第47話 四人で行こう
第47話 四人で行こう
夜明け前、屋敷の門が激しく叩かれた。アデマールが目を覚ます。隣ではオルヴァンもすでに起き上がっていた。もう一度、門を叩く音。「急使です! 王国軍より!」二人は同時に寝台を出た。廊下へ出ると、向かいの客間からベルトランが剣を持って現れる。その隣の扉も開いた。シビラは髪をまとめながら言った。「嫌な起こされ方ね」「行くぞ」アデマールが階段を下りる。四人が玄関へ出ると、軍装の騎兵が息を切らしていた。「南東の盆地で大規模な魔獣群が発生。悪魔のマナの濃度が急上昇しています。王国軍と周辺諸国軍が迎撃中ですが、中央戦線が押されています」オルヴァンの表情が変わる。「悪魔のマナは、どこから?」「巨大な異形が噴き出しているとの報告です」ベルトランが馬へ目を向ける。「距離は?」「全力なら半日以内です」シビラが屋敷の方を見る。「準備するわ」「俺も」アデマールが答える。オルヴァンも頷いた。「行きましょう」四人は散った。****朝日が昇る頃には、屋敷の前に四頭の馬が並んでいた。アデマールは黒い旅装の上から剣帯を締め、大太刀を魔法収納から取り出している。オルヴァンは白い旅装の袖を整え、腰へ細剣を下げた。二人とも手袋を着けたままだ。ベルトランはいつもの剣。シビラは杖を持っている。村から何人かが駆けてきた。昨夜の騒ぎを聞いたらしい。屋根を直した職人も、水路で一緒だった農家もいる。老婆が四人を見る。「行くのかい」「うん」アデマールが答える。「帰ってくるよ」老婆は頷いた。「じゃあ夕飯は取っとく」アデマールが笑った。「多めに」「分かってるよ」オルヴァンも笑う。少年がオルヴァンへ声を掛けた。「ちゃんと帰ってきてね」「はい」「アデさんも」「もちろん」アデマールが馬へ乗る。オルヴァンも続く。ベルトランが二人を見る。「準備は?」「できた」「僕もです」シビラが馬首を街道へ向けた。アデマールが言う。「四人で行こう」誰も返事を長くしなかった。四頭の馬が同時に走り出した。****戦場は、遠くからでも分かった。空の色が違っていた。南東の盆地一帯を、黒紫の霞が覆っている。その下では無数の軍旗が動いていた。人族。獣人族。エルフ。ドワーフ。いくつもの国の兵が入り混じり、盆地を埋め尽くす魔獣群を押し返している。矢が飛ぶ。魔法が走る。騎兵が側面を駆ける。重装兵が盾を並べる。中央には、巨大な異形がいた。丘ほどもある。黒い外殻に全身を覆われ、背から何本もの突起が伸びている。呼吸するたび、殻の隙間から悪魔のマナが噴き上がった。アデマールが馬を止める。「でかいな」「それだけではありません」オルヴァンが異形を見る。黒い霞が、周囲の魔獣へ絶えず流れ込んでいる。傷ついた魔獣が立ち上がる。倒れたものの間から、新しい異形が這い出す。シビラが眉を寄せた。「先に周りを減らすわよ」「分かった」ベルトランが剣を抜く。前線の兵士が四人に気づいた。声が広がる。「剣聖だ!」「大魔術師もいる!」「勇者と賢者だ!」浮き足立っていた中央列が、わずかに持ち直す。指揮官が剣を上げた。「中央を開けろ! 左右は押さえろ!」兵たちが動く。四人が馬を降りた。ベルトランが首を一度鳴らした。「久しぶりだな。広い場所は」アデマールが大太刀を肩へ担ぐ。「地下よりいい」「比べるまでもないわ」シビラが杖を上げる。オルヴァンが四人の前へ薄い結界を広げた。「来ます」魔獣の群れが押し寄せた。ベルトランが一歩前へ出る。「《リミット・ブレイク》――二倍」踏み込んだ。姿が消えた。次の瞬間、先頭の魔獣が横一文字に裂ける。そのさらに奥。二体。三体。剣閃が連なり、一列がまとめて崩れた。アデマールが笑う。「それ久しぶりに見た」「喋ってる暇あるか」ベルトランはもう次の群れへ入っている。アデマールも走った。大太刀を振るう。正面から突っ込んできた大型魔獣の角を受け、身体ごと横へ叩き流す。空いた場所へ兵士たちが雪崩れ込んだ。「今だ!」「押せ!」槍列が進む。オルヴァンの魔法がその足元を走る。疲労していた兵士たちの動きが一段上がった。敵側へは細い雷光。前脚が痺れた魔獣へ、弓兵の一斉射撃が突き刺さる。「右から来ます!」オルヴァンが叫ぶ。シビラが振り返りもせず杖を払った。巨大な風の刃が地面すれすれを走る。右側から回り込んだ群れがまとめて薙ぎ倒された。「次!」軍の魔術師たちも続く。炎。氷。土槍。上空へ逃げた飛行魔獣には、エルフの弓隊が矢を浴びせた。戦線が動き始めた。****昼前には、盆地中央へ続く道ができていた。四英雄だけが作った道ではない。兵士が盾を支え、弓兵が援護し、魔術師たちが魔獣の足を止め、各国の勇者たちが大型種を引き受けている。その間を四人が進む。巨大な異形が近づく。外殻の一枚だけでも城門ほどあった。ベルトランが走る。「十倍」地面が弾けた。今度はアデマールにも辛うじて軌道が見える程度だった。剣が黒い外殻へ叩き込まれる。轟音。火花。巨体がわずかに揺れた。ベルトランが着地する。殻には深い傷が一本刻まれていた。だが、割れてはいない。シビラが見上げる。「硬いわね」「十倍でこれか」ベルトランが剣を払う。異形の脚が持ち上がった。巨大な爪が落ちる。アデマールが前へ出た。「避けろ!」大太刀で受ける。地面が沈んだ。アデマールの両脚が膝近くまで土へめり込む。「アデ!」オルヴァンの魔法が身体を包む。アデマールが歯を食いしばる。「重っ……!」腕へ力を込めた。爪を押し返す。巨体が傾いた。ベルトランがすぐ側面へ回る。シビラの魔法が脚の関節へ突き刺さる。巨大な氷柱。その一本一本が家ほどもある。それでも外殻は砕けない。オルヴァンが低く言う。「殻の内側から、ずっと悪魔のマナが流れています」「止められる?」「試します」杖を振る。白い光が異形へ絡みつく。黒い霞が一瞬薄くなる。次の瞬間、内側から噴き出した悪魔のマナが光を吹き飛ばした。オルヴァンが一歩下がる。「強い……」アデマールがすぐ前へ出る。「無理すんな」「まだやれます」「知ってる」二人の肩が一瞬触れる。すぐ離れた。****敵の背後から、新しい魔獣群が湧いた。盆地の斜面が黒く埋まる。軍の指揮官が叫ぶ。「後方第二列、下がるな! 中央を守れ!」兵士たちが盾を構える。シビラが上空を見る。「まとめて消す」杖を高く掲げた。魔力が膨れ上がる。周囲の魔術師たちが思わず振り返る。空が赤く染まった。アデマールが上を見る。「来るぞ!」シビラが杖を振り下ろす。「《メテオストーム》」空が落ちた。燃え盛る巨大な岩塊が、次々と魔獣群へ降り注ぐ。一発。二発。十。二十。盆地の斜面が爆炎に包まれた。衝撃が地面を伝う。魔獣の群れが一気に消える。後方にいた兵士たちから歓声が上がった。「すげえ……」アデマールが呟く。シビラが横目を向ける。「何よ」「いや、相変わらずすげえなって」オルヴァンが隣からじっと見る。アデマールが気づく。「オル?」「……何でもありません」シビラが笑った。「今それやる?」「何もしてません」「はいはい」シビラはもう巨大異形へ向き直っていた。****爆炎の向こうで、異形が吠えた。それまでとは違う声だった。低く。長く。盆地全体が震える。黒い外殻の隙間が一斉に開いた。オルヴァンの表情が強張る。「まずい!」黒紫の光が噴き上がった。空へ。地面へ。全方向へ。悪魔のマナが津波のように広がる。最前列の兵士が倒れた。一人。十人。百人。盾が落ちる。槍が転がる。後方の魔術師が頭を抱える。「違う……敵が……」隣の兵士へ剣を向ける者が出る。指揮官が叫ぶ。「武器を下ろせ! 味方だ!」その本人も膝をついた。黒い霞がさらに濃くなる。悲鳴が重なる。獣人の兵士が耳を塞ぐ。エルフの弓兵が弓を落とす。魔術師たちの詠唱が途切れる。若い勇者たちまで地面へ膝をついた。戦線が崩れた。「下がれ!」「動けない!」「敵が来る!」魔獣群が再び押し寄せる。四人の周囲にも黒い霞が流れ込んだ。シビラの結界が軋む。「くっ……!」杖を地面へ突く。ベルトランが額を押さえた。「これは……きついな」アデマールの視界が歪む。目の前の黒い影が、人の形へ変わる。敵か。味方か。分からなくなる。耳元で何かが囁いている。守れなかった。遅かった。また失う。隣にいたはずのオルヴァンが遠くなる。「オル……?」返事が聞こえない。****オルヴァンも膝をついていた。頭の中へ、知らない声が入り込んでくる。すべて壊れる。誰も帰れない。あの家も。村も。人も。アデマールも。胸が苦しくなる。息ができない。細剣が地面へ落ちた。その時だった。どこかで、澄んだ音がした気がした。風に揺れる、小さな音飾り。本当に聞こえたわけではない。けれどオルヴァンは思い出した。朝の台所。少し焦げた卵。庭の香草。大きすぎる浴槽。村から届いたパン。泥だらけになった水路。長い卓。笑う友人たち。そして。「みんな、俺たちの家へようこそ」あの声。オルヴァンが目を開ける。黒い霞の向こうに、アデマールがいた。片膝をついている。大太刀を地面へ突き立てている。オルヴァンは立った。脚が震える。それでも歩く。一歩。もう一歩。「アデ」アデマールの肩が動いた。「……オル?」「僕です」オルヴァンが腕を伸ばす。アデマールも伸ばした。手袋越しに手を掴む。「ここにいます」アデマールの目から濁りが消えていく。「……うん」握る力が強くなる。「帰ろうな」「はい」黒い霞が二人の周囲を渦巻く。オルヴァンの胸の奥から、突然、強い魔力が湧き上がった。「……あれ?」アデマールも息を呑む。「何か、すげえぞ」「僕も……力が」理由を考える暇はなかった。オルヴァンは巨大異形を見る。何度も使ってきた魔法。悪魔のマナへ向けて、いつも通り放つ。「《ジ・エンド・オブ・エレメンツ》」光が広がった。****音が消えた。悲鳴も。咆哮も。魔法の炸裂音も。風の音さえ止まったように感じた。黒紫の霞が消えている。アデマールが息を止めた。目の届く範囲だけではない。盆地全体。山際まで覆っていた悪魔のマナが、一瞬、完全に消えていた。倒れていた兵士が顔を上げる。魔術師が自分の手を見る。剣を向け合っていた兵士たちが動きを止める。シビラも目を見開いた。「オルヴァン……?」オルヴァン本人が一番驚いていた。「……範囲が」アデマールが横を見る。「こんなだった?」「こんなに広くありません」ベルトランが剣を握り直す。「話はあとだ!」巨大異形の外殻から、黒い光が消えている。今まで絶えず満ちていた悪魔のマナが途切れた。「アデ!」オルヴァンが叫ぶ。アデマールはもう走っていた。大太刀を両手で握る。身体の奥から、力が溢れてくる。軽い。身体が。剣が。世界まで。「何だこれ……!」巨大異形が爪を振り上げる。ベルトランが割り込んだ。「五十倍」剣閃。振り下ろされた爪が横へ弾けた。ベルトランの靴が地面を削る。「今だ!」シビラの魔法が異形の脚を縛る。幾重もの光輪が巨体へ食い込む。軍の魔術師たちも立ち直った。「拘束を重ねろ!」何十もの魔法陣が地面に広がる。兵士たちが叫ぶ。「勇者を通せ!」盾列が開く。若い勇者たちが周囲の魔獣へ飛び込む。アデマールの前に、一本道ができた。巨大な黒い外殻が迫る。何度叩いても割れなかったもの。アデマールは大太刀を振りかぶった。いつもの技だった。何度も使ってきた。ただ、この瞬間だけ。壊せる。そう思った。「《インフィニット・ノヴァ》!」刃が外殻へ触れた。亀裂が走る。一つ。百。千。黒い巨体全体へ、一瞬で広がった。アデマールが目を見開く。「え?」次の瞬間。外殻が粉砕した。城壁ほどの厚みを持つ黒い装甲が、内側から砕け散る。爆風が盆地を走る。アデマールは大太刀を地面へ突き立てて踏ん張った。砕けた殻が雨のように降る。シビラが結界を張る。兵士たちの前にも魔法障壁が次々と立ち上がった。轟音が収まる。アデマールは自分の剣を見る。「……威力、おかしくないか?」オルヴァンが駆け寄る。「僕もそう思います」「オルのも」「はい」「何で?」「分かりません」ほんの一瞬、二人は互いを見る。オルヴァンが小さく笑った。「旅をしたからでしょうか」「そんなことある?」「分かりません。でも」庭。村。友人たち。二人で歩いた世界。オルヴァンはそれだけ思い浮かべた。「きっと、そうです」アデマールも少し笑った。「じゃあ、帰ったらもっと旅する?」「まず帰ってからです」「うん」そこまでだった。戦場が再び動いた。****外殻を失ったことで、魔獣群の勢いが落ちた。「今だ! 押し返せ!」軍の指揮官が剣を振り上げる。盾列が前進する。弓兵が一斉に放つ。魔術師たちが大地を震わせる。騎兵が側面へ回り込む。各国の勇者たちも立ち上がっていた。悪魔のマナが戻り始めても、先ほどまでの濃さには届かない。兵士たちが声を掛け合う。「前へ!」「中央を押せ!」「ここで止めるぞ!」四英雄も動く。シビラが広域魔法で魔獣群を削る。ベルトランが前線を切り開く。オルヴァンが味方の結界を補強する。アデマールが大型種を次々と叩き伏せる。崩れていた戦線が、逆向きに動き始めた。押す。さらに押す。盆地の中央を覆っていた黒い群れが、少しずつ後退する。兵士たちの歓声が広がった。勝てる。そんな空気が戦場へ戻り始める。その時だった。ベルトランが止まった。「待て」シビラも同時に中央を見る。砕けた外殻の山。その奥で、何かが動いた。黒い破片が持ち上がる。一つ。二つ。内側から、細い腕が伸びた。アデマールの笑みが消える。「……まだいる」殻の中から、それは立ち上がった。さっきまでの巨体と比べれば、小さい。それでも人より遥かに大きい。黒い身体。長い四肢。頭部から後ろへ伸びる角。全身から流れる悪魔のマナは、外殻の時より少ない。ただし。濃い。あまりにも濃い。オルヴァンが息を呑んだ。異形がゆっくり顔を上げる。四人を見た。そして。消えた。「――っ!」ベルトランが剣を上げる。金属音。次の瞬間、ベルトランの身体が数十歩後方まで弾き飛ばされた。「ベルトラン!」アデマールが叫ぶ。ベルトランは地面を滑りながら剣を突き立て、止まった。腕が震えている。異形は、さっきまでベルトランがいた場所に立っていた。シビラの目が細くなる。「……速いわね」ベルトランが立ち上がった。口元の血を親指で拭う。それでも笑っていた。「ようやく本体か」アデマールが大太刀を構える。オルヴァンも細剣を抜いた。シビラの周囲へ魔力が集まる。黒い異形が四人を見る。戦場の奥では、軍勢が魔獣群を押し返し続けている。ここから先は、四人の仕事だった。アデマールが隣を見る。オルヴァンもこちらを見る。言葉はいらなかった。四人が同時に踏み出した。