第45話 落ちてきた次女
第45話 落ちてきた次女
その日、狩猟から帰ってきたアトウッド家領主アーロンは機嫌が悪かった。
朝から夕方までの狩猟で成果はウサギ一匹。
荷物持ちとして同行させている村人が背負っているウサギを見て、チッと舌打ちをした。
村人は怒りの沸点が低い領主に訳もなく頭を下げる。
アーロンはその卑屈な態度にもイラつきが増した。
腹の下あたりにむかつきを覚えながら見慣れたラベンダー畑を歩いていると、隣にいた婿養子のアレックスが「空に何か見えます」と小さく言った。
「ああ?」
不機嫌を隠そうともせず、アーロンが空を見上げる。
すると、黄色と緑色に光る物体がこちらに向かってきているのが視界に映った。
「怪鳥か?」
咄嗟に背負っている弓を引き抜き、矢をつがえる。
飛来物が微かにキイキイと鳴いているように聞こえた。
アレックスと同行している二人の村人も弓を構えた。
「……」
もうすぐ夜になろうとしている紺色の空をかなりの速度で飛んでいる物体は、徐々にその姿を大きくする。進んでいる方角からして、アトウッド家の屋敷へ向かっているようであった。
「家に行くぞ! 走れ」
そう言うやいなや、アーロンは弓を両手に持ったまま駆けだした。
ラベンダーを踏みつけて畑を横断し、空を見上げる。
物体から光が消え、赤い点になった。
どうやら飛んでいるというより落下しているらしい。
「人間……?」
アーロンは大きくなってきた赤い点の正体が人間だとわかり、困惑しつつも屋敷へと疾走する。アレックスと村人二人は遅れているが構いやしない。
屋敷前に到着すると、持っていた弓矢をギリリと引き絞って狙いを定めた。
人間が接近してくる。
やがて親指の爪ぐらいに見えていた人間が拳ほどの大きさに視認できるようになると、その全貌が明らかになった。
「赤いドレスの女? は…………ロビン?」
墜落している女が「いやあああああぁああぁぁぁっ! 止めでぇぇええぇぇぇぇ!」と叫んでおり、そのヒステリックな声色にすぐ合点がいった。
ロビンが空から落ちてくる――
その異常性に顔を引きつらせるが、アーロンは何か魔物がくっついていやしないかと弓矢を構えたままにした。
「え、ロビンさん?!」
追いついた婿養子アレックスが息を切らし、素っ頓狂な声を上げた。
そう言っている間にもロビンは落ちてくる。
「お父さまぁぁああぁぁ! 助けてくださいましぃぃぃぃいいぃぃっ!」
ロビンがひどい泣き顔で叫んでいる。
奇妙にも服や髪の毛が風になびいていない。
アーロンは何となく不気味に思って落ちてくる実の娘に無言で矢を向け続けた。
婿養子アレックスは優柔不断な様子で顔をアーロンとロビンに行ったり来たりさせ、視線をさまよわせている。村人二人はあまりの光景に言葉を失って突っ立っていた。
「ぶつかるぅぅぅぅぅうぅぅうぅ!」
ロビンが絶叫すると、屋敷の庭に生えていた木に直撃した。
ボキッと木をなぎ倒し、勢いそのままにラベンダー小屋のある中庭へと墜落して、鈍い衝撃音とともにガリガリベコボコと豪快な音を立てながら地面をえぐり返していく。
ジェットロケット魔法の速度が速すぎたため、ロビンはラベンダー小屋の脇を通過し、百メートルほど畑の地面をえぐりながら人間カーリング状態で滑走した。
減速して勢いが弱まり、ロビンがうつ伏せで停止する。
巨大ブルドーザーが地面を掘ったような跡が一直線に伸びて、土煙が上がる。
「……」
履いていたハイヒールが役目を終えたと言いたげに、ぽろりと脱げた。
「大丈夫か?!」
アーロンがロビンに駆け寄る。
弓矢をまだ構えているところに、後を追うアレックスがちょっと引いていた。
「おまえはロビンだな?」
アーロンが矢を向けて問う。
「……」
「おまえは、ロビンだな?」
「……」
返事がない。
アーロンはうつ伏せで倒れているロビンを右足で押してひっくり返した。
ロビンが目を回して失神している顔が現れる。
あれほどの高度から落ちてきて無傷であった。
さすがのアーロンも、その不可解さに眉をひそめた。
「……こりゃ……なんだ?」
アーロンがアレックスに視線を投げる。
「わかりません」
アレックスがぶんぶんと首を横に振った。
もう一度ロビンへ視線を戻すと、赤いドレスの胸元から一通の手紙が滑り落ちて腕のあたりで止まった。
弓矢を背に収め、拾い上げて裏を見る。
「……読めん。おい、読め」
領主であるにもかかわらず、アーロンはほとんど文字が読めない。かろうじて自分の名前を書けるくらいである。
ぞんざいに手紙を後ろへ出すと、アレックスが受け取って封を切り、朗読を開始した。
「アトウッド騎士爵家アーロン・ド・ラ・アトウッド殿へ。次女ロビンを強制輸送した。膨大な魔力と貴重な魔石を使っているため、本来であれば輸送費として金貨三百枚はくだらないであろう。しかし、男爵の、空よりも広いお心により、無料である。ありがたく思うがいい」
アーロンが目を回しているロビンを一瞥し、アレックスを見た。
「男爵?」
「つ、続きを読みます」
アレックスは何か言われる前にと、手紙に視線を戻した。
とばっちりで殴られてはたまらない。
「ロビンは偽名を使い、王都で男爵の名前を利用して許可なく散財した。合計で金貨千二百六十枚。自分の金でないのをいいことに、とんだ恥知らずである……」
この金額にはアーロンとアレックスも驚き、思わずロビンを見下ろした。
金貨千二百六十枚――日本円換算で一億二千六百万円である。
意気揚々と王都へ出発したロビンが何をしていたのか、疑問が膨れ上がり、アーロンは手紙の続きを催促した。
アレックスが小刻みにうなずいて、口を開いた。
「男爵は立腹されていたがそのほとんどを肩代わりされた。寛大な処置である。しかし、ロビンには反省の色がまったくなく、王都で名のある店や貴族たちに迷惑をかけ続けた。貴殿のレディ教育は一体どうなっていたのか甚だ疑問である。この責任は当然アーロン殿にもあることをご理解いただきたい。よって、同封した請求書の金額を十年以内に返済することとする」
「なにぃっ! いくらだ?!」
アーロンがたまらず大声を上げた。
アレックスが急いで手紙をめくり、請求書を前面に出した。
「金貨……三十枚です」
「金貨三十枚だと……」
愕然とした表情でアーロンが視線を宙へさまよわせた。
真冬に冷水をかけられたようなひやりとした感覚が全身を襲い、腹の奥が締め付けられる。
金貨三十枚を日本円換算で計算すると三百万円。
極貧のアトウッド家が支払うには数年を要する。
最果ての領地と言われるアトウッド家は金銭のやり取りができるチャンスがほぼなく、年二回来る商隊にそのすべてを頼りきっている。また、アーロンは領主であるというのに貯金というものをしていない。金貨三十枚を捻出するのは相当な倹約が必要であった。
「どうしましょう……」
気弱なアレックスが顔面を蒼白にしている。
「ふん……払うもんかよ」
アーロンは踏み倒そうと考えた。
どうせアトウッド領に来るのはハンセン男爵の商隊だけで、それ以外の貴族たちがここに来ることはない。そう、払わなければいいのだ。
「アハハ……そ、そうですよね……金貨三十枚なんて……」
そばかすの散った頬を強引に上げて愛想笑いを浮かべ、アレックスが手紙の続きへと目を落とした。すると、彼から愛想笑いが消えた。
アーロンはアレックスの度胸のなさが心底嫌いである。
なんだよ、と鼻を鳴らした。
「支払いを反故にした場合、寄親であるグリフィス公爵家も敵対することになるのをご理解いただきたい。また、アトウッド領に商隊を送っているハンセン男爵にも話は通すつもりだ。義理堅いアーロン殿のことだ。踏み倒すなど考えもしていないであろうが、念のための処置である」
アレックスがここまで手紙を読み、「……公爵家が後ろ盾」とつぶやいた。
さらに手紙を読み進めると、ロビンが買った商品の詳細と請求書の原本が同封されており、半額は店側が持ち、もう半分はアトウッド家が持つという記載がされていた。請求書原作は二枚あり、店側が同じ物を一枚保管しているとも手紙に書かれている。
いよいよ逃げられない状況であった。
「お義父さん……踏み倒すなんて無理ですよ……これ、ロビンさんのサインですよ。こっちの請求書には拇印まであるし……」
うなだれるアレックスを見て、アーロンが怒りで顔を赤くした。
「おい! どうにかしろぉ!」
「できませんよ! 公爵家ですよ?!」
「公爵家が出てくるとかおかしいだろうが! どこに書いてあるんだよ!」
「こ、ここですよ、ここ」
手紙を見てもアーロンは文字が読めず、「くそったれが!」と罵声を手紙に浴びせ、倒れて目を回しているロビンの腕を強引に引き上げて親指の指紋と、拇印が一致しているか何度も確認する。
月明かりの下では細かい指紋の線まで見えなかった。
「このバカ女が! 起きろこらぁ!」
ぐったりしているロビンの腕を左右に振り回すが、一向に目を覚まさない。
アーロンはロビンの腕をゴミ捨て場へ捨てるように落とし、アレックスの襟首をつかんだ。
「どうしてこうなったんだ?! ああ〜っ?」
「知りませんよ! なんで僕に言うんですか!?」
「おまえがロビンを止めなかったのがいけないんだろうがよ!」
「な、なんで僕のせいなんです?!」
暗がりの中で言い争いをするアーロンとアレックス。
かかしのように立っている村人二人はその内容に開いた口が塞がらない。
アレックスが「続きがあります!」と、どうにかアーロンの手から逃れ、朗読を再開した。
「金策の助言しておこう。アーロン殿が狩りに使う道具を節制すれば、年間で金貨五枚を貯められるはずだ。誰のためにもならない狩猟などやめ、倹約家になることをおすすめする――」
「ふざけるなぁぁぁッ!」
アーロンは激昂してアレックスの襟首をつかみ、思い切り捻り上げた。
「ひぃ……ぐぅ……ぐるじいでず……」
「この手紙を書いたのはどこのどいつだっ! 答えろアレックス!」
「まっでぐだざい……」
必死に手紙へと目を走らせるアレックス。
彼が口を開くと、アーロンは手を緩めた。
「げほっ、げほっ……。貴殿はすみやかに金を返済し、ロビンを再教育したまえ。王都での顛末は“地雷女ロビン”に聞くように。補足しておくと、地雷とは知らずに踏むと大爆発する罠魔法のことである。以上。ドラゴンスレイヤー、ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵。代筆、クロエ・ド・ラ・アトウッド準男爵……尚、独立したため我々は他家である。金の無心等には一切応じない…………え? え?」
「ミーリア……男爵? クロエ……?」
アーロンはアレックスを睨みつける。
「アレックス! てめぇ、なめてんのかぁ?!」
つかんでいた襟首を離し、アレックスをぶん殴った。
鈍い音がしてアレックスがロビンを上に倒れ、胸のあたりを潰されたロビンの口から蛙の鳴き声みたいな音が鳴った。
「い、い、痛いですよ……何するんですか?!」
起き上がったアレックスが抗議してきて腹が立ち、もう一度拳を振り上げる。
アレックスがあわててロビンの上から転がり、距離を取った。ロビンのドレスがはだけてひどいことになっているが、二人とも気にしない。
「どうしようもねえ嘘をつくからぶん殴ったんだよ! ミーリアが男爵?! クロエが準男爵?! ふざけるのも大概にしろよこのグズがッ!」
「手紙に書いてあるんですよ! それにミーリアちゃんの魔法をお義父さんも見たでしょう? 本当はすごい子だったんですよ、あの子は!!」
「あああああああああああああっ! あのぼんやり娘がぁぁ! なぜ領地の手伝いをしないっ!」
アーロンが大人気なくぎゃあぎゃあと喚く。
王都で叫び散らしていたロビンと非常に似ていた。
その後、ロビンを引きずって居間に放り投げると、母親エラは魔物の死骸でも見たかのように驚き、金貨三十枚の借金を王都で作って帰ってきたことを知ると、絶望したように床にへたりこんだ。
放置されていた村人二人はアーロンたちが屋敷に入るのを見届けると、疾風のごとく走り、寝る準備をしていた家々の戸を叩いて村全体にこの話を伝えた。
アトウッド領に”地雷女ロビン”の呼び名が伝播し、定着するまで、そこまで時間を要すことはなかった。
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第3章も残りわずかです。
それにしても……ひどい家族だ……笑