第3話
第3話
+++ side T +++きりきりする胃を抱えて王妃様の宮殿に向かうと、王妃様のお部屋に直接通された。王妃様にお仕えしている面々の思うところと俺の気持ちを慮ってくれたかのように、出迎えも、すれ違う使用人も最小限だった。「久しぶりね、テオ」そう言って微笑んだ王妃様は、幼い日に面倒を見てくれていた頃の、心優しい姿のままだ。折れそうに細いのは変わらない。だけどそれより――……。「違うわよ、お化粧をしていないから」何も口にしていないのに。怖い。「お美しいです、変わらずに」「ふふ。ありがとう」あの方の側妃になってそれこそもう五年以上が経つけれど、顔が見たいわ。お見舞いに来てちょうだい、と気軽な招待を王妃様から受けたのは初めてだった。とはいえ予想はついているんだけど……切り出していいのかな……。王妃様とあの方はよく似ている。穏やかで、感情が見えなくて、優しくて。あの方の印象は、側妃になっても変わっていないけれど――王妃様については、正直なところ、変わっていないのかよく分からない。子どもの頃は、優しく面倒を見てくれた美しい遠縁の姉上のような――本家のお姫様だったけど、いつまでもそのままってこともないだろうし……。「このところ暑さが厳しいでしょう? ――しばらく遠方で静養することを考えているの」「――」「引き継いでくれないかしら」「……何をですか?」「もちろんこの国の――」「す、すみません――無理です」「あなたには資格があるでしょう?」「資格なんかありませんよ」「あの方の隣で、黙って微笑んでいるだけでいいのよ」「本当にそれだけとしてもとても無理です」「ふふ」かたくなに断りつづけていると、王妃様が楽しそうに微笑んだ。血色がよくなってきたようでほっとした。「――俺は何をしたらいいですか?」長いまつげがふわりとした。「あの方を支えていてほしいの。これまでのように」「……」「問題があるかしら?」ことんと首を傾げた王妃様に、いいえと微笑んで首を振った。「あなたの場所はぜったいにお守りします」カールの事件のときに、あの方を表に立たせてしまったくらいに俺は軟弱だけど、それでもこの方の場所だけは、なんとしても守らなくては。俺の言葉に王妃様は、「ありがとう」と優しい顔で笑ってくれた。 ***あの方を支える……。庭で植物の世話をしながら、王妃様の言葉を思い出した。王妃様は、俺とあの方の関係をどういうものと思っているんだろう。それだけにはしないでほしいと言われている、と、最初の頃にあの方が言った。それからずっと、俺は捨て置かれることなく、ここで静かに暮らしているけど――……。がさりと物音がして顔を上げると、整った小さな顔が、草木の間から覗いていた。「――王子殿下」「ぼくを知っているのか?」「もちろんです。クリスティアン王子殿下」カールの件の後、しばらくの間は警備もそこそこ窮屈だったけれど、もう警戒はゆるめてもらっている。時間が経ったのだ。とはいえ、王子殿下の訪問は予想外だ。「お一人でいらしたのですか?」「――ああ」堂々としている。「先日ははうえの元に来ていたな」「ええ。――テオ・バイエルンと申します。王子殿下」あのとき、王妃様の言葉を遮って正解だったな……。俺の存在は、中途半端でふわふわしている。素性を伏せた方がいいのか否か、判断が難しい。もう明かしてしまったけど。「ははうえの親戚か?」「はい。遠縁にあたります」「……」王子殿下のお顔が曇った。だ、大丈夫かな……。「少し休まれますか? 飲み物とお菓子を――」「ここに住んでいる人物を見に来たのだ」「……」「ここの主のことを教えてほしい」「……ここは――……」「ちちうえの所有している邸宅だろう。知っている」「……私です、王子殿下」「あなたが?」困惑している。オメガでよかった。「ここには女性がいると……」「いませんよ」「いない?」「女性に見えますか?」「……見えない」「お父上の秘密を疑っていらしたのですか?」正直に話す必要などない。こんな子どもが、今向き合うことではないことだけははっきりしている。「――弟妹が……いつもどこからかやってくるのだ」胸が痛くなる思いがした。「私にも三つ下の妹がいます。たしかに突然現れたようでしたね」「……そうだろうか」聡明な方だ。絶対にそんなことはない、と否定するかと思ったけれどしなかったところまで。まだ、こんなに小さな子どもなのに。「殿下は王妃様に似ておいでです」「そうか?」「幼い頃、よく遊んでいただきましたが――王妃様はとても勇敢で、いつも冒険の先頭に立っていらしたのですよ」「ははうえが?」「はい。その記憶があったので――殿下がお一人でこの屋敷まで来たと仰った姿を見て、王妃様にそっくりだなと思いました。――ですが王妃様には内緒でお願いします。こんなことを話したと知られたらお叱りを受けるかもしれないので」王子殿下は不思議そうな顔をしている。「お疑いならお父上にお訊ねください」「ちちうえも知っているのか?」「もちろんです」遠い記憶を呼び起こす。草木のにおい、強い日差し、光をきらきらはじく髪。それから――……。「――素敵でいらっしゃいました。その頃から」「あなたは……ははうえを……」思いがけない勘違いを招いてしまった。「それは……あまりに畏れおおくて……」「――違うのか?」大きな瞳が、不安そうに揺れている。どういう感情が、この小さな体にあるんだろうな。「いいえ。……違いませんよ」「……」「……これ以上は言いませんよ」じっと見つめてくる瞳に苦笑すると、「すまない」と王子殿下が眉を下げた。あの方によく似た仕草で、なんだかとても不思議だった。+++ side M +++テオを探して、庭に回ると先客がいた。ふたつの影に足を止める。(……似ているな)横顔や斜めから、クリスティアンの顔をまじまじと見つめることはあまりない。幼い頃の私と瓜二つと称されることも多いクリスティアンにテオの面影が垣間見えることに、胸が疼くような想いがした。「――」クリスティアンの姿が木々の間に消えてしまって、立ち上がったテオと目が合った。ちらっとクリスティアンを気にするような素振りを見せてから、テオがすたすたと近づいてきた。「たった今まで、クリスティアン王子殿下がそこに。――見ていましたか?」「うん」クリスティアンの耳を意識したのだろう、テオはとってつけたような敬語をつかった。いつから見ていたのか疑っているような顔をして、「中で話しましょう」とテオが言った。 ***「――疑いをお持ちのようだったので……心ないことを殿下のお耳に入れる存在がいるんじゃないかと――……もちろん気をつけていないと思ってはいないけど気になって――……聞いている?」もちろん聞いている。クリスティアンと並んだ姿を目撃したことで少々感傷的になっていたが――テオが私の機微を読み取れるようになっていることに新鮮に驚く。「クリスティアンの周りの人間のことは調べさせよう」いつかは耳に入ると思っていたが、まだ交友も制限されているから、もう少し長じてのことと想定していた。早すぎる。クリスティアンの傍にいてはいけない人物が侍っていることはたしかだろう。テオが、控えめにほっとしたような顔をした。「――弟君と妹君のことを、『どこかからやってきたようだった』と仰っていて――……もし……」「もし?」「ご弟妹が増えることがあるなら――気にかけて差し上げた方がいいと、思います」「敬語じゃなくていいが――……」「……なんですか?」ずっと居心地の悪そうなテオ。私自身も鈍く痛むが――悟らせてはいけない。「これ以上は命にかかわると思う」「? ……え、あ、俺?」どうして意外そうなのか分からなくて不思議に思っていると、私の顔を見たテオが、ほっとしたような、力の抜けたような顔をした。「……新しく迎えることはないの?」「ない」「そう……」テオが、ゆるやかに目を伏せて私を見た。「ありがとう」「?」私の顔を見てテオが微笑む。「俺の命を考えてくれていたとは思っていなくて……でも、君はそういう人だったね」「……」テオが不思議そうな顔をして、それから、承知したというように微笑んだ。「そろそろ出て行く頃合いだと思うんだ」「なぜ?」「王子殿下がいつか傷ついてしまわれるし、ここに住まわせてもらう理由もないし、……君も苦しそうだし」「苦しくなどない」「そう? でも、出て行った方がいいのはそうだろう?」涼しい顔で言われてしまう。テオの言葉はもっともで、私ももちろん理解している。だが――……。「いてほしい」「えっ」「ここにずっといてほしい。――出て行きたいだろうか?」驚いた声を出したまま、テオは固まってしまった。+++ side T +++「――テオ」名前を呼ばれてわれに返った。目の前の人の瞳には、見たことがないほどの感情が浮かんでいた。……あ、あれ?俺のお役目がもう終わったことは、たった今この方の口から確認した。じっさい、お役目に直結するようなことも、もうすっかりなくなっていた。この方は優しいから「もう出て行っていい」なんて言い出せないし言い出さないだろうから、俺から言えば、きっとすんなり許可が出るだろうと思っていたけど――……。そう思って、俺はふと、ここに来たばかりの頃から、俺が「(最後までしてないよね?)」と訊ねるまでの間にあった、たぶん――必要の有無で言えば無い方だった夜のことを考えた。思えばあれはなんだったんだ……?「もしかして――……」俺は少しは望まれていたのか?同じ気持ちではないにしても――……。苦しそうな感情の浮かぶ綺麗な瞳を見つめた。同じではない? ――本当に?「出て行きません。いていいのなら」「ずっといてほしい」重ねて言葉にされて、あまくふわふわしてしまったそれを、悟られないように口を結んだ。深呼吸して力を抜く。「はい」かすかに笑ってうなずくと、目の前の人の瞳に、ほっとしたような感情がのぞいた。そのことに胸がじんとなる。ここまで言わせてしまうのは最後にしよう。この人が、俺にここにいていいと――いてほしいと言ってくれるのなら、俺は。このままずっと自分のことを、しあわせな灰色だと信じることにしようと思った。(終)