656話 その1歩は許されない
656話 その1歩は許されない
ベルの魔法が上空から降下し始め、赤熱の光が空を覆い尽くし、まるで地獄そのものが迫ってくるかのようだった
観客たちは悲鳴を上げ、対戦相手のオルカも何かを叫んでいたが、誰も気に留める余裕はなかった。火球は容赦なく地面へと迫っていく
「そこまで!!」
地面までわずか3メートルというところで、競技場に声が響き渡った。
その声に呼応するように、火球の降下はぴたりと静止した
「国王権限により、この決闘をベルの勝利とする!」
大きな声で、国王は高らかに宣言した
「なぜ止めるんですか。あと一歩で、あいつを殺せたのに」
「そやつを殺さずとも、オーロックの秘密を暴くのであろう? それで十分ではないか」
「ダメです。こいつはアリアさん――王女様を泣かせたんです。許される行為じゃありません」
「わざわざそんな下郎のために、お主の手を血で汚す必要はない。命じる。その火球を消せ」
「……はい」
不服そうに唇を噛みながらも、ベルは国王の言葉に従い、火球をすべて消滅させた。
一方オルカは、その場で恐怖に打ちのめされ、気を失ったまま失禁していた
「それでは勝者への褒美だ。望み通り、話を聞こう」
「わかりました」
ベルは、オーロック公爵家の秘密を語り始めた
「私は先ほど王女様に聞きました。こんな身分の差も理解できない奴を生かしている理由を。そしたら、オーロック秘伝の魔法があると聞きました。話を聞く限り、海を綺麗にする魔法だそうですね。つまり、あのクソみたいな奴が今も生きているのは、海を掃除するためだけってわけです」
「そうだ。オーロックは何代も前からその魔法のおかげでその地位を維持している。海を命とする我が国にとって、海が綺麗であることは何より大切なことだ」
「ですよね。もし、その魔法がなんの意味もない魔法だった場合、どうなりますか?」
「そうだな……海を綺麗にする魔法のために、今まであらゆる罪を見逃してきたが、無意味な魔法と判明した場合は、それら全ての罪を清算する必要がある。そう、無駄な命を守るために見逃してきた罪もろともな」
「わかりました。それじゃあ私の知る限り全てを話します」
ベルは続けた
「まず、海を綺麗にするのを目的とした魔法は存在しません。あるとすれば聖女の使える浄化などのみです」
「では毎月行われる洗浄の儀式はなんだ?」
「ただ光らせてるだけです」
あっさりと答えた
「ではなぜ海が綺麗に保たれているのだ?」
「それは簡単です。海には妖精と呼ばれる、精霊に酷似した生物がいます。そのおかげで海が綺麗に保たれています」
「そんなものが……だが、今まで一度も見かけたことがない。本当にいるのか?」
「はい。ですが、普段は海と同化しているので、見かけることはまずないと思いますよ」
「そうか、その妖精は友好的と言えるのか?」
「基本は友好的ですが、怒らせた場合は海そのものが敵になるとお考えください」
「……わかった。最後にひとつ聞いておく。秘伝の魔法はどう判別する?」
「目の前で泥水にでも使わせてみてください。そうすれば真偽がはっきりします」
「わかった。急ぎたい要件ゆえ、我は失礼する」
そう言って国王は一足先に去っていった。
その胸には、虚偽の実績で居座り続けた傲慢な領主への怒りと、大切な一人娘を泣かせたオルカへの許しがたい憤りが渦巻いていた
こうして、ベルとオルカの決闘は、誰の目にも疑いようのない形でベルの勝利に終わった
「ベルっ!」
決闘が終わるや否や、アリアが真っ先にベルの元へ駆け寄った。
その目には涙が浮かび、今にも零れ落ちそうだった
「よかった……ほんとによかった……!」
アリアは勢いよく、ベルに抱きついた。
彼女の涙には、トラウマを植え付けられた相手に勝てるはずがないという恐怖と、それでも圧倒してくれたベルへの感謝が入り混じっていた
ベルはそんな彼女に微笑みを向け、静かに言った
「もう大丈夫です。アリアさんを泣かせる人は、もういません」
「……ありがとう」
アリアはベルの胸に顔を埋め、小さく感謝の言葉を残していた。
ベルはその背をそっと撫で、安心させるように穏やかな声をかけ続けた
やがて二人は馬車に乗り込み、静かに城へと帰っていった