686話 家族の間での時間
686話 家族の間での時間
ベルとアリアが朝食のために“家族の間”と呼ばれる部屋へ向かい、ほどなくしてその扉の前へと到着した
「ここよ。一応、一緒に食べてもいいか聞いてくるから、ちょっと待ってて」
「わかりました」
ベルは小さく頷き、扉の横の壁へそっと背を預けた。
浮かせていたカップがふわりと揺れ、残った桜茶の香りが静かに広がる
アリアはその様子をちらりと見てから、軽く息を整え、部屋の中へ入っていった
(どっちでもいいから、ダメでも俺は一向に構わないんだけどね)
ベルは桜茶をひと口だけ含み、静かに息をつく。
廊下には朝の気配が満ち、ほんの短い待ち時間が流れた
それから五分も経たないうちに、扉がわずかに開き、アリアが顔を覗かせた
「いいってさ。入っておいで」
「わかりました。お邪魔します」
ベルは浮かせていたカップを消し、軽く姿勢を整えて家族の間へと足を踏み入れた
部屋へ入ると、奥へと伸びる長い机が目に入る。
その最奥に国王ルーカスが座り、右側の端には上品な雰囲気をまとった見知らぬ女性がいる。
対になる左側の端にはアリアの席らしき場所があり、その隣にベル用と思われる椅子が1つ置かれていた
「おはよう、ベル。昨夜はよく眠れたかい?」
「はい」
「それは良かった。そこへ座るといい」
「ありがとうございます」
家族の間に家族以外が入ったというのに、国王はまるで気に留める様子もなく、柔らかな笑みで迎えてくれていた
ベルは示された席へ向かう途中で1度だけ立ち止まり、ほんの少し遠慮の気配をまとった
「突然参加させて頂きましたが、大丈夫ですか?」
国王は静かに頷き、穏やかな視線をベルへ向けた
「問題ないよ。それに昨日は国を救ってくれたのだ。そんな功労者を、この程度のことで拒む理由などあるものか」
王の声には誇りと感謝が静かに宿り、その響きにベルの肩の力がふっと抜ける。
ベルは安心したように椅子へ腰を下ろした
「ベルはまだ俺の妻のことを知らないよな。先に紹介しよう」
国王が告げると、右側の端に座っていた女性がそっと立ち上がり、姿勢を整えると、優雅なカーテシーで挨拶をした。
光を受けたドレスがわずかに揺れ、気品のある動きが食堂の空気をさらに澄ませる
「訳あって声が出せないんだ、俺から伝え──」
「カールン王国、国王ルーカスの妻、王妃アルミア・ティア・カールンですね。こうしてご挨拶するのは初めてですね。私はベルと申します。訳あって全てを名乗ることが出来ませんが、お許しください」
国王の言葉をやんわりと受け継ぐように、ベルは椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
その静かな所作は、場の流れに自然と寄り添っていた
「名前を知っていたのか?」
「いえ、今、自己紹介をしてもらいましたから」
「どういうことだ?」
国王が眉をわずかに寄せる。
ベルの返答は落ち着いているのに、意味だけが行方不明になっていた
ベルのその言葉に、ルーカスもアルミアもアリアも、この場にいる誰もが理解できずにいた
「私は少し特殊なスキルを持っているんです。私に向けて心の中で何かを伝えようとすると、その“声”が届きます。だから、たとえ声が出なくても……伝えたいと思って心の中で話していただければ、きちんと受け取れますよ」
「不思議なスキルを持っているんだな。初めて聞く」
(ピクシーにそういうスキルを作ってもらったんだよね〜)
「そういうわけで、アルミア様も気にせずに。もし何か伝えたいことがあれば、普通にお話しするような気持ちで心の中に言ってくだされば、ちゃんと伝わります」
アルミアは少し戸惑いながらも、ベルに話しかけるように心の中で言葉を伝えてみる
(これで伝わっているのかしら?)
「はい。今みたいに、自然に思っていただければ大丈夫です」
(……声が出せなくても、こうして誰かに“話せる”のは嬉しいものですね。何かあればお話しますね)
筆談でしか伝えられなかった思いを、言葉として届ける。
その小さな解放感に、アルミアは胸の奥でそっと微笑んでいた
アルミアの微笑みに気付いたアリアが、小さく呟いた
「お母様、なんだか嬉しそう……ベル、あなた本当に変わったスキルを持ってるわね」
アリアは隣に座るベルへそっと身を寄せ、興味の色をそのまま瞳に浮かべて覗き込んだ
「他にはどんなスキルがあるの?」
王族たちの視線がふっとベルへ集まり、静かな興味が場を満たした
「まて。スキルというのは、本来むやみに他人へ明かすべきものではない。ベル、無理に答える必要はない」
アリアの問いに国王ルーカスが手を上げて制した。
その声には、王としての警告と、父としての配慮が穏やかに重なっていた
「構いませんよ。知られたところで、私に不利になることはありませんから」
「ベルがいいのなら……うむ、止めはせん。むしろ俺自身、少し気になってはいるがな」
ルーカスは苦笑を浮かべつつ、どこか気遣うような視線でベルを見守っていた
ベルは一瞬だけ考えるように目を伏せると、軽く息を整える
「そうですね……何か気になるものとかあります?」
ベルは少し困ったような笑みを浮かべながら問い返す。
どれを話すべきか迷い、逆に相手へ選択を預けた
「何か面白いのないの?」
アリアが目をきらりと輝かせ、興味津々で身を乗り出す
「面白いの……スキルってわけじゃないですけど、魔道具とか簡単に作れますよ」
「例えばどんなの?」
「アリアさんのそのメガネも、私があの時に即席で作ったものです。他にも、今私が着けているこの髪飾りも私が作った魔道具ですね」
「え、これってそんなすぐ作れるものなの?」
「はい。普通のメガネに魔法を付与するだけなので、一瞬です」
アリアは驚きのまま言葉を飲み込み、1人でその事実を整理しているようだった。
対して、ルーカスとアルミアの2人はいまいち状況がつかめていない
「突然メガネをかけるようになったとは思っていたが、魔道具だったのか? アルミアは知ってたか?」
ルーカスが問いかけると、アルミアは静かに首を横に振った
「アリアさんの命を守るための魔道具なので、他言無用でお願いしますね」
「わかった」
(分かりました)
2人はベルの言葉を真剣に受け止め、空気に一瞬だけ緊張が走る
「アリアさんのこのメガネは、毒物を視覚的に感知できる魔道具です。私のケーキが取られそうになったので、仕方なく作ってあげました」
その理由をさらりと言い放つベルに、場がほんのり和らぐ
「ふっ、そんなにすごい魔道具をケーキのために作ってあげるとは、それまた理由がすごいな」
(理由が個性的で面白いわね)
国王と王妃は、それぞれ違った角度からベルの言い分を楽しんでいたようだった
「仕方なくって、お構い無しに毒を食べた人に言われたくないわ! 私は心配してあげてただけなのにさ!」
「私は毒が効かないって何回も言ってるのに、せっかく食べてるのに奪い取るからいけないんでしょ!」
アリアは呆れたように、ベルは理不尽だと言わんばかりに身を乗り出す。
2人の声が軽く跳ね、食堂にはどこか微笑ましい熱が灯った
「毒が効かないからって、わざわざ毒が入ってるもの食べなくてもいいじゃない!」
「作ってくれた料理人さんと食材が可哀想じゃないですか! 毒が入ってるってだけで捨てるなんて!」
言い分は真逆なのに、本気で怒っているようには見えない。
どこか姉妹のような距離の近さが、その場の空気へやわらかな賑やかさを添えていた
2人がそう言い争っていると
「その辺にしておきなさい。どちらの言い分もわかるが、喧嘩をするほどの理由でもないだろう?」
ルーカスが穏やかに制すると、空気がすっと落ち着きを取り戻した。
静かになった2人は、そっと席へと腰を下ろす
「ベルのその毒が効かないというのは、スキルによるものなのか?」
「はい。正確には毒無効というスキルですね」
「あぁ、そのスキルなら聞いたことがある」
「加えて、高レベルや高純度の魔力を体内に宿していれば、毒そのものを無効化することも可能なんですよ」
「それは初耳だ。高レベルや高純度ってのは、どの程度を指すんだ?」
「レベルで言うなら1000以上。魔力に関して言えば、数値上は1でも、中身がぎゅっと凝縮されていて、実際の力は3として扱えるくらいの純度ですね」
「ははっ……なんというか、世界が違いすぎて分からないな」
アルミアは静かに頷きながら、そっとベルへ視線を向けた
(ベルさんの場合はスキルによるものなの?)
ルーカスは若干呆れたように笑い、アリアは自分のステータスを見て小さく首を傾げていた
「いえ、私の場合は一応スキルもありますが、切ってます」
(ん!?)
まさかの返答にアルミアの肩がわずかに揺れ、驚きの色がその瞳に浮かんだ
(どうして?)
「私の無効化スキルは色々まとめて無効化しちゃうので、面白くないんですよね。だから切ってます」
(じゃあ毒があなたの体にも作用するんじゃないの?)
「しませんね。私の体にはたくさんの魔力がありますから、そもそも毒の効果自体が薄いです。なので“効かない”と言ってもいいくらいのレベルですね」
(それは少し心配になるわ)
アルミアの心声が揺れたところで、ベルは小さく息を吐きながら笑みを見せた
「私の場合、この髪飾りがないと魔力を隠すことが出来ないほど多くなってしまったので、必然的に魔力の濃度も高いんですよね。だから毒は効きません」
左耳の上につけた魔力操作の髪飾りを指先で軽く触れる。
その仕草に、3人の視線が自然とそこへ集まる
(さっきも言っていたわね。その髪飾りはどんな効果があるの?)
「この髪飾りは、私の体から“収まりきらずに溢れる魔力”を吸収して、外に漏れないよう整えてくれる魔道具ですね」
ベルの魔力は、まるで容量を超えた器から静かにこぼれる水のように、制御しても体の外へ滲み出てしまう。
それを、この小さな髪飾りが全て受け止めている
(魔道具1つでそんなことができるなんて……それも十分すごいものなのね)
「完全に隠そうとしても、私の体に収まりきらなくて溢れちゃうんですよね。ただ、その溢れる量はかなり少ないので、魔道具1つで十分に抑えられるんですよ」
(私たちには、きっと縁のない話ね)
「そうですね。体に収まりきらない魔力量なんて本来あり得ませんし、普通に生活していても手に入るものじゃありませんから」
ベルが軽く笑って返すと、アリアがすかさず身を乗り出した
「その魔力はどうやって手に入れたの?」
「いつの間にかこうなってました」
「何よそれ、教えられないようなことなの?」
「いえ、私は元々たくさん魔力を持っていたんですが、そこから魔力を増やす訓練をして、さらに増やしていった結果、こうなりました」
アリアはじっとベルを見つめ、半ば呆れたように肩を落とした
「なんか信じられないわね」
そんな空気がまだテーブルに漂っていたころ
コンコンコン
部屋の入口とは別に設けられた内扉が、小さく震えるようにノックされた
「入れ」
ルーカスが短く許可を出すと、静かに扉が開いた
「失礼致します。大変長らくお待たせ致しました。ご朝食をお持ち致しました」
給仕の声が柔らかく響き、室内の空気がほんの少し改まったように感じられた
「普段通りではないか。何も問題は無い」
その落ち着いた言葉に給仕は深く一礼し、続いて数人の使用人たちが音を立てないよう注意しながらテーブルへ近づいた。
銀の皿が順番に並べられていき、朝の空気に温かな香りがふんわりと広がった
「本日はこの国をお救い頂いた英雄様もいらっしゃるということで、普段より少し豪華な朝食をご用意致しました。どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」
給仕は静かに一礼し、先ほど通ってきた扉へ向かって、足音を立てないように退出していった
「それでは皆の者、手を合わせて」
ルーカスが両手を合わせると、アルミアとアリアがそれに続き、ベルも少し遅れて手を合わせた
「いただきます」
(いただきます)
「いただきます」
「いただきます」
揃った声が朝の静けさの中で重なり、柔らかな空気が食卓に広がっていった。
挨拶を終えると、それぞれがゆっくり朝食へ手を伸ばし始めた