第262話 塩味です
第262話 塩味です
執事が起きて来たので家に戻ることにする。場所をしっかり覚えておけば戻ってこられるけど、人がいる場所にはダメ。なのでちょっと離れて――
その前にフォカッチャのガス抜きして二次発酵です。
「……お前」
「ジーン様……」
またカーンのマントをごそごそ。
マントの下が大工の腹掛けみたいなのと、脛までの布を腰に巻いてるだけ。嬉しくないことに太ももあたりで片側が割れているので、パン種を入れる方向に気をつけないと事故る。なお、パンツの有無は聞いてない。
さて、今度こそリシュとの散歩。
まだ暗い中、山野を走る。あちこち寄り道しながらゆっくり歩くこともあれば、今日みたいにダッシュで距離を稼ぐこともある。まあ、リシュは小さいから、俺の方は早歩きか走るかの中間くらいなかんじだけど。
畑と果樹園をリシュと一緒にゆっくり見回って、あっという間に時が過ぎる。リシュはどうも森の聖域以外は外に行きたくないらしい。カヌムの家にも一回連れて行ったことがあるのだが、確認したら満足したのか声をかけても行きたがらない。
調子が悪い様子はないんだけど、この神々が張った結界のある家と、かつての縄張りだったらしい森の聖域と――もしかしたら黒精霊とか魔物と戦って勝てる自信がないからかな?
一緒にあちこち行きたいけど、無理強いをするつもりもないのでお留守番。がしがしと撫でてから迷宮に戻る。
「ただいま」
「お帰り」
「お帰りなさいませ」
「……おう」
執事はアッシュの番になっても、そのまま起きていたのかな?
「いいかな?」
ごそごそとフォカッチャのパン種を取り出す。カーンがすごく迷惑そうだが諦めてもらおう。
四角く伸ばしてホットサンドメーカー――というには少々でかいが――に詰め、オリーブオイルを塗って、セミドライトマトを並べ、黒オリーブの輪切りを間に。チーズを削ってかけたら、バジルと塩を少々ふりかける。
小さくしていた火を掻き立て、焼く。昨日の肉の残りを温め直し、湯を沸かしと、火の回りは色々なものがぎゅうぎゅう。
「おう、いい匂いだな」
ディノッソが起きて来て言う。
「次、焼くから食っちゃってくれ」
フォカッチャは焼きたてを八等分して2個ずつ。レッツェが起きて来たが、少々待ってもらおう。
「何でノートは微妙な顔してるんだ?」
「いえ……」
レッツェの質問に視線を流す執事。
「またジーンが人にできないようなことやらかしたのか? おお、うまいなこれ」
ディノッソがフォカッチャにかぶりつく。フォカッチャと肉の他は執事が出してくれた、チーズと干しイチジク。
「いえ、できるかできないかで言えばできるのですが」
執事の泳ぎまくる視線が、自分の分のフォカッチャで止まる。
ほかほかと湯気を立てるフォカッチャ。自分で言うのもなんだが、ここは少々冷えるので美味しそうに見える。
「まあ、人肌にくっついていたわけではなさそうですし……」
覚悟を決めた、みたいな顔をして食う執事。アッシュはとっくに食ってるのに。
「美味しゅうございます……っ」
不本意そうに言うのやめてください。
「物足りなかったら肉を挟んでどうぞ。パサついてたらこれかけて」
なにせ昨日の残りだ、オリーブオイルを出しておく。
陶器の瓶を破れないように胴を布で包んである。鈍器に使えそうな破れないガラス瓶もあるんだけど、自重してカヌムで買った普通の陶器の瓶だ。
次が焼きあがったころにディーンとクリスが起きてくる。
「この赤いのはトマトだっけ?」
「そう」
レッツェは物の名前を覚えるのも早いようだ。
「あんま、出回ってないの人に出すなよ?」
「自分が美味しく食っといて何だが、他人がいない時だけにしとけ」
レッツェとディノッソが釘を刺してくる。
「はい、はい」
南の方では観賞用として少し流通してるけど、こっちにはまだない。毒リンゴとかって呼ばれて毒扱いだし。確かにナス科は毒があって、トマトもトマチンという何とも言えない名前のアルカロイド系毒素があったはず。トン単位で食わないと効果がないけど。
早くトマトやナスを広めねば。じゃがいもは海沿いの国にちょっと入り始めた。まだ俺の知ってるじゃがいもより小さくて色もサツマイモみたいな赤みがかったやつだけど、ナルアディードからの船便だ。
たぶん、来年あたりは俺が売りつけたやつが出回るんじゃないかな? 俺が種イモを売りつけたあの商人、頑張って増やしてるらしいし。
「ほどよい酸味と甘みでございますね」
「うむ、 塩味 ( しおみ ) もいい」
執事とアッシュ。
「肉に合う野菜は大歓迎!」
フォカッチャをナイフで器用に割って、肉を挟めるだけ挟んでがぶりとやってるディーン。
「ここで朝から温かいものが食べられるのも素晴らしいよ!」
執事が淹れたお茶を抱くようにして、もう一方の手でフォカッチャを食べるクリス。ん? クリスも寒がりか?
カーンほどじゃなさそうだな。あとで希望を聞こう。