第770話 味と意味と
第770話 味と意味と
ノックの音が響き、迎えが来る。
「さて、では行って参る」
急にピシッとするハウロン。
リンリン、リンリンですか?
ハウロンは指を口元にやったり、頬に手を当てたり、けっこう手での感情表現も豊かなんだけど、リンリンの時は手を下ろしてるから、姿勢がまっすぐな印象なんだよね。
どっちも背筋は伸びてるお爺ちゃんなんだけど。
「ほんじゃちょっと行ってくるわ」
シヴァの頬に軽いキスを残してハウロンに続く精霊剣を装備したディノッソ。
使者が開いた扉を出る前に、肩にドラゴンの精霊を顕現させる。
いつものやる気の眉から力を抜いて、たおやかな印象に表情を変えたソレイユ。
「じゃあ頑張って」
にっこり笑ってマリナの国王の対応を丸投げする俺。
ファラミアとキールはソレイユについてゆく。
「私たちも移動しましょうか」
「はいはい」
会談には加わらないけど、見学はするんですよ。
いい場所をソレイユが確保してくれたんで、伝説のパーティーの『王狼バルモア』と『大賢者ハウロン』、『青の精霊島』の美しき女領主がマリナの国王と対面する姿を見学する。
宿から歩くルートが決まってるし、対談した後の締結式は一番大きな広場の、階段の上でやるんだって。
――そう、もう大まかな話し合いは終わってて、形式的なやり取りと元になる書類への署名だけ! 部屋の中で打ち合わせから始まると思ってかから、その間観光案内しようと思ってたんだけど、調印式の見学が観光になった。
さらに細かいことは末の王子が来てからだし、王様がやるのは完全にパフォーマンス。一緒に昼食をとか、どっか見学するとかはあるみたいだけど、ディノッソは途中で離脱するって。
キャアキャアワアワアバルモアハウロン騒がしい沿道を避けて、調印式がよく見える場所に先回り。
3人が通るルート人多すぎで1メートル進むのにも難儀しそうな雰囲気。
3人の姿が見えない路地は平和。途中、うちの従業員さんと警備さんが何人か路地をかけていくのを見たけど。
ソレイユにはディノッソとハウロンがついてるし、キールとファラミアがいるから鉄壁だけど、それはそれとして裏方はいるようだ。
「お父さん、すごい人気……」
離れた場所にも聞こえる歓声に、目を丸くしているティナ。
「ふふ、お父さんはすごいのよ。ドラゴンの精霊がトレードマークになってるから、連れていない普段は目立たないだけ。姿を知らない人も、積み重ねた伝説だけは知っているわ」
笑顔でディノッソを肯定するシヴァ。
「 お母さん ( シヴァ ) も凄いぞ」
リアルタイムで聞いていたり、子供の頃に聞いていたら、俺もきっと興奮したんじゃないかって冒険の数々。
「お父さん強いもんね!」
「でもこんなにって思ってなかった!」
エンとバクが目をキラキラさせている。
――沿道にディーンが大量にいるみたいだって思ってすまん。子供に憧れられるお父さんっていいな。
たどり着いた広場もすごい人。
押し合いへし合い熱気と歓声ですごいことになってる。サッカー勝った時の渋谷の交差点と、某球団が勝った時の道頓堀と、どっちの様子に近いだろう。
商業ギルド側が用意した広場の警備に封筒を見せ、人の少ないエリアへと移動する。
押し合いへし合いの無秩序自由エリアから、ちょっとぎゅうぎゅうエリア、ぎゅうぎゅうだけど椅子があるエリア、パーソナルスペース少しありますエリアを通り抜け、おやつも付いてますプライベートエリアに。
「国王陛下をはじめとする皆様が登場するまで、間がございます。お時間になりましたら、テーブルは片付けますが、それまで自由にお過ごしください」
途中で現れた係の人が、紅茶を淹れながらそう説明してエリアの隅に控える。
ここ、人数の関係からそう広くはないけどテーブル椅子付きで、テーブルの上には軽食とお菓子が用意されてる。
「さすが今日の主役の身内は強い」
軽食は二口で食べられるようなサンドイッチ、うん。サンドイッチこれソレイユの仕事か。
どうやらおやつ付きエリアの軽食とおやつは、『青の精霊島』側で用意したもの。
シュルムで大人気、胡瓜、卵サンド。ナルアディードで流行り始めたBLT。BLTはベーコン・レタス・トマトなんでベーコン以外は『青の精霊島』産。
『青の精霊島』のメニューを真似て、ナルアディードの店でも出てるけど、レタスをチシャっていうレタスほどパリパリしない野菜に変えてるんで、どっちのものかはすぐわかる。
無難に生ハム、チーズ、葡萄、オレンジ、ザクロ、ザクロ、ドライマンゴー。
おやつは小さなガレットっぽいのと、パイ? タルト? 判別つかないまま口に運ぶと、バラの香りが鼻腔に。匂いの後にチーズ、ショートブレッドのようにさっくりしたタルト地の味がついてくる。
全部混じってしまえば美味しいのだが、最初の薔薇の香が香水食べてるみたいで苦手だ。
「もうちょっと薔薇を控えめにして欲しかった……」
きつい。
「あら、きっとわざとよ? ローズウォーターというのが王侯貴族を中心に流行っているから」
「流行り……」
「これも、ね」
そう言いながら、シヴァが小皿からくすんだ紫の小さなものを摘み上げ、紅茶に落とす。
「なにこれ?」
「スミレの砂糖漬け」
シヴァが答えを言う。
聞いたことはある、思いおこせば写真も見たことはある。でも実物は初めて見たし、食べるのはもちろん初めて。
おしゃれなレストランで食用花混じってたりするけど、あれに特に強い味を感じたことないんだけど。
――砂糖漬けを落とした紅茶を飲むと、ほんのりすみれの香り。
こっちは平気。たぶん薔薇は匂いが強いと香水のイメージが先行して、混乱するんだな。せめてほんのりにしてください、ほんのりに。