第758話 無難の勧め
第758話 無難の勧め
「マリナと小麦の取引ですか。あそこは『王の枝』がありますからな、贅沢を許されている富裕層はともかく、農民は必要な分しかつくりますまい。いつでも小麦だけはできますから」
「実らない恐れがないから、余分に作らないのよね。旱魃の時も、自分たちの食べる分だけで、他に回す量を持たなかった。――『王の枝』を手に入れた初代が農民の出で、麦を納める割合もずっと変わってないの」
執事とハウロン。
「相変わらず遠い国のことなのに詳しいな」
勤勉すぎると思います。
「『王の枝』を持つ国のことだもの」
「てか、マリナは酷税と無縁に食っていける国って有名だぞ。ことわざ並みだ、気をつけろ」
レッツェから久しぶりに教育的指導。
「そんな有名なんだ? 気を付ける」
なるほど『王の枝』がある国は注目度が高い、そして精霊たちがいるので、噂話は早く広まると。特にマリナの話は、作物を作っても災害などでダメ になってしまう人たちの心に残ることだろう。
……気を付けるとは言ったけど、噂話って、時事的なものは市場や酒場とかにいれば入ってくるけど、生活に根付いた話って、そこで生活してないとなかなか聞こえてこないんだよね。どうしたものか。
「小麦粉と砂糖。エクレアやらショートケーキやら、ジーンの作る菓子は素材が入手困難だからなぁ。だいぶ慣れちまったけど」
頬杖をつき、ワインを飲みながら言うディノッソ。視線は右上の何もないところ。
右脳は芸術・アイデア・直感などを司る脳、 左脳は計算・読み書き・論理などを司る脳。 アイデアを出してる時は右上を見がち――なんだっけ?
「その前に。砂糖も大概貴重品だからな?」
レッツェ。
「そういや、ジーンに会う前は砂糖なし、キャロットケーキかドライフルーツ入れたケーキだったな。俺の基準、すでにヤバイ?」
頬杖から体を伸ばしてディノッソ。
シヴァ曰く、ニンジンの甘さがケーキの甘さですってよ、奥さん。誰だ、と頭の中でセルフツッコミ。
庶民にもぽつぽつ砂糖が回るようになってから、まだそう経っていない。砂糖代わりがニンジンと聞いて驚いた記憶。そして砂糖が使えるようになっても、名残で キャロット ( ニンジン ) ケーキは健在だと言う。
でも砂糖を入れるとそっちの方が断然甘いんで、キャロットケーキの中でニンジンの存在意義はあやしくなってるとも言ってた。
「スパイスケーキではダメなのかい? 今、 貴族の間 ( うえ ) で流行り始めているだろう? ちょうど今日、頂いてきたよ」
クリスが言ってウィンクしてくる。
「うむ。スパイス入りを富裕層に、砂糖か蜂蜜だけのものを民向けに。私にはスパイスが邪魔だが、味はともかく自慢になるらしい」
アッシュ。
砂糖もまだまだ高いがスパイスも高い。砂糖は高いけど手に入る、スパイスはものによってはツテがなければ手に入れることも難しい。ショウガとかならお手軽だけど、ナルアディード経由で運ばれてくるような、シナモンとかコショウは。
「シナモンとかクローブ?」
「ナツメグとかだな」
俺の疑問系の言葉にディノッソが答える。
「発酵なしが素朴だけれど、今は発酵させるのが流行ってるのかしら? 王族の宴ではケーキの上に金箔や砂糖の装飾を施すわ」
頷くハウロン。
「牛を飼う田舎なら、生クリームとかもいけると思ったんだけど」
「マリナに牛はあんまりいないわよ? 小麦がお約束なんだから」
ハウロンに指摘される。
「え、小麦といえばノーフォーク農法じゃないの?」
「いきなり呪文を唱えいでちょうだい」
呪文。
【言語】さんが仕事をしたのか、ハウロンの軽快な返しなのかどっち!?
「小麦を同じ土地でずっと作ってると、育成不良起こすだろ? だから耕地を四分割して、耕地ごとにカブ・大麦・クローバー・小麦をずらして、4年周期で作る農法のことだよ。クローバーって牛の飼料だから当然牛が――って、マリナ、連作障害もないのか」
小麦に限らず同じものを作っていると、その作物を狙った病菌や有害センチュウの密度が高くなったり、その植物が必要とする土の中の栄養分が不足したり。栄養については米糠とか肥料を入れて解決することもあるけど。
色々解決するには他の必要な作物を作るのが手っ取り早い。長い目で見れば、障害起こして実入りが半分以下になるより、はるかに安定した収穫が見込める。クローバー畑に放牧した牛の糞がそのまま肥料になるし。
森がないから腐葉土などの肥料は見込めない、冬の間養っておける飼料がないから家畜もそう増えない。
余裕がありそうなマリナは小麦がいつでも豊作だし、小麦をつくることが『王の枝』のアイデンティティなんで他は最小限。
中原は黒い土が運ばれてくるけど、ずっと戦争中。
冷静に考えると随分歪んだ世界だ。嫌な場所には近寄らない主義なんで、実感湧かないけど。
「農法のことはあとでちょっと詳しく教えてちょうだい。――アタシもスパイスケーキを押すわ」
ハウロン。
「今流行りつつある菓子の方が、いきなりジーン様の菓子を広げるよりは穏便かと」
穏やかに笑う執事。