635話 最初の授業
635話 最初の授業
教室に来てからおよそ5分ほどが過ぎた頃、前方の扉が音を立てて開き、教師と思われる人物が静かに入ってきた
「それでは、授業を始めます。本日の内容は――限られた魔力を、どう使って戦況を切り抜けるか。実戦想定の運用講義です」
そう言うと、教師は手元のペンを魔法版に走らせ、さらさらと文字を書き込んでいった
{魔法版とは、黒板に相当します}
「第1想定です。あなたたちの魔力量は“残り500”。味方はいません。敵は無傷のオークが1体。手には木製の棍棒を持っています」
教師はそう言いながら、魔法版に次々と想定条件を書き記していく
「地形はほぼ平坦。周囲の環境は木々が生い茂る森の中。天候は晴れ、風はなし――この条件下で、あなたが最も有効だと考える戦術を提示してください。魔法やスキルの使用は自由ですが、自分の使用可能なものに限ります」
最後の一言とともに、魔法版の書き込みもぴたりと終わった
教師が話終わると同時に、生徒たちは一斉に考え始めた
「ではまず、口頭で答えたい者は挙手を。正答が5件出た時点で締め切ります。自信のある者からどうぞ」
「はい」
教師がそう言い終わるとほぼ同時に、アマリアが静かに手を挙げた
「アマリアさん、回答をどうぞ」
「はい。オークの皮膚は厚く、魔力500では討伐は非効率と判断します。したがって私は、“撤退”を選択します」
アマリアは淡々と回答を述べた
「まず、魔力250を使用し中級土魔法“マッドフィールド”でオークの足元を沼地化。重量によって沈下し、移動が大幅に鈍化するはずです。その上で、中級風魔法“エアブースト”に魔力200を割き、移動速度を強化して離脱します。残りの50は予備として温存。以上が、私の提案する最適解です」
教師は一瞬の沈黙のあと、うっすらと笑みを浮かべてうなずいた
「さすがアマリアさん、的確ですね。魔力運用、戦況判断、撤退時の優先行動……すべて教本通りの理想的な判断です」
「ありがとうございます」
アマリアは静かに一礼すると、そのまま席へと戻っていった
「さて――あと4人、回答をお願いします」
教師が教室をぐるりと見渡したそのとき、不意に目を細めた
「……おや? 初めて見る顔がありますね。君、名前は?」
生徒たちの視線が一斉に教室内を巡る
「君だよ、君。白い髪の女の子」
その言葉に、ベルは自分を指さした
「そうそう、君」
教師がにこやかに指を伸ばし、ベルを示した
「あ、私は本来ならこの学園に通えない年齢ですが、アリアさんに無理やり連れてこられたベルです」
「ちょっと!! その言い方だと私のせいみたいじゃない!」
ベルの言葉を聞いて、アリアは素早くつっこんだ
「事実ですよね?」
「……」
そう言われて、アリアは視線を泳がせた
「ベルさんですね。制服を着ているということは、生徒という扱いでいいですか?」
「多分……年齢は満たしていませんが、学園長にこれをもらいました」
そう言いながら、ベルは机に少し乗り出すようにして、受け取ったメダルを見せた。
その動きで、制服に走る魔力ラインの色がちらりと覗く
(……黒)
教師の目が、そのラインに一瞬だけ鋭く留まる
だが何も言わず、口元を整えると静かに問いかけた
「学園長に許可を頂いているのでしたら問題ありません。では、ベルさん――この状況、あなたならどう切り抜けますか?」
ベルは少し考え込みながら、手を挙げて口を開いた
「どの程度の魔法なら使っていいんですか?」
「それは、ベルさんが使用可能な範囲であれば自由です」
「なるほど……それなら、一般的に使える魔法の中からいきます」
少し考えた後、ベルはすっと答えを返した
「まず、先ほどアマリアさんも使っていた中級土魔法“マッドフィールド”で、オークの足元を沼地化し動きを鈍らせます。次に、魔力100を使って少し大きめの初級水魔法“ウォーターボール”をオークの頭部に付着させ、呼吸を妨害します。するとオークは呼吸困難で暴れますが、その時点で視界も塞がれていますし、マッドフィールドの効果で足も取られ、ほとんど身動きが取れなくなります。その間に自分は少し距離を取って、安全圏から攻撃か、あるいは追撃準備をする形です」
教師がうなずきかけたその時、ふと問いを差し挟んだ
「……ウォーターボールを頭に密着させると言いますが、手で払われた場合はどうしますか?」
ベルは即答した
「払わせません。魔力操作でウォーターボールの水流を常に制御すれば、オークの手が触れたとしても、すり抜けるようにして密着を維持できます」
その言葉に、一瞬だけ教室が静まり返った。
教師もまた、有無を言わせぬ回答に口を閉ざすしかなかった
「……すみません。私は、ベルさんの実力を甘く見ていたようです」
静かに頭を下げる教師に、生徒たちのざわめきが広がる
「それと、さっき“一般的に使える魔法で”と前置きしていましたが……本来ならどうするつもりだったんですか?」
問いかけに、ベルは淡々と答える
「簡単です。私は空間魔法が使えます。オークの首の座標を指定して、その空間を少しずらします。それだけで、魔力500もあれば簡単に倒せます」
「空間魔法……ですか?」
教師の目がわずかに見開かれる
その瞬間、教室の空気が目に見えて変わった
静まり返る教室。
生徒たちは一斉にベルの方を向き、その瞳には――疑念、驚愕、畏怖が浮かんでいた
「……“空間魔法”って、使える人なんて、歴代でも……」
誰かのぽつりと漏らした声が、重く空気に沈む
「適性を持っていても、魔力量の問題や、膨大な技量が必要な魔法です。だから“使える人がいなかった”というだけ。技術的には可能です」
ベルは肩の力も抜けたまま、何でもないことのように説明する
その余裕すら含んだ態度が、逆に生徒たちの警戒心を煽ったのかもしれない
「……なら、証明してもらいましょうか。空間魔法が“本当に使える”なら、できるはずですよね?」
教室の一角から、冷たい声が飛ぶ
「仕方ありませんね。アリアさん、約束を違えることになりますが……少しだけ、離れます」
「……この教室の中なら問題ないと思うわ」
アリアは場の空気を感じ取り、わずかに眉をひそめながらもベルを信じるように頷いた
「わかりました」
ベルが静かに答えて立ち上がる。
その瞬間には、もうその姿は消えていた
次の瞬間、教師のすぐ隣から澄んだ声が響く
「何をすれば、“空間魔法が使える”という証明になりますか?」
生徒たちの視線は一気に教師の横に立つベルへと向けられた。
それは、紛れもない驚愕の視線だった
「……い、今のは転移ですか?」
「ですね。私がよく使う魔法です」
驚きながら1人の生徒がそう聞き、ベルの答えに生徒たちはさらにざわめいた
「転移だけなら、幻影や分身でも“できたように見せる”ことは可能です。空間魔法でしかできないことを、見せてください」
「空間魔法でのみ……」
ベルはあえて考えるような素振りを見せた
「では、こんなのはどうでしょう」
そう言い終わると、ベルの足元からふわりと空気が揺れる
一瞬の静寂の後、教室の空間が“押し広げられるように”変化した。
広さも、天井の高さも、壁の距離感も、全てが倍以上に伸びている
まるで目の錯覚のように、世界そのものが広がっていた
「証明には、このくらいで十分でしょうか?」
ベルは変わらぬ口調でそう言い、生徒たちは言葉を失って彼女を見つめていた
「証明もできたと思うので戻します」
そう言うとすぐに、教室は元の広さへと戻った
「私のせいで中断しましたね。気にせず授業を続けてください」
そう言い終えるや否や、ベルの姿はふっと消え、次の瞬間にはアリアの隣に何事もなかったかのように腰掛けていた
「あなた、そんなに凄い子だったのね」
ベルが席に戻ると、アリアが小さめの声で言ってきた
「他の人より魔力が多くて使えるだけです」
「……まぁ、そういうことにしてあげる」
アリアは笑いを含んだ声でそう言い、会話はそれ以上続かなかった
教師が軽く手を叩く音が響くと、張り詰めていた空気はようやく緩み、授業は静かに再開された