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中学を卒業してから花嫁修行にいそしみ、十八で見合い結婚。翌年から子供を産み育て、義父の介護もし、やがて病弱な夫の看取り介護も始まり、心配性な義母の相手。 義父が亡くなり、夫も逝き、子供も巣立って……そして得た『 自由 ( ひとりぼっち ) 』などどうすればいいのかわからない。 生まれの家に帰る選択肢もあったが、マンションを解約すると俺が生きた証まで消えてしまうような気がして怖かった。 子供のらくがきだらけのテーブルを拭き、夫と共寝していた布団で眠る生活に囚われていたのだ。 ふと、スマートフォンが鳴る。 ディスプレイには元義母──亡き元夫の母親、射場 蔵乃 ( くらの ) の名前があった。 少しだけ、気が重くなる。 けれどさみしい思いをしている彼女をないがしろにするわけにもいかないと、スマホを取って耳に当てた。『こんにちは、照近さん。もうお引越しは済んだの?』「射場さん、ご無沙汰しています。いまちょうど荷解き中でした」『あなたの新居、スマホの地図で見たらすんごい豪邸じゃない。庭なんてもう何戸か家を建てられそうだわ。貧乏な暮らしがさぞ嫌だったのねぇ』 愛想笑いで返しながら、早々に通話に出たことを後悔し始めていた。 蔵乃は世話焼きで人情のある女オメガだが、悪気があるのかないのかわかりにくい嫌味を言う。機嫌の波も激しかった。 昔からそういう性格だったが、元夫が死んでからはさらに拍車がかかったような気がする。 再婚を報告した日には「薄情者、二度と連絡するな」と怒鳴られたが、翌日になると喧嘩などなかったかのように電話がかかってきた。彼女はまだ俺の義母のつもりでいる。『大丈夫よ、世間があなたの味方にならなくても、私は照近さんの味方だからね』「……ありがとうございます」『今日はそれだけなの。これからも助け合いましょうね』「はい、射場さ──」 喋っている途中で電話が切れた。 せっかちなところも相変わらずなようだった。 ノックがあり、扉の向こうから英一の声が聞こえる。「照近さん、庭は任せてきたよ。荷解きに手伝いはいるかい?」 扉を開ける。 彼の視線が俺の手元──通話アプリの画面が点いたままのスマホに向く。「電話中? 邪魔しちゃったかな?」「いえ、ちょうど終わったところなので。射場さんからでした」「ああ……」 結婚した仲で隠し事をするのは違う気がして、元義母との関係や、変わらず電話が来ることは話してあった。「またお金を頼まれたりした?」「いえ。……そればかりの人では、ないですよ」「かばわなくていいんだよ。もう他人なんだから」 あのころ、画家をしていた元夫の収入は元義母が管理していて、分配のほとんどは治療費で消え、彼が亡くなるころには「使い切った」と送金が途絶えていた。 自分が働くことにしたものの、社会経験がないためスーパーくらいでしか採用されず、遺族年金を含めても家賃と子供の学費で精一杯だった。 別居している元義母は俺たちの暮らしぶりなど知りようもない。あるとき生活費が足りないと助けを求められ、こちらも苦しいながらに捻出した金を送ったところ、以降は俺の援助が彼女の生活の当たり前になっていた。 嫁 ( おれ ) だけが頼りだと、しおらしい言葉と嫌味を交互に並べて金の無心の電話が来る。 それでも、仏壇と暮らす老婆を思うと無視はできなかった。 息子が大学生になってからは稼ぎが間に合わなくなり、知人のツテで家政婦の仕事を紹介してもらった。 一般家庭をハシゴして、最終的な派遣先が南雲井邸だった。 おい、それとってくれ──薄く開いた廊下の窓から庭の声が聞こえて、いつも汗だくになる男たちの存在を思い出した。「あ、花沢さんたちにお茶の用意をしてませんでした。干からびさせちゃう」「彼ら、いつも水筒持ってるじゃない」「いくらあっても足りないらしいですよ。今日は涼しいですけど……習慣みたいになっているので、いいですか?」「私に許可をとることないよ。優しい人だねキミは」 一緒に階段を降りる。 キッチンでおしぼりと冷たい麦茶、一口サイズの塩ふき昆布を用意した。 英一はカウンターの椅子に座って、わたわたと動き回る俺を眺めていた。