679話 ピクシーの譲れないこだわり
679話 ピクシーの譲れないこだわり
湯気がふわっと上がると同時に、アリアの髪の先がしっとりと重さを帯びた
アリアは自分の髪を見て、思わずため息をこぼす
「やっぱりお風呂って髪が扱いにくいのよね…」
「それ、私の前で言います?」
「あっ」
ベルの言葉に思わず声が漏れ、アリアは「確かに」と言うように小さく笑みをこぼした
「私は肩より少し下くらいしかないけど、ベルは腰まであるもんね。大変でしょ」
「まぁ……もう4~5年この長さなので、すっかり慣れましたよ」
「切らないの?」
「切れないの」
「……ん?」
予想外すぎる返答に、アリアの頭の中で小さなハテナが浮かんだようだった
「説明すると長くなるので、そういうものだと思っておいてください」
「まぁ髪の長さなんてベルの自由だしね。それはそれとして……髪、洗うの手伝ってあげよっか」
「それならお願いします。せっかく手伝ってくれるなら、最初から全部やってしまいましょうか」
ベルの姿ではあるが、今この体を動かしているのはピクシーだ。そのため、これ以降の説明はすべてピクシーによるものだった
「……そんなに手順があるの?」
「髪だけで8工程ありますね」
「なるほど……そんなに色々やるなら、この綺麗な髪も納得ね」
椅子に座ったベルの髪を、確かめるように軽く持ち上げて見ていた
「私と同じ工程を踏めば、近いものになるかと」
「そう? なら試してみよう」
興味が湧いたアリアは、ベルの隣の椅子へと腰掛けた
「わかりました。ではまずは櫛を使い、髪をとかしていきます」
空間収納からお風呂用の自前の櫛を取り出し、髪をとかし始めた
「いきなりごめんね、櫛持ってきてない」
「女の子なのですから、髪の手入れをできるように櫛は持ち込んでください、どうぞ」
「ありがとう」
ベルは空間収納から櫛を取り出し、アリアに渡した
「髪全体の根元から毛先まで、綺麗にとかしてくださいね」
「うん」
あまり慣れていないのか、アリアの手つきはどこかぎこちなさを感じさせた
「その手つき、慣れてませんね?」
「あ、バレた?」
「はい。普段からやっているのならそのぎこちなさはありません」
「私は頼んでもないのにさ、子供の頃からずーっとメイドさんがやってくれるのよね」
「それはそれはどこかのお嬢様みたいですね」
「どこかのじゃなくてれっきとしたお嬢様なの。私は王女様なんだから」
「失礼……私がお手伝いします」
ベルは自分の髪をとかし終わり、そう言って立ち上がった
「あ、いいの? ありがとう」
ベルは慣れた手つきで、アリアの髪を優しくとかしていった
「終わりです。それでは始めます。まずはアリアさんに順番通りに手順を見せますので、しっかり覚えてください」
「やってくれるの? ありがとう」
「いえ、15にもなってメイドさんに任せっきりの不甲斐ないアリアさんに、髪の手入れをしっかり覚えさせます」
目の前に設置された鏡越しに、ベルは真剣な眼差しをアリアへ向けていた
「……程々にお願いします」
アリアは少し身を縮めてそう言った
「次は予洗いです。主な目的としては髪に付着したホコリや汚れを落とし、後のシャンプーの泡立ちを良くするためです」
ベルは手でアリアの髪を軽く濡らし、ホコリや汚れを流す
「お湯の温度は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
「ではシャンプーに入ります」
泡立てたシャンプーを髪全体になじませ、頭皮から丁寧に洗う
ベルの力加減が絶妙で、アリアは思わず表情を緩めていた
「しっかり洗った後は、すすぎです。泡が残っていると色々と問題なので、念入りに5分から10分ほど」
泡が残らないように、ベルは髪を丁寧に流していった
「次はトリートメントです。髪の内部を補修して、栄養を与えます」
アリアは自分の髪にトリートメントを塗布される感覚に少し驚きながらも、鏡越しに工程を確認する
「こちらもすすぎを忘れずに、シャンプー同様に念入りに」
ベルはトリートメントをしっかりと洗い流した
「最後にコンディショナーです。髪の表面をコーティングして、指通りを良くします」
アリアの髪は少しずつしっとりとまとまり、光沢を帯びていった
「そして、コンディショナーもきちんとすすぎます」
ベルは丁寧に流し終えると、アリアの髪を軽く手で整え、満足そうに頷いた
「以上で、一通りの手順は終わりです。アリアさん、覚えましたか?」
「……なんとなく。でもまだ難しそうね」
「大丈夫です。繰り返せばすぐに慣れます。では、今度はアリアさんが自分でやってみましょう。私の髪で練習して、手順を覚えてください」
「えっ、ベルの髪で……?」
「はい、私は自分でできるので、安心して試してください。今回は覚えるために最初の工程である髪をとかすところからやってみましょう」
アリアは少しドキドキしながらベルの髪に手を伸ばす
「……こんな感じ?」
「はい、その感覚です。根元から毛先まで丁寧に」
ベルの髪をとかしながら、アリアは徐々に手つきが滑らかになっていく
「なるほど、これなら絡まりも防げるかも」
「はい、その調子です」
予洗い、シャンプー、すすぎ、トリートメント、コンディショナーと、ベルが順番通りに手を添えつつ、アリアに感覚を伝える
「うん、なんとなく分かってきたかも」
「素晴らしいです。この調子で練習を重ねれば、すぐに慣れますよ」
「ありがとう。でもさ、コンディショナーとかトリートメントってあるかな?」
「私に聞かれても知りませんよ。この後か明日にでも聞いてください。なければ、私のこれと同じものを差し上げます」
「わかった。後で聞いてみる」
「はい。それでは再開します。髪が終わったので、続いては洗顔です。顔に残ったシャンプーやトリートメント、コンディショナー、それから汚れを落とします」
「洗顔したら、ベルみたいに……ぷにぷにになる?」
「ひっはらないでくだはい」
ベルは座り、その後ろにアリアが立つ位置を利用して、後ろから両手を回し、ベルの両ほっぺを軽く引っ張った
「どうなの?」
「アリアさんのほっぺによるので、分かりません」
「そっか」
「はい、手を出してください」
アリアは何の疑問もなく素直に手を出す
「……では、これで顔を洗います」
ベルはチューブ容器から洗顔料を手に取り、アリアに説明しながら手渡した
「私の真似をしてください。手でしっかりと泡立てて、おでこから鼻にかけてを少し念入りに泡で撫でます。次に目元と頬、顎を泡で撫でるようにし、最後に手に水を溜めてから流します」
先に説明を終えると、そのまますぐにベルが実際の手順をやってみせた
アリアは鏡越しにその動きをじっと見つめ、ひとつひとつ覚えようとしていた
「こんな感じで顔全体を泡で洗うことができたら、このように手に水を溜めて、パシャんと洗い流します」
「なるほど、やってみる」
そう言って隣に座り、アリアはベルの真似をして洗顔を始めた
泡をしっかり流し終えると、小さく息をつきながらベルへ視線を向けた
「これってなにか意味あるの?」
ベルはアリアの顔を確認しつつ、淡々と教えるように口を開いた
「アリアさんの年頃の人は、男女問わず15歳から20歳くらいにかけて顔に赤いできものができやすくなります。洗顔をすることで、そのできものをできにくくすることができます」
「そうなんだ……確かに、お友達の顔に赤いできものができてるのは見たことある」
「はい。おでこや鼻、顎なんかにできやすいです。なので、可能であれば毎日洗顔することをオススメします」
「王女としてお肌は綺麗にしておかないとダメよね。ちゃんとやるわ」
「今日のようにメイクをした日は特に念入りに洗顔をしてくださいね。メイクもできものができる原因の1つですから」
「わかった」
洗顔を済ませた2人は、ほっと一区切りつけるように姿勢を直し、残り最後の工程へと進んだ