613話 紅茶事件
613話 紅茶事件
──時は少し遡る
ベルがこの部屋に案内され、紅茶を差し出された直後のことだった
《ねぇピクシー、この紅茶……》
《はい。毒入りですね》
《あんなにいい人だったのに、なぜ?》
《そうですね。マスターをちゃんと“お嬢様”扱いしてくれる、いい人でした》
《それはどうでもいい》
《……この毒は大量に摂取すれば有害ですが、少量なら薬の範疇です。命に別状はありません。おそらく、毒の有無を見抜けるかのテストでしょう》
《招いておいて、到着早々に毒入れる? 普通そんなことする?》
《何かしら理由があるのでしょう》
《まぁいいや。毒盛ってくれたお礼に――血、吐いて倒れてやろ》
そう言って、ベルはソファに腰掛けたまま紅茶を一気に飲み干す。
カップを静かにテーブルへ戻すと、次の瞬間――
「げほっ……!」
口元を押さえ、苦しげに咳き込む。
真っ赤な血が唇から滴れ落ち、胸元を濡らしていく
そしてそのまま、糸が切れたようにソファに崩れ落ちた
完璧な“毒殺”の演技。
何も知らなければ、まるで命を落としたように見えるだろう
《これでよし。あとは、誰か来るまでこのまま動かないで倒れておけば完璧》
《さすがマスターです。いたずらの発想が斜め上ですね》
《これで向こうの出方が見れるし、こっちがどう見られてるのかも分かる》
《それにしても、マスターがここまでぐったり倒れる演技をするとは……この国の国王様もさぞ驚かれるでしょう》
――時間が戻り、応接間
「つまり、紅茶を飲んだ瞬間から、全て分かっていたんですね……」
案内人は愕然とした表情でベルを見つめ、膝をついたまま言葉を続ける
「本当に……申し訳ありません。試すつもりだったとはいえ、無礼を働きました」
「うん、確かに無礼だね……でも、まぁいいよ。今回は許す。ちゃんと説明してくれたから」
ベルはふっと微笑んでみせたが、その眼差しにはまだ冷たさが残っていた
「ただし、次はないから」
その言葉に、案内人は深く頭を下げ、国王も横で無言のままうなずく
「それと――」
場の空気が一瞬だけ張り詰めた。
ベルは静かに視線を向け、落ち着いた声で続ける
「この程度の毒って思うかもしれないけど、あんまりこういう真似は他の人にはしない方がいいよ」
その忠告に、案内人も国王も深く頷いた。
重かった空気はゆっくりと静まっていく
《……ふぅ、ちょっとスカッとした》
《毒を仕込んだ相手に説教できる子供は、世界中探してもマスターくらいですよ》
《見た目がそうさせてるんだよ》
《可愛いから仕方ありません》
《そこ否定して……って、もういいや……》
そのやりとりをよそに、応接間の空気はようやく和らぎ始めていた
「じゃあ、本題の依頼の話に移ろっか」
重く濁った空気を切り替えるように、ベルが柔らかく声をかける
「そうだな、そうしよう」
国王もうなずき、ベルの正面へ静かに腰を下ろした
「早速話をしたいところだが……着替えを用意させようか?」
白い服に垂れた血を見て、そう気遣った。
今日のベルの服は白地のものだったため、鮮やかな赤がひときわ目立っていた
「……忘れてた」
『クリーン』
国王の言葉で服の汚れに気づいたベルは、小さくつぶやいてすぐに魔法を発動させた。
瞬く間に血は消え、白い服は元の姿を取り戻す
「これでよし。話を始めて」
「……わかった」
あまりにも手際が良すぎて、国王は一瞬だけ戸惑いを浮かべつつ、静かに口を開いた
「まずは自己紹介からしよう。俺はこの国、カールン王国国王ルーカス・テンド・カールンだ。こんなところまで遠路はるばるご苦労様」
「じゃあ、こちらも。俺は冒険者ランクSSSのベルド・アスク・シルフロート、兼ベルド・テンド・ドルナードだよ。よろしく」
「っ……!? あなたが、あのドルナード帝国の帝王だったのですか!」
「そうだよ。意外だったかな?」
ベルは意地悪そうな笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた
「はい。確かに、非常に強い方が帝王を務めているとは聞いておりました。ですが、まさかあなたのような……子供の姿をしたお方が帝王とは、想像もしておりませんでした。先ほどの無礼、どうかお許しください」
国王は座ったまま深々と頭を下げた。
その背後では、先ほどの案内役も同じく頭を下げていた
「別にいいよ、さっきので親睦が深まったってことで。ここにはただの冒険者として来たから、俺が帝王だなんて気にしなくていいよ」
「わかりました」
そうして、ようやく本格的に依頼の話が始まった