食いたい」「また行った時ですね」昔泊まった宿からも届いていた。屋根の修理が終わったこと。新しい椅子を入れたこと。最後に、『今度は壊すな』とある。アデマールが眉を寄せた。「一回だぞ」「一回で十分でしょう」花畑の農家からは押し花。湖の町からは干した香草。北の港からは、今年も夜空に光が出たという短い便り。数行しかない手紙も多かった。『元気か』『今年も豊作です』『また遊びに来い』『今度は長く泊まれ』アデマールとオルヴァンは、一通ずつ開けていった。「この人、元気だって」「よかったですね」「また店広げたらしい」「次に行く時が楽しみです」旅を終えて別れたあとも、それぞれの町では毎日が続いている。その続きが、紙一枚になって二人のところまで届いていた。****最も短い手紙は、ベルトランからだった。アデマールが開く。読む。裏返す。もう一度表を見る。オルヴァンが尋ねる。「何と?」「『元気か。王都へ戻る予定が決まったら知らせろ』」オルヴァンが待つ。「以上?」「以上」アデマールが手紙を眺める。「オル狙ってる?」「どこを読んだらそうなるんです?」「王都へ戻ったら知らせろって」「僕の名前がありませんよ」「書かなくても会えると思ってるとか」「アデにも会いたいんですよ」ユスタシュが横から口を挟む。「剣聖殿は、お前たちが王都へ来るたび日程を調整している」「俺にも?」「二人ともだ」アデマールは少し嬉しそうにしたあと、ベルトランの手紙を畳んだ。「でもオルは渡さない」「誰も取らん」返事が速かった。オルヴァンが吹き出す。「ユスタシュ、ずいぶん慣れましたね」「慣れたくて慣れたわけじゃない」そこで話は終わった。****昼を過ぎる頃には、開封した手紙が送り主ごとに卓の上へ並んでいた。オルヴァンが紙とインクを用意する。「返事を書きましょう」「全部?」「全部です」「今日終わるかな」「短くても、届けば喜んでくれるでしょう」アデマールがペンを取る。「じゃあヨリス」「僕はリュシアンへ書きます」ユスタシュが立ち上がる。「俺は一度役所へ――」「夕飯までいる?」「なぜそうなる」「せっかく来たし」ユスタシュは時計を見る。「夕方まではいる」「じゃあ食えるな」「仕事が終わればな」アデマールはすでに手紙へ向かっていた。ヨリスへの返事は短い。『元気。布見たい。また行く。荷車増えたのすごい。値引きはいらない』オルヴァンが横から読む。「最後はヨリスが喜びそうですね」「商人だし」オルヴァンはリュシアンへ返事を書く。『焼き菓子は食べ切れましたか。商隊の皆さんも元気そうで安心しました。また会った時に旅の話を聞かせてください』アデマールが覗く。「馬の話も」「自分で書きます?」「書く」紙の端に追記する。『馬にも乗った? 今度聞かせろ』「これでいい」「いいと思います」それからも二人は書いた。『新酒、楽しみにしています』『押し花をありがとうございました』『パンを食べに行きます』『また泊めてください』一通ずつ返していくうち、卓の上には新しい手紙の束ができた。ユスタシュが戻ってくる。「増えてるな」「返事だから」「分かっている。俺が持ち帰る量が増えたと言っている」アデマールが笑う。「よろしく」「本当に住所が欲しくなってきた」****最後の返事を書き終えた頃、窓の外は橙色になっていた。オルヴァンがペンを置く。「終わりました」「疲れた」アデマールが椅子へ深くもたれる。ユスタシュは返事の束を整え、紐を掛けた。「次からは送り先を一つにしてくれ」「でも、今の送り先って王都だろ?」「王都へ集めて、俺たちが追いかけている」オルヴァンが空になった木箱を見る。「確かに、住所があったら楽ですね」「そうだ」アデマールが聞く。「誰の?」「何がです?」オルヴァンが振り返る。「住所です」「僕たちのです」アデマールの動きが止まった。「俺たちの?」「はい。手紙に同じ場所を書けたら、送る人もユスタシュも楽でしょう」アデマールはしばらくオルヴァンを見つめた。「アデ?」「うん」椅子を離れる。オルヴァンのそばまで行く。腰へ腕を回し、そのまま立たせた。オルヴァンが何か言うより早く、唇が重なった。一度離れ、すぐにもう一度。今度は長い。オルヴァンの腕がアデマールの背中へ回る。身体を寄せ、自分から次の口づけを返した。ユスタシュが静かに窓の外を見る。「俺はまだいるぞ」「知ってる」アデマールはオルヴァンの腰を抱いたまま答えた。「知ってて続けるのか」「ちょっとだけ」「俺へ許可を取るな」オルヴァンが肩を揺らす。アデマールがようやく唇を離した。「笑ってる?」「少し」「何で?」「住所の話でこんなに嬉しそうにするとは思わなくて」アデマールはオルヴァンの額へ自分の額を寄せた。「同じ住所って、すげえいいな」オルヴァンの目元が柔らかくなる。「僕もいいと思います」「俺とオルの名前が、同じところに書いてあるんだろ」「はい」アデマールが頬へ口づける。オルヴァンも嬉しそうに受けて、今度は自分からアデマールの唇へ触れた。「アデと同じなら、僕も嬉しいです」アデマールの腕が強くなる。返事より先に抱きしめた。オルヴァンもすぐ背中へ腕を回した。ユスタシュが立ち上がる。「夕食を頼んでくる」「もう?」「戻るまでに少し落ち着け」アデマールがオルヴァンを抱いたまま言う。「努力する」「期待していない」ユスタシュは食堂の奥へ消えていった。****夕食は三人で食べた。ユスタシュは次に二人がどの道を通る予定かを聞いた。「次は?」「まだ決めてない」「明日は?」「朝決める」ユスタシュがアデマールを見る。「三日くらい先まで決められないのか」「天気とか、途中で見つけた道とかあるし」「せめて大まかな方向だけ教えろ」オルヴァンが笑う。「努力します」「その言葉は信じていいか?」「アデよりは」「オル?」「冗談です」食事の間、仕事の話は少しだけだった。王都に新しい菓子屋ができたこと。シビラが執務室へ書類を積みすぎて、とうとう別の机を要求したこと。ベルトランが最近また休みを取っていないこと。どうでもいい話も混ざった。食後、ユスタシュは返事の束を抱える。「明日の朝には王都へ戻る」「もう帰るの?」「俺は仕事で来たんだ」アデマールが言う。「今度は遊びに来いよ」ユスタシュが即座に返した。「どこへ?」アデマールが黙る。オルヴァンが吹き出した。「そこからですね」「そういうことだ」ユスタシュも少し笑った。****夜。二人は部屋で届いた手紙を整理した。押し花は本へ挟む。香草は食料袋へ。小さな贈り物は旅行鞄へ。アデマールはベルトランの短い手紙をもう一度見た。「やっぱ短い」「返事はもっと短かったですよ」「何て書いたっけ」「『元気。王都へ行く時は知らせる。オルは渡さない』です」「完璧」オルヴァンがため息交じりに笑う。「最後の一文、消せばよかったです」「もう遅い」アデマールは手紙を重ねた。少しして、隣へ座るオルヴァンの手を取る。「オル」「はい?」「同じ住所、いいな」オルヴァンが指を絡める。「さっきも言いましたよ」「もう一回言いたかった」「では僕も、もう一回言います」オルヴァンが肩へ寄る。「僕も、アデと同じ住所がいいです」アデマールは笑って、その髪へ口づけた。卓の上には、世界のあちこちから届いた手紙が積まれている。今夜、その返事へ書いた送り元は、まだ旅籠の名前だった。二人は指を絡めたまま、次に届く手紙のことを話していた。