685話 寝起きの朝支度
685話 寝起きの朝支度
ベルがふて寝をしてから数十分ほど、部屋の空気はまだ夢の余韻をまとっていた
「ベ……る……て、起……よ」
かすれたように聞こえる声が、遠くの水面みたいに揺れながら届く。
アリアがベルの肩をそっと揺らしていた
反応がない。
アリアは少しだけ揺らす力を強め、もう一度呼ぶ
「ベル……起きて……朝よ」
3度目の揺すりが入ったとき、ようやくベルの声が布団の奥から浮かび上がった
「ん……あさ……?」
「そう。もうすぐ朝ごはんの時間だから起きて」
「わかり……ました」
まどろみの中でベルはゆっくりと目を開け、ようやく意識を覚醒させていった
「珍しいわね、いつもベルが先に起きてるのに、今日は私が先なんてね」
「ちょっと色々ありまして」
ふて寝前のやり取りが脳裏にちらりと浮かび、ベルはどこか諦めを含んだ笑顔を見せた
「そっか。ベルは朝ごはんどうする?」
「?」
「ここで一緒に食べる? それとも家族の間で、みんなと食べる?」
「家族の間って……それ、ほんとに私が参加していいんですか?」
「いいんじゃない? どうせご飯食べるだけなんだし」
「アリアさんにお任せします」
「ならみんなで食べましょ。そっちの方が楽しいし!」
「はい」
「家族の間で食べるなら支度しなさい。ここで食べるならそのままでも構わないけど、国王であるお父様がいるんだからちゃんとしなさいね」
「……え?」
「だから、お父様の前に出るんだから、それなりにちゃんとした服に着替えておきなさいね」
「やっぱり部屋で食べます」
「だーめ。もう決定したので変えられません!」
アリアは小さく胸を張り、得意げに笑みを浮かべていた
「ちゃんとしたって言っても、この後学園だから制服で構わないからね」
「なるほど、それなら安心しました。また無理やりドレスでも着せられるのかと」
ベルはそっと胸に手を当て、安堵の息を漏らしていた
「まるで私が悪いみたいな言い方ね」
「いえ、ドレスを着させられないならなんでもいいです」
そう言ってベルは首元から髪を後ろへと払うようにして軽く髪を整え、即着でパジャマから制服へと着替えた
アリアはふわりと揺れただけで整ったベルの髪に視線を止め、思わず目を丸くした
「……ちょっと待って。それだけで、どうしてそんなに綺麗に整うの?」
「……?」
ベルはそもそも櫛を使って髪を整えたことがほとんどなく、いつも首元から後ろへ軽く払うだけで終わっていた。
そのため、アリアがどこに驚いているのか本気で理解できていない
小首を傾げるベルの仕草は、問いに答える代わりに“なにが変なの?”と静かに告げているようだった
「あなたは分からないかもしれないけどね……朝って髪が結構絡まるものなのよ。寝癖もつくし。それなのに、ちょっと払っただけで綺麗になるベルの髪が本当に羨ましいの」
「私は昔からこんな感じなので、あまり気にしたことありませんけど……大変なんですね?」
「ん〜……はぁ、女の子の朝が大変な理由ってほとんどこれなのよ。あなたには実感ないでしょうけどね」
言い返したい何かが喉まで上がったものの、ベルの澄んだ瞳を見た瞬間、アリアは小さく息をつき、諦めたように肩を落としていた
「すぐ準備するから待ってて」
そう言い残し、アリアは部屋の入口とは別にある、衣装ルームへ続く扉の向こうへ姿を消した
その間にベルは、特性カップをサッと取り出し、生の桜を2つそっと入れてお湯を注ぎ、静かに香りを立ち上らせた
「いい香り……」
桜茶の香りを楽しみながら、ベルはおもむろに空間収納へ手を入れ、カップに入れたのと同じ桜を取り出して口に入れた
「ん〜……やっぱりそのままだとちょっと青っぽいね。甘さを強化した方がいいかな?」
カップに浮かぶ桜を見つめ、ベルは1人でそう呟いていた
「いい香りって思ったら、何やってるのよ」
「あ、もう着替え終わったんですか?」
「えぇ、ドレスと違って制服は簡単に着替えられて楽だからね」
「なら行きましょうか。国王様を待たせる訳にはいきませんから」
「それはそうだけど……飲まなくていいの?」
アリアはそう言って机に置かれたカップを指さした
「飲みますよ、移動しながら」
ベルはカップを魔法で浮かせ、手元に留めながら歩き出した
「あなたがそれでいいならいいけど……案内するわ、着いてきてね」
そう言ってアリアが前を歩き、ベルは桜茶を少しずつ口に運びながら、軽やかに後ろをついて行った