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第42話 家、見に行く?

英雄夫夫のしあわせ諸国漫遊 ~世界を救ったので、ふたりでのんびり暮らす場所を探します~ — fujossy.jp · All chapters

第42話 家、見に行く?

街道を外れてから、景色はゆっくり変わっていった。畑が減り、低い丘が増える。夏草の間を細い道が続き、その先に小さな集落が見えた。アデマールが馬上から地図を見る。「この先だな」「もう少しですね」オルヴァンが隣から覗く。二人が褒賞として受け取った辺境領は、この辺り一帯だった。旅へ出てからも書類上の報告は受け取っていたが、実際にここまで足を運ぶ機会は少なかった。道の脇には羊。畑では何人かが豆を収穫している。通りかかった荷車の老人が二人へ手を上げた。アデマールも手を上げる。「こんにちは」「旅の人かい?」「そんなところです」オルヴァンが笑った。老人は丘の向こうを指す。「この先なら古い領館があるぞ。今は誰も住んでないが、雨風はしのげる」「そこへ行くところです」「そうか。東の屋根だけ気をつけな。去年からちょっと漏れる」アデマールがオルヴァンを見る。「もう情報入った」「ありがたいですね」老人へ礼を言って進む。丘を一つ越えたところで、屋根が見えた。石造りの二階建て。大きさは十分にある。その周りを、伸びた草と低木が囲んでいた。アデマールが少し目を細める。「おお」「思っていたより大きいですね」門まで来る。片方の扉が少し傾いていた。アデマールが押す。ぎ、と長い音を立てて開く。「鳴るな」「かなり」「帰ってきたの分かりやすい」「誰にです?」「家に」オルヴァンが笑った。****鍵は、近くの集落で屋敷を見回っている男が預かっていた。二人が訪ねると、男は目を丸くしてから、慌てて鍵束を持ってきた。「まさかご本人たちが来るとは思わなくて」古い鍵を一つ選ぶ。「中は時々風を通しています。井戸も使えます。台所の竈も生きてます。ただ、二階の東側は雨が強い日に少し漏れます」「さっき聞きました」「もう村中知ってるんですね」男が苦笑する。「庭は好きにしてください。昔は果樹もあったんですが、だいぶ伸びてます」「今日、泊まれます?」「もちろんです。寝具だけ干した方がいいかもしれません」鍵を受け取る。男は最後に言った。「何か足りなければ村へ来てください。食べるものなら多少あります」オルヴァンが頭を下げる。「ありがとうございます」二人は馬を引いて屋敷へ戻った。アデマールが鍵を差し込む。少し固い。一度回らない。「オル」「貸してください」オルヴァンが受け取る。少し押し込みながら回す。かちり。「開きました」「俺より家に好かれてる?」「鍵の癖が分かっただけですよ」扉を開ける。ひんやりした空気が流れてきた。****一階には大きな居間と台所。奥に小さな食堂。浴室。使われていない部屋が二つ。二階には寝室がいくつかあった。窓を開ける。陽の光が入り、細かな埃が舞う。アデマールが咳をした。「掃除からだな」「そうですね」オルヴァンは白い上着を脱いで椅子へ掛け、袖を捲った。「まず一階だけにしましょう」「全部やらない?」「今日中に終わらなくなります」「じゃあ一階」二人で箒を探した。見つかったのは物置の奥だった。一本は少し柄が曲がっている。アデマールが持つ。「俺これ」「使えます?」「たぶん」掃く。数分後。「腰痛い」「持ち方が低すぎます」オルヴァンが柄の長い方を使いながら言う。「アデの方が背が高いですから」「交換する?」「僕が曲がった方を使うことになりますよ」「じゃあこれでいい」また掃く。窓を開ける。卓を拭く。棚の中を確認する。台所には古い鍋が残っていた。オルヴァンが持ち上げる。「これは使えそうです」「何作る?」「村で食材を買ってから考えましょう」浴室も見る。石造りの小さな浴槽が一つ。アデマールが中を覗き込む。「狭い」「二人で入ったらかなり近いですね」「それはそれでいいけど」「足がぶつかりますよ」アデマールはしばらく浴槽を見る。「もうちょい大きくできそうだな」「壁の向こうまで広げればできますね」「やるなら?」「やるなら、です」二人は顔を見合わせた。アデマールが笑う。「まだ一日目だしな」「まず泊まってみましょう」****庭は、屋敷の中より手強そうだった。腰ほどまで伸びた草。絡み合った蔓。何年も自由に枝を伸ばした木。ただ、奥へ入ると昔の石畳がところどころ残っていた。オルヴァンが草を分ける。「ここ、道だったみたいですね」「向こうまで続いてる」辿っていく。庭の奥には古い果樹が三本あった。枝は伸び放題だが、小さな実をつけている。アデマールが一つ見上げる。「食えるかな」「まだ早そうです」「じゃあ待つか」「何をです?」「熟すまで」「ずいぶん長く泊まるつもりですか?」アデマールが止まる。「いや、そういう意味じゃなくて」オルヴァンが笑う。「分かっています」庭の端まで行くと、小川が見えた。ただし屋敷のすぐ脇ではない。草地を抜け、少し下った先を流れている。「思ったより遠いな」「歩けばすぐですよ」「風呂に水引くなら大変そう」「井戸がありますから、生活用ならそちらでしょうね」アデマールは丘の下を見る。さらに向こうには集落。その先に街道。「市場は?」「村の人が、週に二度は隣町まで荷車を出すと言っていました」「毎日買い物は難しいか」「まとめて買えば大丈夫そうです」アデマールが頷く。しばらく庭を見る。「直すとこ、いっぱいあるな」「ありますね」屋根。門。庭。浴室。古い台所。伸びた果樹。アデマールの口元が少し上がった。「なんか楽しそう」「僕も今、同じことを思いました」「ほんと?」「はい」オルヴァンは草の向こうの屋敷を見た。窓が開き、風が通っている。さっきまで閉じていた建物が、少しだけ明るく見えた。「まず今日の夕食をどうにかしましょう」「それ大事」「一番大事かもしれません」二人は村へ向かった。****買ってきたのは、丸パン、玉葱、豆、卵、塩漬け肉、山羊の乳。それから小さな酒瓶。アデマールが竈へ薪を入れる。オルヴァンが鍋を洗う。火がつく。少し煙が出た。アデマールが上を見る。「煙い」「煙突の引きが弱いですね」オルヴァンが窓を開ける。「明日、上を見てみましょう」「登る?」「屋根は僕も見たいです」「じゃあ一緒に」鍋へ玉葱と豆を入れる。塩漬け肉。少し水。ゆっくり煮る。途中でアデマールが味見する。「うまい」「まだ塩しか入っていません」「肉の味する」「それはしますね」オルヴァンが香草を少し加えた。二人でまた味を見る。今度は本当においしかった。夕食は大きな食堂ではなく、台所脇の小さな卓で食べた。向かい合う。蝋燭は一本。窓の外は暗くなっている。アデマールがパンをちぎる。「静かだな」「村も少し離れていますからね」「嫌?」「好きですよ」アデマールがすぐ顔を上げる。オルヴァンは煮込みを食べている。「何が?」「この静かさです」「そっちか」「何だと思ったんです?」アデマールは笑って誤魔化した。オルヴァンも気づいたように口元を緩める。「アデも好きですよ」「知ってる」「言ってほしかったんでしょう?」「まあ」「では言いました」アデマールが満足そうにパンを食べた。****寝具は干したものの、寝台はまだ少し埃っぽかった。二人は結局、一階の居間へ毛布を敷いた。旅行鞄から敷布を出す。枕代わりに畳んだ上着。その上へ二人並んで寝転がる。高い天井。大きな窓。古い梁。月明かりが床へ長く落ちていた。アデマールが横を向く。「オル」「はい?」「今日、ここに帰ってきた感じした?」オルヴァンも横を向いた。少し考える。「まだ、少し変です」「俺も」二人で笑った。「自分たちの場所なのに?」「書類ではそうですけど、今日初めてここでご飯を作りましたから」「うん」アデマールがオルヴァンの髪へ触れる。耳へかかった白い髪を指で払う。「でも、明日の朝もここだな」「そうですね」アデマールの指が頬へ移る。オルヴァンがその手のひらへ少し頬を寄せた。アデマールの表情が柔らかくなる。近づく。唇が重なった。短く離れる。オルヴァンの方からもう一度重ねる。今度は少し長い。アデマールの腕が腰へ回った。オルヴァンも胸へ身体を寄せる。「アデ」「ん?」「楽しそうでしたね、今日」「オルも」「はい」アデマールが額へ口づける。「屋根直して、庭ちょっと切って、風呂広げて」「全部やるんです?」「泊まってる間にできるとこだけ」「それなら」オルヴァンが笑う。アデマールはその笑顔を見たあと、また唇を重ねた。今度は離れるのが少し遅かった。オルヴァンの指が黒いシャツの胸元を掴む。アデマールの腕も強くなる。互いの呼吸が近くなる。「オル」「はい」アデマールが何か言おうとした時、オルヴァンの方から首へ腕を回した。そのまま抱き寄せる。アデマールが一瞬目を見開き、すぐ笑う。「どうした?」「僕も、ちょっと嬉しいんです」「何が?」「明日もここにいるのが」アデマールは返事をする前に抱きしめた。オルヴァンも背中へ腕を回す。頬。耳の下。また唇。しばらく二人で触れ合った。古い屋敷の広い居間に、二人の小さな笑い声だけが残った。****夜中。ぽつ。アデマールが目を開けた。ぽつ。もう一度。隣でオルヴァンも目を開ける。「雨?」「みたいです」外では細い雨が降り始めていた。ぽつ。今度は少し離れた床。二人とも同じ方向を見る。天井から、一滴。アデマールが起き上がる。「ここも漏るんだ」「東側だけだと思っていました」「新情報」「ですね」二人で笑う。台所から桶を持ってくる。水滴の下へ置く。ぽちゃん。「これでいいか」「朝までなら」毛布へ戻る。オルヴァンがアデマールの腕の中へ入る。アデマールが背中を抱く。「直すとこ増えたな」「一つ増えましたね」「嫌になった?」「いいえ」オルヴァンが胸元へ頬を寄せる。「明日、見ましょう」アデマールが髪へ口づける。「うん」桶へ落ちる水音を聞きながら、二人はまた眠った。****朝。雨は上がっていた。窓を開けると、庭の草が濡れて光っている。アデマールは昨日の竈へ火を入れた。オルヴァンが卵を焼く。残ったパンを温める。二人で小さな卓へ座った。アデマールが窓の外を見る。「今日、屋根見る?」「朝食のあとに」「庭も?」「午後にしましょう」「風呂は?」「それは急ぎすぎです」アデマールが笑う。「じゃあ今日は二つ」オルヴァンも笑った。朝食を食べる。昨日と同じ屋敷。昨日より少し開いた窓。床には昨夜使った桶。台所には二人の皿。「オル」「はい?」「今日も泊まる?」オルヴァンはパンを一口食べてから頷いた。「はい」アデマールも頷く。それで十分だった。