第44話 お風呂は大きい方がいい
第44話 お風呂は大きい方がいい
朝から、屋敷の前に荷車が三台並んでいた。一台は石材。一台は木材。最後の一台には、工具と職人が乗っている。アデマールは玄関前で腕を組み、満足そうに眺めていた。オルヴァンが隣へ来る。「ずいぶん集まりましたね」「風呂広げるから」「台所と窓と棚も直しますよ」「まず風呂」「寝室より真剣ですね」「風呂は大事だろ」オルヴァンが少し笑う。「寝室も大事ですよ」「もちろん。もっと大事」ちょうど横を通った大工が、一度だけ二人を見た。何も言わず、そのまま木材を担いで屋敷へ入っていく。オルヴァンが小声で言った。「聞こえましたよ」「聞かせたわけじゃない」「声が大きいんです」石工が浴室の戸口から顔を出した。「アデさん、こっち来てくれ!」「行く」アデマールはすぐそちらへ向かった。オルヴァンも続く。****もともとの浴室は、石造りの浴槽が一つあるだけだった。一人なら十分。二人で入れば、脚を曲げて向かい合うことになる。石工が壁を叩く。「こっちの物置を半分潰せば広げられる」アデマールが即答する。「全部使っていい」「全部?」「広い方がいい」オルヴァンが浴室を見る。「棚は残してください。着替えを置く場所がなくなります」「じゃあ半分」「さっき全部と言ったでしょう」「オルがいるから計画がまともになる」石工が笑う。「それなら半分だな」床へ線を引く。アデマールがしゃがみ込む。「このくらい?」「そこまで広げたら三人入れるぞ」「別にいいだろ」「誰と入るんだ?」アデマールがオルヴァンを見る。「オル」「二人です」石工が腹を抱えて笑った。「じゃあ二人分で作る!」アデマールは少し残念そうだった。オルヴァンが袖を引く。「十分広くなりますよ」「オルが脚伸ばせる?」「伸ばせます」「じゃあいい」話は決まった。****職人たちは、それぞれ勝手が分かっていた。石工が浴室。大工が傷んだ窓枠と台所の棚。別の二人が裏口の戸を直す。アデマールとオルヴァンは手伝える場所を行き来した。「アデさん、その石一枚こっち」「これ?」「それ」アデマールが運ぶ。石工が受け取ろうとして、一瞬止まる。「……軽そうに持つなあ」「重い?」「俺にはな」それ以上は言わず、石工は位置を指示した。「そこへ置いてくれ」「はい」隣ではオルヴァンが新しい棚板へ油を塗っている。大工が手元を見る。「薄くでいいぞ」「このくらいですか?」「そうそう。塗りすぎると乾かん」オルヴァンは言われた通り布を動かす。台所の窓辺には、旅の途中から持ち歩いている小さな香草の鉢が置いてあった。大工がそれを見る。「それ、庭へ植えないのか?」「もう少し鉢で育てようと思っていたんですが」「この辺の土なら平気だぞ。霜が来る前なら根も張る」オルヴァンが鉢を見る。アデマールもやってくる。「植える?」「そうしましょうか」「どこ?」「台所から見えるところがいいです」大工が窓の外を指す。「裏口の脇なら日も当たる」アデマールがすぐ外へ出る。「穴掘ってくる」「まだ仕事中ですよ」「昼休みにする」大工が笑った。「好きにしな。ここ、お前らの家だろ」アデマールが少し止まった。オルヴァンも大工を見る。本人はもう棚板へ戻っていた。二人も何も言わず、仕事へ戻った。****昼になると、職人たちは庭の長卓へ集まった。料理は村の食堂から大鍋で届いた。豆と根菜の煮込み。焼いた鶏。黒パン。山羊乳のチーズ。アデマールが皿を並べる。「足りる?」「お前が食いすぎなきゃな」石工が言う。「俺の家だぞ」「だから何だ」「……何でもない」オルヴァンが笑う。職人の一人がアデマールへ酒瓶を渡した。「昼は一杯だけな」「分かってる」「本当か?」「オルがいるから」「なら安心だ」オルヴァンが首を傾げる。「僕は酒番なんですか?」「この村じゃ、たぶんそうなってる」「いつの間に」皆が笑った。食べ始めて少しすると、門の外から子どもたちが覗いた。三人いる。昨日、水路で見かけた子も混ざっていた。「何してんの?」アデマールが答える。「風呂作ってる」「風呂?」「でかいやつ」「そんなに風呂好きなの?」「好き」子どもたちは庭へ入ってきた。一人がオルヴァンを見る。「オルさんも?」「好きですよ」「二人で入るの?」「入ります」アデマールがすぐ付け加える。「毎日でも」「毎日は言ってません」子どもたちが笑う。石工が黒パンをちぎりながら言った。「完成したら最初に入るのはこの二人だからな。お前ら覗きに来るなよ」「覗かないよ!」オルヴァンがむせた。アデマールが背中を擦る。「大丈夫?」「石工さんが余計なことを言うからです」石工は楽しそうに酒を飲んでいた。****午後、二人は香草を庭へ植えた。台所の裏口から三歩ほどの場所。小さな穴を掘り、鉢から土ごと移す。オルヴァンが根元へ土を寄せる。アデマールが水を少しだけかける。「これくらい?」「はい。今日は十分です」二人でしゃがんだまま眺める。鉢の中にいた時より、ずいぶん小さく見えた。アデマールが言う。「広くなったな」「根を伸ばせますからね」「増える?」「うまく育てば」アデマールが少し笑う。「いっぱい増えたら料理に使おう」「いいですね」庭の向こうから声が飛んだ。「アデさーん! 石!」「今行く!」立ち上がる。オルヴァンも土を払う。「僕は棚の続きをします」「あとで見せて」「はい」二人は別々の場所へ戻った。****夕方になる頃、浴槽の形が見えてきた。古い物置との壁が一部なくなり、二人が脚を伸ばして座っても余裕がある広さになっている。アデマールが縁へ座った。「いい」「まだ湯は入りませんよ」石工が言う。「分かってる」「顔がもう入る気だぞ」オルヴァンも浴槽を見る。「本当に広くなりましたね」「だろ?」アデマールが得意そうだ。「作ったのは職人さんたちですよ」「金出したの俺たち」「それはそうですが」石工が肩を揺らす。「明日、目地を仕上げて乾かす。使えるのはその翌日だ」「明日じゃ駄目?」「駄目だ」「夜は?」「駄目だ」「ちょっとだけ」「駄目だ」オルヴァンがアデマールの腕を引いた。「諦めてください」「二日も待つの?」「一日半です」「長い」石工が笑う。「勇者様でも乾く時間は縮められんぞ」アデマールは渋々浴室を出た。****二日後。朝からアデマールは落ち着かなかった。職人が最後の確認をしている間も、浴室の前を何度も通る。台所にいたオルヴァンが声を掛ける。「アデ」「何?」「座ってください」「もう使える?」「まだ聞いていません」アデマールは椅子へ座った。十数える前に立つ。「ちょっと見てくる」「さっき見ましたよ」石工が浴室から出てきた。「いいぞ」アデマールの動きが止まる。「ほんと?」「湯を張っていい」「オル!」「ここにいます」「入ろう」「まだ昼ですよ」「夜まで待つ?」「待てますか?」「無理」オルヴァンが笑った。「では、職人さんたちが帰ってからにしましょう」「それなら待つ」アデマールは急に聞き分けがよくなった。石工が呆れたように言う。「現金なやつだな」****夕方。最後の職人を門まで見送った。「ありがとう!」「次は台所の戸棚だぞ」「また頼む」「酒用意しとけ」「分かった」オルヴァンが隣で言う。「仕事代は別ですよ」「分かってるって」職人たちは笑いながら村へ戻っていった。門を閉める。二人だけになる。アデマールが振り返った。「風呂」「はいはい」二人で浴室へ向かった。****新しい浴槽には、湯がたっぷり入っていた。湯気が上がる。窓を少し開けると、夕方の風が入る。アデマールは先に肩まで浸かった。「最高」オルヴァンも入る。脚を伸ばす。向かい合っても余裕があった。「広いですね」「広げてよかっただろ」「はい」アデマールが満足そうに笑う。しばらく湯に浸かる。肩まで温まる。窓の外から、庭の木々が少し見えた。アデマールが言う。「オル」「はい?」「そっち遠くない?」オルヴァンが浴槽を見る。「十分近いですよ」「前より遠い」「広くしたのはアデでしょう?」「それとこれとは別」アデマールが両腕を広げる。「こっち来て」オルヴァンは少し笑って、湯の中を移動した。アデマールの前へ。そのまま背中を胸へ預ける。「これなら、狭い浴槽でもよかったのでは?」「脚伸ばせるだろ」「確かに」アデマールが腰へ腕を回す。顎を肩へ乗せる。「いいな」「何がです?」「これ」オルヴァンが腕へ触れる。「僕もです」アデマールが頬へ口づける。オルヴァンが少し振り向き、唇を重ねた。短いキス。もう一度。湯の中で、オルヴァンが身体の向きを変える。今度は向かい合った。アデマールの胸へ手を置く。「アデ、嬉しそうですね」「嬉しい」「お風呂が?」「オルと入ってるのが」オルヴァンの口元が緩む。「それなら、前の浴槽でも同じですよ」「でも今の方が好きに抱ける」言い終わる前に、アデマールの腕が腰へ回った。オルヴァンが引き寄せられる。唇が重なる。オルヴァンは驚かず、すぐアデマールの首へ腕を回した。湯が小さく揺れる。もう一度口づける。アデマールの手が濡れた背中を撫でる。オルヴァンも肩へ指を滑らせた。呼吸が近くなる。「アデ」「ん?」「広くしてよかったですね」アデマールが笑った。「だろ?」オルヴァンの方から唇を塞ぐ。今度は長い。アデマールの腕がさらに強くなる。オルヴァンが膝を寄せ、身体を近づけた。しばらくして、二人はようやく離れた。額が触れる。「のぼせる?」「このままだとのぼせますね」「出る?」「はい」アデマールは名残惜しそうだったが、オルヴァンが笑いながら肩を押した。****寝室へ戻る頃には、二人とも薄い部屋着を羽織っていた。オルヴァンの白い髪はまだ少し濡れている。アデマールが布を持つ。「乾かす」「お願いします」寝台へ腰掛けたオルヴァンの髪を拭く。ゆっくり。首筋へ触れる。オルヴァンが振り返った。アデマールの手が止まる。オルヴァンはその手を取って、自分の頬へ寄せた。アデマールの目が細くなる。「オル」「はい」返事を聞く頃には、もう口づけていた。オルヴァンも腕を首へ回す。濡れた髪がアデマールの指へ絡む。部屋着の襟が少し緩む。アデマールの掌が肌へ触れた。オルヴァンも黒い部屋着の前を開く。「さっきから、ずっと嬉しそうですね」「オルもだろ」「はい」オルヴァンが自分から身体を寄せる。「僕も、今日はもっとくっつきたいです」アデマールは返事より先に抱きしめた。その勢いのまま寝台へ倒れる。オルヴァンの脚が絡む。手を握る。唇がまた重なった。二人の身体が、まだ湯の熱を残したまま重なった。****夜更け。オルヴァンは毛布の中で、アデマールの腕を枕にしていた。汗の残る額へ、アデマールが指を滑らせる。白い髪を耳へ掛ける。「風呂、どうだった?」「とてもよかったです」「大きくしてよかった?」「よかったです」「明日も入る?」「入ります」アデマールが嬉しそうに笑う。オルヴァンも頬へ口づけた。窓の近くでは、小さな音飾りが風に揺れている。澄んだ音が一度鳴った。台所の外には、植えたばかりの香草。庭の向こうには村の灯り。アデマールがその灯りを眺める。「今日、石工に『ここ、お前らの家だろ』って言われた」「聞いていました」「普通に言われたな」「はい」「なんか、よかった」「僕もです」オルヴァンが胸へ収まる。アデマールが背中を抱いた。少しして、村の灯りが一つ消えた。また一つ消える。二人の屋敷には、まだ灯りが残っていた。