684話 ピクシーの暴走
684話 ピクシーの暴走
アリアの誕生会のあと、2人で眠った翌日の朝
(……ん?)
寝起きの意識がゆっくり浮かび上がる中、ベルは腕に伝わる“何か”の重みと温もりに気づいた
「なんだ……これ……?」
ぼんやりとした声がこぼれ、ベルはまぶたを押し上げるようにゆっくりと目を開けた
寝起きの静けさがまだ残っているような、穏やかな朝だった
《おはようございます。よくお眠りになれましたか?》
《あ、うん。これは?》
まだ頭の回転が追いつかず、ベルは腕の中の柔らかな感触に視線を落とした
《そちらは、マスターが安心して眠れるよう私が特別にご用意したものとなります》
その言葉に合わせるように、ベルはようやく状況を理解する
腕の中には、しっかり抱きしめる形で収まった、真っ白なアザラシのぬいぐるみ
昨日アリアに渡したものと同じ効果を持つ、眠りを誘うための特別製だった
《……なんで?》
《よくお眠りになっていただくには必要かと思いまして》
ピクシーのきれいに整った答えに、ベルは目を細める。どうにも腑に落ちない
《……本音は?》
《可愛いと思ったので、添い寝させる形で横に置いておきました》
その場に似合わないほど堂々とした本音だった
ベルはさらに追及するように視線を向ける
《じゃあなんで俺はこいつを抱きしめてるわけ? 動かしたでしょ》
《いえ、本当に私は隣で添い寝させただけです。抱きしめているのはマスター自身が自分で抱きしめたので、私は関与していません》
言い切るピクシーの声は、いつも通りの澄んだ調子だった
ベルは一瞬言葉を失い、アザラシの頭をぼそりと押し返した
《本当にやってない?》
《はい。まさかの行動に私も驚きました。それはもう可愛すぎて、記憶に焼き付けさせてもらいました。勢い余って飛び出たのは気にしないでください》
《……おい待て何が出た、何出した!》
《イエナニモ》
言葉の端に焦りが混じり、誤魔化そうとするほど逆に怪しさが濃くなっていた
《教えなさい、早く》
《……あまりの可愛さに私の思考が暴走しまして。気付いたら念写が頭の外へ飛び出ていきました》
見えるはずのない視線が、そっと逃げるように逸れていくのが分かった
《まぁ暴走するのはいつもの事だからいいよ。その飛び出した念写はどうした?》
《勿体ないので、すべて額に入れて飾っています》
《今すぐ焼却しなさい》
《どうしてですか! 家宝にしようと、保管魔法や形状維持、破壊不能まで丹精込めて付与したというのに!》
言いながら、ピクシーの声色はどこか誇らしげですらあった
《……全てって、いったい何枚出したの?》
《ざっと9万9842枚ほど》
《はぁ!?》
《10万に届く直前で、ようやく私も冷静になりまして。そこで暴走が止まりました》
《全て焼却しなさい》
《嫌です。これらはもう私の家宝として大切に保管してありますから》
《ほんとに……お願いだから焼却して……!》
《ダメです。マスターの願いといえど、今回は聞き届けられません》
《どうして……》
《逆にお聞きします。どうして、あれほど可愛らしい光景を収めた最高級の念写を焼却しなければならないんですか》
《……恥ずかしいから》
ベルは限界を超えた羞恥に、反射的に両手で顔を覆った
《いいじゃないですか。可愛い念写なので、高値で取引されると思いますよ》
《だ、誰に売るんだよ!!》
《……テレス様方とか?》
《やめて! 本当にやめて、それだけは……もしやったら本気で怒るからね》
少しの静寂が落ちたあと、ピクシーはくすりと声を弾ませたように返した
《というのは冗談です。家宝を売るなんて愚行、私がするわけないでしょう》
《はぁ……残すか残さないか、見てから決めてあげる。見せて》
ベッドに横になったままのベルは、ゆるく息を吐きながら、あきらめ交じりにそう要求した
《これ見たらマスターも家宝にしたくなるかもしれません! こちらです!》
その声と同時に、ベルの顔のすぐ前へ、空気を押し分けるようにして1枚の念写がふっと現れた
そこには、白いアザラシのぬいぐるみを優しく抱きしめ、幸せそうに眠る可愛らしいベルの姿が収められていた
(これはまた……)
『消滅』
現れた念写は、ひと息の間もなく光の粒になって散り、跡形もなく消えた
《マスター! なんてことをするんですか!》
《見て確信したよ、全て焼却しなさい》
《嫌です! 私の宝物です!!》
《俺にとっては抹消すべき負の遺産です》
《あぁ……最高の1枚が、失われてしまいました……》
《……》
ピクシーの心の底からあふれる落胆が、空気をゆっくり沈ませていく
ベルはその重さを受け止めきれず、言葉を迷ったまま黙り込んでいた
《はぁ……仕方ありません。バックアップからロードします》
《ん!? バックアップ!?》
予想外の単語に、ベルの意識が一瞬だけ浮き上がった気配がした
《はい。マスターに渡すと焼却される未来が見えていましたので、予め保存していたデータを先に出しました。なのでいくらでも再取得可能です》
《消しなさい》
《不可能です。飛び出してしまった全ての念写をバックアップ済みですので、現物を焼却されてもいつでもロードできますし、私の記憶にも完全保存されています。念写魔法で複製も容易です》
ベルの背筋に、静かな絶望の気配が走った
《ちなみに補足しておきますが、私の記憶には多重の防御を施していますので、消すのはまず不可能です。これはマスターの能力制御に必要な情報を守るためでして、今回の件とは無関係ですので誤解なさらず》
《……もういいよ……ピクシーの好きにして、もうやだ》
その声には抵抗の気配がまるで残っておらず、ベルは完全に負けを認め、全てを諦めてしまった
《ご安心ください。これらは私の目にしか触れない専用空間に大切に保存し、私の目の保養にのみ使いますので問題ありません》
《なにもだいじょばないよぉ……》
肩がしずかに落ち、ベルの心はぺたんと床についたように沈んでいた
《もう知らない、もう1回寝る!》
そう宣言すると同時に、ベルは布団へ潜り込むように顔を埋め、そのままふて寝の勢いで再び夢の中へと沈んでいった