1話目から読む
1話目から読む
使用人は、影の存在である。
誰しも、そんな認識を持っていることだろう。
それは間違っていない。
貴族や大商人など、金があり忙しい人々の代わりに家事・雑事をこなすのが使用人で、その働きは表からは見えないものだ。
見えなければ見えないほど、誉れとなる。無視されるくらいがちょうどいい。それが使用人というものだ。
では、身分の違いや雇用主だからという理由で使用人に無理を言ったり、責任を押し付けたり、ストレスの捌け口にしてもいいのだろうか。
答えは明確に『否』だ。
当然、誰に対してもそんな振る舞いはよろしくないものだ。しかし、この国においては特に使用人には労働者としての権利が強い。
いや、それは権利というより『権威』かもしれない。権利の行使を盾に貴族と渡り合うことができるからだ。貴族との身分差は依然として存在しているが、『労働者の権利』においては対等かそれ以上の関係だといえる。
身分の高い貴族が上か、それとも権利を持つ使用人が実質的に上なのか。
それは答えの出ない問いだ。
俺としては、使用人が最強だと思います。
「ちょっと、そこの」
俺がそんなことを考えるはめになったのは、俺を指でちょいちょいと呼びつけるけしからん令嬢がいたせいである。
仕事の付き添いで入ったレストランの使用人席に座っていたら、そのご令嬢に呼びつけられた。二十代には届かない年頃だろうか、知らない顔だ。
外国から来たんだろうな。
ほら、同席者がギョッとしてる。この国で使用人をこんな風に呼びつける振る舞いをする人はほぼいない。
「こちらへ来なさい」
俺は使用人の制服を着ているし、使用人だ。
しかし、あなた様の使用人じゃないんですよ。
このご令嬢、周りの使用人すべてが自分のために存在しているとでも思っているのか。自国では高位なのかもしれない。他家の使用人を顎で使おうだなんて、外国でも失礼に当たるだろうに。そういう作法の国もあるのかもしれないが。
俺は、当然無視……といきたいところだが、思うところもあり応じることにした。一応、同行者に目で確認を取ったらうなずいてくれたので、心置きなくご令嬢の対応に当たることができる。
「お呼びでしょうか」
「家の者へ伝言を頼みたいのだけど」
一番面倒な頼み事をされてしまった。こんな扱いは久しく受けていないので、かえって新鮮だ。
「失礼ながら、職務がありますのでそういったご依頼はお受けできません。お連れの方の使用人か、この店の店員にお申し付けいただけますでしょうか」
「まあ……」
俺の反応が予想外だったのか、ご令嬢はあんぐりと口を開けて固まってしまった。こんな扱いは受けたことがない、みたいな反応を見せている。俺も同じ気持ちだが?
同席していた男が慌てて弁明を始めた。
「呼びつけてすまないね、君は、その……『白き 袖 ( そで ) の会』の?」
「はい、そちらに所属しております」
男は真っ青になった。
悪の組織と対峙したみたいな反応はやめていただきたい。あなたのところでも俺と同じグレーの制服を着た人間がたくさん働いているはずだ。『白き袖の会』とは、使用人を派遣している唯一の組織のことだ。
ご令嬢は、まだ状況を飲み込めていないようだった。
「どういうことですの?」
「君はこの国にきたばかりでまだ知らないかもしれないが、この国、リヴァディアでは使用人の制度が 少 し 違っていてね。あまり横暴だと評価点が……詳しい話は後ほど聞かせてあげよう。とにかく、他家の使用人にはあまり頼み事をしないことだ」
そうです、引き受けるとしても別料金です。
ご令嬢は「まあ、そうでしたの」と言ってあっさり引き下がった。常識が異なっていただけで、彼女に悪意はなさそうだった。
とはいえ、これから結構な苦労をするだろう。少しばかり同情する。
ご令嬢の案内役をしているらしい男は、俺に謝罪して心付けを渡そうとしてきた。この程度で金を請求するほど狭量じゃない。心付けは断った。
「首都でのご滞在を心ゆくまでお楽しみいただけますよう、お祈りしております」
そう言い残し、俺はその場から下がったのだった。
あとは男がうまく説明するだろう。
「ご苦労だったな」
席に戻ると、同僚が苦笑していた。同僚、というか先輩というか。同じ職場で働く使用人仲間の男だ。俺より五歳ほど年上か。
今日は俺がお目付け役をやっている貴族の坊ちゃんと、その母君との会食に同行している。彼らは先ほどの騒ぎにも気づいていたが、目で合図してこちらに対処を任せ食事を続けていた。
ここは一般人も利用しているようなカジュアルなレストランだが、まあ、一応貴族の体面があるので俺たち使用人たちも一緒だ。
貴族たちが食事をする間、俺たちは少し離れた場所で待機する。他の家の使用人と情報交換したり、食事をしたり。
そして、先ほどのように何かを勘違いした貴族に呼びつけられるというトラブルも、たまに発生する。
先輩使用人は俺を労いつつも、心のなかでは「呼ばれたのが自分じゃなくてよかった」とか思っていることだろう。面倒事には関わらないのが使用人として基本の心得だからな。
「わざわざ対応せず、無視してもよかっただろ?」
「外国からお越しになった方のようでしたので」
「まあ、結構な美人だったからなあ」
美人だったのか。いちいち他人の顔を見つめたりしないので気づかなかった。
先輩は何を勘違いしたのか、俺をやけに生温かい目で見てきた。美人だからわざわざ声を掛けにいったとでも? 先輩と一緒にしないでいただきたい。第一、あのご令嬢は年下すぎる。
「お前、長いこと彼女もいないだろ。貴族と付き合うのはおすすめできないが」
「そういうのじゃないですよ。ただ……」
「なんだ?」
俺はシンプルなティーカップをそっと手に取った。
この店の紅茶はまあまあいい味だ。貴族がよく訪れるだけのことはある。
「……無視されるのは、寂しいですから」
先輩は少し沈黙し、それから笑った。
「やっぱり、お前あの令嬢が気になってるじゃないか」
だから、違う。
俺は話の通じない相手にため息をついた。