第724話 秘伝の香
第724話 秘伝の香
「精霊を落ち着かせる香だ」
そう言って『銀狐のバインズ』が球体に火をつけた。
なんか草? 干したハーブの類をギュッと丸めたものを、紐のついた円筒形の入れ物に入れている。
円筒形の入れ物は薄い金属っぽくって、模様がくり抜いてある。なんでか燃え上がりもせず、火種のように燻るそれは、カンテラや松明ほど明るくないけど、足元を照らす明かりでもあるらしい。
「先祖たちが苦心した秘伝の香だ」
『銀狐のバインズ』の言葉より先に、煙が鼻をくすぐる。
煙はちょっとスパイシー、生姜みたいな匂いが一番強いかな? でも不思議と鼻腔に残る香りはほんのり甘い。
『黒山ちゃんにはない、珍しい香りなの』
『気に入った?』
『気になるの』
ちょっと、秘伝。もしかしたら黒山にない香りだったらなんでもいい疑惑が持ち上がってるぞ。
「ここから先はなるべく静かに。声は絶対たててはならない。木々の生える場所は黒山の精霊たちの縄張り、機嫌を損ねれば、迷わされ、彷徨うことになる」
「声を立てれば精霊たちに連れて行かれる。精霊たちが脅かしてくるが、絶対に声をあげてはならない」
「わかった」
頷くけど、内心では精霊たちはともかく、黒山ちゃんはもう知ってますよ! というか、隣にいるんですけど!
でもまあ、そういうルールで精霊たちが遊んでいるのかな? 遊びじゃなくても、なぜか古いしきたりに則って、精霊たちが行動するのはありがちだ。
黒い地面、黒い木々、夜の山。
大気さえ黒く色がついているような中、『銀狐のバインズ』が下げる燻る火の色、細く上がる白い煙。
周囲の精霊が煙を追って空に登ってゆく。細い煙は梢にかき消されて、高くは登らないけれど。
なるほど、精霊たちが楽しんでいるうちは、黒山ちゃんも精霊の道に放り込んだりせずにいるらしい。
笑い声なのか、言葉ではない音なのか、きゃらきゃらと精霊たちから機嫌良さそうな音が聞こえる。
急にでかい虎の影が襲ってきたり、怪鳥の鳴き声みたいなのが響き渡ったり、精霊たちの悪戯が目白押しだったんで、静けさとは無縁だったけど。
なんかこう、精霊たちがやるぞ、やるぞ! って相談してたり構えてたりするのが視えるんで、俺は全く驚かなかったんだけど。
『久しぶりの娯楽なの』
『そうなんだ』
『人間の声はうるさくって嫌い、でも気配が好ましい人間をたまに観察するのは娯楽なの。精霊たちも遊んで機嫌がいいの』
声を立てたら黒山ちゃんにどこかにポイってされる。
怒らせたら地底の流れに放り込まれて別なモノにされ、鬱陶しがられたら精霊の道に放り込まれて長い間精霊の遊び相手に。
どっちも嫌だな。
一応、幻影だけじゃなく、攻撃も伴うものもあったんで、無視して進むわけにも行かなかったのが面倒なところ。
たよりない明かりの中、2人が対処するのは大変そうだった。
約束通り、俺はついていくだけで、戦闘に参加してない。後方保護者面みたいな感じで、黒山ちゃんと話しながら見守ってた。
そして着いた黒山ちゃんの裂け目。
どうやらここが大洞のようで、2人が頷き合い俺を見る。
いくつ目かの草玉を出し、まだ少し燃え残っている円筒に入っていたものと取り替え、火を入れる。
草玉は灰になって崩れるってことはなく、形を残して黒くなってる。まだ煙の上がるものを洞窟の入り口に残し、中に入る。
中はゴツゴツした石。
黒いけど、溶岩石じゃないし、玄武岩でもないし、黒曜石でもない。黒山ちゃんは何でできてるんだろう?
青い薔薇も咲くし、黒いチューリップもあるし、赤い霞草もある世界なんで、石の色も当てにならない可能性が高いな。
精霊がたくさんいるというか、精霊の本体なんだから、精霊鉄ならぬ精霊石になってるかもだし。
最初はただの黒っぽい石の洞窟が、やがて表面が薄く氷で覆われた洞窟に変わる。洞窟の中はなお一層黒々として、鏡みたいだ。
『銀狐のバインズ』の持つ、ほのかな明かりでも反射して十分明るい。
――気がするだけかもしれない。
俺は夜目がきく上に、精霊たちが薄く光ってたりするので、夜でもすごく明るく見えたりするんで。
洞窟の壁を精霊が移動する光が見える。
「……」
「……」
バインボインの2人も目で追っている?
これはあれか、塩鉱でここ掘れわんわんした時と同じパターンか。精霊の集まってる壁を掘ると、何かいいもの貰えるやつ。
気づいただろう2人が、光から目を逸らして進む。
『引っ掛からなかったの』
おっと、精霊による罠だったのか。
『引っかかってたらどうなってたの?』
『氷の壁の中なの。掘ったら前に引っかかったお仲間と対面して、一緒になるのよ』
嫌な罠だなあ。
黒山ちゃん、基本的に人間嫌いだしな。