第六百七十六話 クリスタ脱出
第六百七十六話 クリスタ脱出
二話連続投稿
二話目
帝剣城。
宰相フランツはいくつもの手を打っていた。
一つ目は、偽者と判明したヴィルヘルムに攻撃を仕掛けたこと。その真の目的は、自らの死で偽者説を強固にするため。
あっさり捕えられると思うほど、フランツは甘くはない。失敗することすら計算のうちだった。
二つ目は、敵の目が後宮に向くように仕向けること。
敵にとって厄介なのは皇后であり、皇太子妃。だからフランツは皇后が死を覚悟していた時点で、後宮での籠城をすすめた。その真の目的は、時間稼ぎ。
勅書が出た時点で、重要なのは勅書だ。それを各地に届けることこそ、最優先。
だからこそ、敵の目を後宮に向けた。
三つ目は、帝都の重要人物の脱出。
ヴィルヘルムが帝都を掌握した状態で、帝都に残しておくわけにはいかない重要人物を逃がすことが、フランツには大切だった。
その代表格はクリスタとルーペルト、そしてミツバ。
次期皇太子であるレオナルトにとって、人質になりえる人物を帝都に残しては置けない。
この三人はなんとしても脱出させる必要があった。
ゆえに。
「クーちゃん、起きて」
ヴィルヘルムが帝都にやってきたのは正午過ぎ。
玉座の間にてフランツと会談したあと、皇后と皇太子妃と面会したのはすでに夜のことだった。
フランツがヴィルヘルムの逮捕を命じたのは、深夜のこと。
けれど、その前に各重要人物には脱出の指示が出ていた。
「うーん……リタ……?」
「すぐに着替えて。静かに」
「……うん……」
疑問はある。
しかし、クリスタは言われたとおりに寝間着から普段の服に着替えた。
できるだけ早く。しかし、慌てずに。
帝国の皇族として、緊急時の動きは訓練されている。
「あたしから離れないで」
「うん……」
言いながら、リタは深呼吸をする。
近衛騎士団は全員出撃した。
この城に白いマントの騎士はいない。一人を除いて。
リタの背には白いマントがついていた。それは見習い用の白いマントではない。正式な近衛騎士用の白いマントだった。
かつて帝都の反乱時、戦死した元第八近衛騎士隊長のオリヴァーより受け取った白いマントを仕立て直したものだ。
それは勝手につけているものではない。
有事の際、最後の近衛騎士としてクリスタを守れと、騎士団長であるアリーダから与えられたものだ。
「こっち」
クリスタを連れて、リタは小走りで走る。
宰相の攻撃はすぐに始まる。
だが、クリスタを逃がせという指令を受けたリタは警告を受けていた。
敵はすでに察知している、と。
だから。
「これはクリスタ殿下。どちらへ?」
「……殿下は勇爵家に向かわれる。道を空けろ」
リタは言いながら、廊下で立ちふさがった二名の騎士に凄む。
だが、騎士は意に介した様子もなく告げる。
「夜分の外出は危険ですので、部屋へお戻りを」
「もう一度言う。道を空けろ」
ゆっくりとリタは腰の剣を抜いた。
それに応じる形で、二人の騎士も剣を抜いた。
静寂のあと、動いたのはリタだった。
ここで時間をかけるわけにはいかない。
ヴィルヘルムが引き連れてきたのは二千の騎士だが、城に入れたのはごく一部だけ。
だが、攻撃を受けたなら、続々と城に侵入してくる。
さっさと突破しなければいけない。
だからリタは上段から振りかぶって、騎士に斬りかかった。
子供にしてはなかなかの太刀筋。
だが、しょせんは子供の剣。
白いマントも見せかけか、と騎士は余裕をもって剣で受けようとする。
しかし。
突然、リタは加速して騎士の懐に入ると、鎧の隙間からスルリと刃を滑り込ませた。
「かはっ……」
深々と剣を腹部に突き立てられ、騎士は血を吐く。
最初の動きは油断させるための撒き餌。
子供であるリタは侮られることが多い。だから、リタはそれを利用する術を身に付けていた。
「このっ!!」
もう一人の騎士がリタに向かって剣を振るうが、リタは小回りを利かせて、負傷した騎士の後ろに回り込む。
腹部を押さえて動けなくなった騎士のせいで、もう一人の騎士は攻撃できない。
その隙にリタは壁を蹴って、もう一人の騎士に上から斬りかかった。
俊敏で、しかも意表を突く攻撃。
背の低いリタならば、上からの攻撃はない。そんな先入観念に付け入る攻撃だった。
「ぐっ……!」
首を斬られた騎士は傷口を押さえながら、少し下がる。
もう少し深く斬られていたら、やられていた。
驚愕しながら騎士はリタを見つめ、そして戦慄した。
その殺気に満ちた目をみて、理解した。
この幼い近衛騎士は。
間違いなく殺す気なのだ、自分たちを。
「道を……空けろ!」
「くっ!!」
腹部を刺された騎士と、首を斬られた騎士は迫るリタに対して、下がりながら防戦に徹した。
いくらリタでも、大人二人が全力で防御に回ったら崩せない。
さっき、仕留めきれなかったのが痛すぎる。
好機を失った。そんなことを思いながら、リタは猛攻を仕掛ける。
だが、リタの猛攻が通ることはなかった。
その代わり、二人の騎士は背後からの一撃で倒れることになった。
「遅くなって申し訳ない」
そう言ったのは芸術家が作り上げた石像のような美丈夫。
その手には二本の剣が握られていた。
「〝宰相直属〟騎士団、ネルべ・リッター団長のラース・ヴァイグル大佐であります。これよりクリスタ殿下の護衛に入ります」
王国侵攻軍にネルべ・リッターの名はなかった。
理由は有事の際、宰相が動かせる戦力が必要であったから。
宰相はあえてこの戦力を脱出作戦に投入した。
ヴィルヘルムが偽者であるなら、力づくで捕まえることが難しいと判断していたからだ。
「……外の状況は?」
「続々とヴィルヘルム殿下旗下の騎士が城に乗り込んできています。急ぎましょう」
「行こう、クーちゃん」
「……大佐」
駆け足の中で、クリスタは呟いた。
何事かとラースは振り返るが、クリスタはいつも通り無表情だった。
ただ。
「宰相は……?」
「……」
少しラースは迷う。
何と言えばいいかわからなかったからだ。
「気休めはいいから……教えて」
「……宰相閣下は動かせる戦力の大半を重要人物の帝都脱出に割り振っておられます。脱出はできないかと」
「そう……」
静かに目を伏せたあと。
クリスタは告げた。
「必ず脱出する。しっかり護衛して」
「お任せください、殿下」
脱出する予定がある人物たちには、事前に話が通されていた。今日だとは知らなかっただけ。
偽者疑惑のあるヴィルヘルムを帝都に招くということは、帝都が陥落する可能性があるということだ。
そしてクリスタとルーペルトに託されたのは、地方に向かって反抗の旗印になること。
その意味がわからないほど、クリスタは子供じゃない。
皇太子候補として扱われるのだ。
レオナルトが戻るまで、帝国を背負えと言われたのと同義だ。
それが脱出した皇族の役目だ。
その覚悟をすでにクリスタはしていた。
「私たちはどっち……?」
「南門より南部へ向かいます」
「そう……大佐、すべて任せる」
「感謝します。では、失礼します」
そう言うとラースは軽々とクリスタを持ち上げると、脇に抱えた。
そして。
「殿下の足に合わせていては間に合いませんので。ご無礼を」
「荷物扱い……」
「丁重にお運びします」
そう言ってラースは笑いながら、部下とリタを引き連れて脱出に取り掛かったのだった。