12話 首都学院 2026年10月24日 公開
12話 首都学院 2026年10月24日 公開
ロアン坊ちゃんの通う首都学院は、俺の母校でもある。
浮車で学院まで同行し、門のところで「いってらっしゃいませ」とお見送りをしたあとは、迎えの時間まで自由時間だ。
自由時間。
俺の大好きな言葉だ。
さて、何をしよう。
俺は久しぶりに学院内の図書室へ立ち寄ってみることにした。
学生時代、俺には友人がほとんどいなかった。
ほとんどの時間を図書室で過ごしていた。
……と、そう表現すると暗い青春時代だったように聞こえてしまうが、実際は刺激に満ちた楽しい学生生活だった。思い出補正がかかっている可能性はある。
図書室などの学院の施設は、部外者でも資格を満たせば利用できる。卒業生、かつ在院生徒の専属使用人である俺はもちろん資格を有していた。
通っていた頃と何も変わっていないな。
中庭の銅像を、ネオスが誤って斬り倒してしまったことがあったが、無事に修復されてピカピカと輝いている。あれは誰の銅像なのかいまだに知らない。銅像って斬れるんだな、と驚いたものだ。
図書室も当時のままだ。入り口ですぐに司書にジロリと睨まれるのもいつも通り。今は授業中なので、生徒の姿はなく静かなものだ。
実は、少し調べたいことがあった。
迷宮研究所でご令嬢研究員が話していたことについてだ。
確か、『錬金術』という言葉が出た。
錬金術は、この謎技術に満ちたファンタジー世界の中でもトップレベルに意味がわからない分野である。そもそも『錬金術』という呼び方が正しいのかも不明だ。
俺は今まで錬金術師に会ったことがない。どうやら錬金術は関連するスキルを獲得した者のみが究めることのできる分野らしく、修得した者は貴族の比ではないほどに選民意識が強い。……というのもすべて伝聞で知ったことだが。
あの鉱石が錬金術に関わるものなら、迷宮の異変への錬金術師の関与も視野に入れるべきかもしれない。
学院の蔵書はなかなかのものだが、果たして超マイナー分野についての資料があるかどうか。
小一時間が経過し、わずかな文献が見つかった。
どうやら、あの鉱石のようなもので錬金術専用の器具を製作するようだった。何かの材料かと思っていたが、器具だったとは。
錬金術には、ごく一般的な材料を用いる。ポーション、金属製の武器などが主な制作物のようだ。それらを一瞬で作れるとか何とか。
なんか、普通だ。
ポーション(という名の薬品)は薬師、武具は鍛冶屋が作れるわけで、替えの利く職業という印象しかない。
まあ、一般人が閲覧できる場所にはそれなりの情報しかないだろう。選民意識が強いなら知識を隠そうとするだろうから。
迷宮の異変に錬金術が関連しているかどうかは、まだ不明だ。もっと情報が欲しければ、中央図書館に行かなくてはならないだろう。
あそこは、少々騒がしい。錬金術という言葉を出すと嫌がられそうだ。気が向いたら行こう。
今日は、わからないということがわかって良かった。
俺は本を書架へ戻し、学院を後にした。
どこかのカフェにでも入って時間を潰すか。
商店や屋台が集まっている場所をのんびりと歩く。
ひたすら足を動かした。
人通りはまばらで、ときおり呼び込みの声が聞こえる。
平和だ。
ベンチに座りくつろぐ老人、はしゃぎながら走り回る子供たち、屋台を物色する客、見回りの衛兵。誰も他人を気にせず、営みを続けている。
広場、石畳、鳩、店先の布、遠くの尖塔、青い空、雲、月。
立ち止まった。
あ、まずい。
そう思った時には、もう意識が遠くなり始めていた。
俺は無心で足を動かして何とか路地に入る。
まずいまずいまずい。
コントロールが利かない。
意識が地表から引き離され、薄く薄く伸びていくような感覚に陥った。
両の手のひらを見るが、それを認識できない。
俺にはもうどうにもできない。
こうなっては止められないことがわかっていた。
音が遠のく。
ただただ、現実感がない。
これは誰かの夢なのか。
意識が大気圏を突き抜けて、星を見下ろしている。
本当にここが惑星なのかわからない。
体が重い。
いや、体があるという感覚がない。
星を、黒い手のひらが包んでいるのが見える。
暗い誰かが星を覗き込んでいるビジョンが広がる。
今までのすべてが偽物だったのか。
無意味なのか。
夢なのか。
遠い。
「──……ちゃん、兄ちゃん!」
誰かに揺さぶられ、ハッとする。
やばい、意識飛ばしてた。
路地に入っていたおかげで往来の真ん中で立ち尽くすようなことにならなくて済んだ。
俺を引き戻してくれたのは、近くの屋台でパンを売っているおばちゃんだった。
街の騒音が耳に入るようになる。
大きく息をつく。
「大丈夫かい、ぼんやりしちゃって。家の鍵でも失くしたかい?」
「まあ、そんなところです」
「家の人に怒られないようにね。ほら、これをあげるから」
パンをいくつか包んで渡してくれる。焼きたての香りがする。
俺は頭がまわらないまま、反射的に小銭を渡した。
「あら、金なんていいんだよ。それに多すぎる」
「……いいえ、あと二つください。主人のご機嫌取りです」
おばちゃんはフフッと笑って三つ渡してきた。気前が良すぎる。潰れても知らないぞ。
そのまま広場にいるとまた意識が遠のきそうだったので、俺は礼を言ってから足早にその場を離れた。
かなり離れてから、何度か深呼吸する。
手のひらを見る。ちゃんと見える。息もしてる
危なかった。久々だったな。
俺は物心ついた時から、ああして意識が遠くなることがあった。
自分がここにいないような、すべてが遠くなる感覚。
おそらく、転生の影響だろう。
別の世界を知っているため、このあまりにファンタジーな世界を現実と認識できなくなる。自我が確立されていない子供の時期は、特にその症状が出やすかったんだと思う。
呼び掛けられても聞こえず、外からは放心状態に見える。
元の世界ではその症状に名前がつくんだろうが、この世界じゃただの変なやつだ。
大人になってからは久しく症状は出なかった。
何がきっかけだったんだろう。
最近なにか大きなストレスがあったか?
使用人は最強で、坊ちゃんは優秀、職場は快適、副業も可能。
この世界だって、未発達ではあるが不便ではないし、魔法で解決できることが多い。身分差はあってないようなもの、この国はいまのところ戦争の兆候はなく内乱もない。独り身だから、家庭のストレスもない。
これで文句があったら贅沢すぎる。
それとも、気を抜いたのがよくなかったのか。
……まさか、三ヶ月後に迫った退職がストレス要因か? 俺はそんなに繊細な人間だっただろうか。
何もわからないな、と思いながら壁にもたれ、パンを頬張った。ザクザクしているデニッシュのようなパン。ほのかに甘い。
灰色のレンガ作りの街並みが、妙に今の気分にしっくりくる。
食べ終わって、パイプで一息ついた。
公道で堂々と吸っても誰にも迷惑をかけないパイプは素晴らしい。
やっと頭がはっきりしてくる。
この世界が夢だか現実だか、きっと死ぬまでわからないだろう。
でも、今食べたパンは美味しかった。
それははっきりしていた。それがわかっていれば大丈夫だろう。
紅茶も欲しくなってきたな。
当初の予定通りカフェを探して入ることにした。