第19話 アリアと貴公子クリス
第19話 アリアと貴公子クリス
ミーリアがゴンゾーに魔石を渡している頃、王都にあるグリフィス公爵家には、名を売り込もうとする国民で行列ができていた。
ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵が邸宅に不在とわかると、寄親であるグリフィス家に人々が殺到したのだ。
士官から住居移転まで、公爵家がなんでもござれの役所のようになっている。
「新領地の噂がここまでとは思いませんでしたわ」
アリアが応募者の書類を確認しつつ、深く息を吐いた。
クロエから内政の得意な人材を確保するようにとお願いされているアリアは、王都で人材確保に勤しんでいた。
家柄も確かなアドラスヘルム王国女学院の卒業生を二人ほど確保したが、新領地の人気ぶりを考えると、とてもではないが人材が足りない。
アリアは椅子から立ち上がり、窓の外を眺めた。
人の列が途切れることがない。
艷やかな銀髪を撫で、可憐な桃色の唇から息が漏れる。
頭に浮かぶのはミーリアの笑顔だ。
そういえば、しばらく会っていない気がした。
「セリス教が大きな神殿を建てるという噂が決定打になっている気がしますわ」
コープル枢機卿が内々で進めていた神殿建立が、どこかから漏れてしまい、耳聡い商人なんかが早くもアトウッド領地行きを進めている。
仕入れた情報では、枢機卿が人材の流出兆候に頭を痛めているらしい。新しく神殿を建てるなら、その土地が発展したほうがセリス教にとってもメリットがある。なぜ枢機卿が苦慮しているのか、アリアはすぐにわかった。
例の未来予知のせいであろう。
セリス教は困難にも立ち向かうような教義であるが、隕石が落ちるような未来予知には、さすがに慎重になっていたに違いない。
何にせよ、新領地への人の流入は避けられそうもない。
窓から視線を室内へと戻すと、ドアが開いた。
「ミーリア嬢の噂は私も広めておいたよ」
王国一の貴公子と呼ばれる兄のクリスが入ってきたことにより、部屋が一段明るくなったような気がした。
「クリス兄さまが?」
アリアは背景に薔薇でも背負っているかのような、美しい兄の顔を見つめる。
「ああ。面白そうだからね」
クリスが悪びれもせずウインクを決め、ソファに座る。
甘く囁やけば枯れた花も満開になると言われる色男であったが、自分が面白いと思う事柄に関してのみ力を注ぐ傾向があり、ミーリアのことを痛く気に入っている様子であった。
アリアは小さく眉を上げた。
「兄さまはそうやって楽しいことばかりを追い求めてらっしゃる。いつか身を滅ぼしますわよ」
「それもまた面白い」
「もう。仕方のないお人ですね」
お小言をぶつけても効果がないことは端からわかっているため、アリアはそれ以上言わずに向かいのソファに座った。
王国一の美男子とその妹アリアが向かい合う様子をミーリアが見たら、写真を撮ろう、何枚も、など言ってバシャバシャ魔石に保存するに違いない。
「兄さま、今日はどうしてお屋敷に?」
アリアは疑問を口にした。
公爵家次男であるクリスは、長男に政務などはすべて丸投げし、基本的には自由気ままに生活をしている。
社交界にはしょっちゅう顔を出し、様々な人脈とパイプをつないでいるので、グリフィス公爵家の顔役という一面もあった。祖母エリザベートの石化を治すために奔走していた時期は、クリスがかなりの情報を収集している。
未亡人の愛人になってみたり、王家の男子と恋をしてみたり、自由気ままに行動しながらも、難易度の高い目的もこなしているのをアリアは知っているので、兄クリスには底知れないものを感じていた。魔力が増え続けているミーリアとは別の底知れなさである。
爽やかに笑っている今も、何を考えているのか推し量るのは難しかった。
アリアの問いに、クリスは肩をすくめてみせた。
「また父上に呼び出されて、ミーリア嬢とはいつ結婚式を挙げるのだね、と聞かれてしまってね」
「お父さま……いくらんなんでも気が早すぎます。まだ十二歳ですのに」
「私が身を固めるのが嬉しいのさ。私もミーリア嬢もそんな気はないけれどね」
「ミーリアさん、殿方が嫌いですからね……。父親がひどいお人だったようですわ。その影響かと思います」
アリアの瞳が憂いを帯びる。
ミーリアは常日頃から「ノー結婚」と言っているのだ。
「まあそのうちに偽装婚約だと伝えるさ。ミーリア嬢にも悪いし」
「わたくしは、お二人の結婚には賛成ですわ」
「おや、麗しの妹君は、初めての友達を取られなくないのでは?」
クリスがおどけた調子で言うと、アリアは頬を赤くした。
「そういうことを言わないでくださいませ。わたくしは、仮面夫婦もアリではないかと申し上げたいだけです」
「そうかそうか。私とミーリア嬢が結婚すれば、君はミーリア嬢の義姉になるものね」
にやりとクリスが口角を上げる。
「ですから、みなまで言わないでくださいませ! 兄さまはデリカシーというものを知ったほうがいいですわ!」
アリアがさらに頬を赤くして、ぷいと横を向いた。
可愛らしい末妹の反応にクリスは笑みがこぼれた。
「ああ、麗しの妹君の頬を薔薇に染めてしまうミーリア嬢に、私は嫉妬してしまうよ」
「兄さまはいじわるですわ」
「男は可愛い子にはいたずらしたくなるものなのさ」
軽い調子で言う言葉も様になってしまうから憎たらしい。
アリアは赤い顔のまま睨みを入れる。
クリスが「怖くて心臓が飛び出しそうだ」と嬉しそうに両手を上げた。
「兎にも角にもミーリアさんが結婚するのはずいぶん先になると思いますわ。もしくは、一生しないかもしれません」
「それは困るなぁ」
「わたくしはミーリアさんのお気持ちを優先していただきたいです」
「それは私も同じ気持ちだよ」
「ですので、お父さまには、卒業してからミーリアさんの気持ちを聞くと言って引き伸ばしてくださいませ。わたくしからもそう伝えておきますので」
「承知したよ。ふふっ、アリアも成長したものだね」
クリスが笑みを浮かべる。
話が一段落したところでアリアがメイドを呼び、コーヒーを頼んだ。
五分ほどでコーヒーが運ばれてくる。
香ばしい匂いが部屋に漂った。
「それで兄さま、ミーリアさんの噂を広めたというのはどういうことですの? まさか、王国魔法研究所関係ですか?」
「あの狂人どもにはミーリア嬢のことは言っていないよ。未知の魔法を連発するミーリア嬢を見たら、屍霊〈グール〉のごとくどこまでもミーリア嬢を追うだろうからね」
「そんなこと言って、ミーリアさんの魔法を独り占めするおつもりでしょう、名誉会員さま?」
「私も魔法が使えたらね」
クリスが心底残念そうにつぶやき、流麗な仕草でコーヒーを口に運んだ。
カップをソーサーに置くと、クリスが口を開いた。
「何てことはないさ。社交界でミーリア嬢のことを、“稀代の魔法使い”で“私の婚約者”と言って回っただけだよ。ミーリア嬢が婚約騒ぎにこれ以上巻き込まれないためにね」
「そういうことですの……」
クリスの発言力は絶大である。
今は資金面で不安があるグリフィス家であるが、ドラゴンスレイヤーが嫁いでくればその勢力は一気に拡大すると用意に想像できる。
また、クリスが発言したことによってミーリアに疑問を持っていた貴族たちが、軒並み靡いたらしい。
アリアは執務机に置いてある応募用紙をちらりと見やる。
どうりで有力貴族の子息子女からの応募が多いわけだと、得心した。
悪いことではない。
ただ、選別に時間がかかる。
「麗しの妹君よ」
「なんでしょうか?」
「ミーリア嬢は新領地でいったい何をやるんだい?」
クリスが期待をした目で見てくる。
やはりこの兄は、どこまでいっても面白いことに目がないのだ。
「新しい服飾を流行させること、大浴場を作ること、あとは……特産品を作るなどおっしゃっていました。最果ての街道も新しくしたいと話しておりましたわね」
「素晴らしいね」
「それから、食事をどうにかしたいとも。ですので、農民希望者は手広く確保しております」
「移住希望者はどのくらい出ているんだい?」
「今のところ二千人ですわ。この噂が広まれば、移住したいという国民はもっと増えるかと思います」
「かつてドラゴンスレイヤーが興した領地は大発展したからね」
「南方のグリーンヒル領地ですわね。おそらく、皆、期待しているのでしょう」
ミーリアの知らぬ間に移住希望者が二千人に膨れ上がっていた。
アリアは流入が止められないのなら、行くところまで行ってしまえと思っている。隕石はミーリアがどうにか防ぐと言っていたので、信じるまでだ。
「では、私も一肌脱ぐとしよう」
クリスが立ち上がり、執務机に向かう。
兄より貴族に詳しい人はいない。アリアは喜んで手伝ってもらうことにした。
○
その頃、ミーリアはティターニアの家でバジリスクの首肉を焼いていた。
「くうぅぅっ! この匂いがたまらない!」
「そういえばミーリア、この領地に住みたい人っているの?」
ティターニアが肉の焼き加減に目を光らせながら聞いてくる。
「百人くらいじゃないですか?」
「こんな辺鄙な土地に百人もねぇ……」
未来予知を見ているはずなのに、見通しの甘いミーリアであった。