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「夕飯は俺が作りますよ。早めに帰って……」「そこなんだけど、こういう機会じゃないと行かなさそうなところに行ってみたいんだ。ダメかな?」 英一が指差した先を見て、俺は開いた口が塞がらなくなる。そんなところに、あなたが? 確かに、こんな機会じゃないと行かないかもしれない店だ。 ■ 激混みのファミリーレストランは、日頃ないほど順番待ちをした。「ワインが百円だって。すごいねえ」 店先の椅子で英一がメニューをニコニコしながらめくっている。彼からするとどれもが物珍しいらしく、その様子を眺めるのは案外楽しい。 ほどなくして名前を呼ばれ、賑やかな店内に案内される。 二人がけの席に着き、独特な注文方法の説明を受けた。 他の席の会話が近く、子供の騒ぐ声もあるおかげで店員の説明もあまり聞き取れなかったが、なんとかはなるだろう。 俺がスマホで注文している間、英一がきょろきょろと店内を見回す。「初めて来たよ。賑やかだね」「実は俺も初めてなんです。 息子 ( とわ ) はよく友達と利用していたみたいですが」「そうだったんだね。私のわがままに付き合ってくれてありがとう」「いえいえ。永遠がおいしいって言っていた味がずっと気にはなっていたんです。本当に良い機会です」 料理が運ばれてくるのはすぐだった。 グラスワインにサラダ、ピザ、チョリソー。 英一に断ってから、彼が写り込んだ料理の写真を撮る。「ナツメさんに送ったら絶対に喜びますよ」 ありえない光景だと彼ならおもしろがるに違いない。俺も少しおもしろい。 軽いアルミの食器が似合わなすぎる。「いつもナツメと遊んでくれてありがとうね」「勉強させてもらってるんですよ。ファッションに詳しいし、フットワークは妙に軽いし、交友関係も広いし、何者なのかそろそろ聞かないといけないなと思っています」「あれ、知らなかったの? ナツメは服のデザイナーだよ。自分のブランドを持ってるから、顔も広いんじゃない?」「モデルかと思ってました。ブランドを持ってるって、相当すごいですよね?」「生活には困ってないんじゃないかな」(俺、そんな人に軽々しくファッション指南を頼んでいたのか……。今度ちゃんとお礼をしよう)「……というか、英一さん、ナツメさんが何してるか知ってたんですね。興味ないのかと」 ナツメ本人が気にしていた。 英一に興味を持たれていないから、自分が何をしているのかも知らないだろうと。 やはり、そんなことなかったのだ。「又聞きのことしか知らないけどね。……インタビューを昔に読んだんだ。あの子は『家から離れてやっと尊厳を得た』と語っていた。申し訳なく思ったのと同時に、腐らずにいてくれたことを誇りに感じたよ。──興味ないわけない。自分の子なんだから」「そ、それ、絶対本人に伝えたほうがいいですよ」「いまさら迷惑なだけじゃない?」「俺の首を賭けます。伝えてください」「急にどうしたの。怖い」 店内に皿が落ちる音が響き渡った。目を向けると、幼児がいるテーブルが大騒ぎになっている。中身ごと撒いてしまったのか、店員が慌てて雑巾を持ってきていた。 周囲の家族連れはにこやかに片付けを手伝い、それぞれの食卓に戻っていく。「心の広いお店ですね。赤ちゃんが泣いても誰も怒らない」「……子供って、あんなに大きな声で泣いたり笑ったりするんだ」 子供が三人いてそんな言葉が出るとは。彼は、俺が思う以上に家庭に参加しない父親だったのかもしれない。 だがアルファなら何もおかしなことではない。オメガの俺はそう思う。 この店では、いろんな家庭の夕食風景が垣間見える。 英一がここに来たがったのは、庶民の外食の味が知りたかったというよりこの景色の中に入ってみたかったのかもしれない。 この店内にあるのは、圧倒的にベータの家庭だ。世界の多数派、標準、現代のありさま。 この場所にいると感じる。 ベータの時代に、アルファもオメガも順応できていない。 今になって、英一の「現代ってこうなっていたんだね」という言葉の意味がしみじみとわかる気がした。「あなたが父親としてどうだったのか知りませんが」「なんだい、急に」 世間を眺める英一、アルファのことを話す英一、子供のことを話す英一、彼が垣間見せる孤独な表情に胸が張り裂けそうになる。「アルファとして正しくあろうと努力してきたこと、切り捨ててきたものごとに後悔していることは伝わってきます。英一さんが、新しい努力を始めたこと、俺はちゃんと見てますからね」 俺といるのに、あんなさみしい表情はもうしてほしくない。 英一は目を見開いた。しばらく時が止まったようにしていて、それからやっと動いたかと思うと、目元を指でぬぐった。「キミの言葉を聞くと、泣いてしまいそうになるときがあるよ。本当に怖い人だね」「そ、そんな」「悪い意味で言ってないよ。……ありがとう。不思議な話だよね。私自身、自分をアルファとしか見ていなかった。半世紀も生きてやっと自覚したんだ。私には 英一 ( わたし ) の人生があって、人生のある家族がいると。 恐 ろ し い ことだよ」 彼の笑みが自虐的なものに変わっていく。 恐ろしいというのは、家族がばらばらになり、ずいぶんと時が経ってから気付いてしまったからだろうか。「人生……」「そう。キミにもあるものだ」 英一が俺の手を暖かく握った。「自覚してからは、自分で考えて生きようと思った。遅すぎるかもしれない、無駄かもしれないと迷うこともあったけれど……照近さんといると、間違いでは無かったと思えるよ」「自分で考えて……生きる」「アルファとしてではなく、私として。キミでいうのなら、オメガとしてではなく、だね」(オメガとしてではなく、俺として生きる……?) 英一の話として聞いているうちは良かったのに、矛先が俺に向くと途端に混乱した。 俺は オメガ ( おれ ) だ。オメガであることを抜きにしたら、この人型の肉の中には何もない。そうでなければ 恐 ろ し い 。「英一さんは立派です。いくつになっても 邁進 ( まいしん ) していて。俺には少し、むずかしい話です。……オメガですから」