14話 夜の庭園 2026年10月26日 公開
14話 夜の庭園 2026年10月26日 公開
首都は眠らない。
とまではいかないが、人々は夜遅くまで活動している。
ラビリニ家でも夜番があり、誰かしらが起きている。俺もごくたまに夜番が回ってくる。
今日はもう休むところだったので、黙って抜け出したところで問題はない。一応、夜番をしていた同僚に「寝付きが良くないので散歩して飲んでくる」と正直に告げておく。信じたかどうかはわからないが。
夜は少し冷えるが、歩いてたら体もあたたまるだろう。
貴族街の周辺は治安がいいかわりに手軽に飲めるところが少ない。さすがにこの時間だと浮車も馬車もないので歩いて酒場を探すことにする。
首都は、昼間とは違う顔を見せていた。
ひんやりとした石畳が妙に心地良い。暗い分、視界に入るものが少ないからか、頭が軽く感じる。どこまでも歩いていけそうだ。……いや、眠くなってほしいんだが。
夜は万能感を人に与えるのかもしれない。
自分だけが起きている特別感ともいえるか。
まるで思春期の子供みたいだ。
男は永遠に思春期を宿して生きているからな。
なぜか、昼間のあの離脱症状は夜には起きそうになかった。
どんどん歩き、酒場などが集まる区画へ来た。
店内から漏れ出るざわめきを通り過ぎ、静かに飲めそうな場所を探す。
なかなか見つからない。
そもそも、俺には行きつけの酒場がほぼない。お気に入りの店はもう閉まっている時間だ。残るは酔っ払いが騒ぎ散らかす店か、内輪の人間しかいない排他的な店くらいか。娼館でも酒は飲めるだろうが、何かが違う。買ってある酒を一人で飲むのも違う。
しっくりこないまま歩き続ける。
呼び込みを素通りし、ウザ絡みをしてくる酔っ払いを避け、ひたすら進んでいく。
いつの間にか店がまばらになっていた。
住宅街に差し掛かったか。
まあ、このまま歩いて帰っても問題ない。疲労すれば多少は寝付きも良くなるだろう。
そうして、引き返そうとした。
その時、風が吹いた。
風に、目が覚めるような花の香りが乗ってきた。
近くに花屋か花壇でもあるのか。
香りの元を辿ろうとあたりを見回す。
いつもなら絶対にしない行動だ。
どうしてそうしようと思ったのか、わからない。
ただ、俺は香りに釣られるように視線を巡らせ、外階段を見つけた。
その外階段を上がりきった先、建物の屋上部分。
ライトアップされた庭園があった。
こんなところに庭園があるとは。全く気づかなかった。道路からでは全景がわからないが、侵入するわけにもいかない。
なんだか良いものを見たような気分になった。
帰ってそのまま寝たらよく眠れそうだ。
そんなことを思っていたが。
「──あら、ディルじゃない。ナディル・カイエン」
めったに呼ばれない自分のフルネームを聞いて背中がゾワリとした。
さっきの庭園から、女が俺を見下ろしてした。
誰だ?
一瞬、娼婦の客引きかと思ったが、俺のフルネームを知っている娼婦の知り合いはいない。それにここはそういう区画でもない。
逆光でよく見えないが、女は長い黒髪で黒い服を着ている。
本当に誰だ。
「こんなところで会うなんて」
「……どなたでしょうか」
とりあえず尋ねたが、女はクスクスと笑うばかりだ。
「あなたはもっと目ざといと思っていたのだけど」
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「その服装をしているときも丁寧に話すのね」
その服装?
これは私服だ。ということは、いつもは使用人の制服を着ている時に会っていて……使用人仲間か。
該当者を脳内で挙げていく。
……あ。
ずいぶん時間がかかったが、やっと答えがわかった。
普段と違いすぎるだろ。
「奇遇ですね──シャーリー先輩」
先輩は、「正解」というように微笑んだ。
上にいらっしゃい、という言葉につられて外階段を上がり庭園に入る。
さっきまでは、自分がここに入るとは夢にも思わなかった。これが夢なのか?
庭園は、思ったより小規模だった。よく手入れされた鉢植えがいくつもある。植物のつるがちょっとした壁と屋根を作っていて、ところどころに置かれたランプが柔らかく照らしていた。
ちょうどいい場所にテーブルと椅子が据えられ、ティーセットも揃っている。すぐにでもお茶会が始められそうだ。
俺は眩暈を覚えた。
なんだこのファンシーな空間は。
「ほら、こちらにかけて」
極めつけは、この人。
先輩は俺のために椅子をもう一脚もってきてくれた。
その椅子に座り込み、大きく息を吸った。鼻腔に花の香りが広がる。
本当にシャーリー先輩なのか?
まだ確信が持てないでいた。
あの存在を忘れてしまうような影の薄い先輩が、目の前で微笑んでいる女性と同一人物だとは到底思えないが。
普段はひとつにまとめている黒髪をおろしている。服装も、ゆったりとした普段着だ。それだけで印象ががらりと変わる。
それよりも。
「先輩、通いだったんですね」
それが驚きだ。
ずっと、敷地内の使用人棟に住んでいるものとばかり思っていた。十年同じ職場にいたのに、知らないことばかりだ。
「あちらにも部屋はあるわ。ここが気に入っているの」
「そのようですね」
「ほら、お茶が入ったわ。私が調合したの」
いつのまにか、ティーカップにお茶がなみなみと注がれていた。ハーブティーだろうか、すっきりした香りだ。
「召し上がれ。気にいるといいけれど」
「いただきます」
うまい。
ハーブティーにありがちな、植物のえぐみが全くない。後味もいい。
さすがだな。熟練の使用人はお茶の淹れ方が格別に上手いのだ。
俺は、対面で微笑むシャーリー先輩っぽい人物の髪のツヤを眺めながら、ハーブティーを味わった。
まるで現実味がない。
「おいしいです」
「よかった。あなたはこういう味を好むんじゃないかと思っていたの」
「俺が?」
「ええ、こんな夜に出歩くなんて、眠りが浅かったのでしょう。これを飲めばきっと今夜はよく眠れるはずよ」
「当たりです」
観察力があるな。
いまいち効き目はわからないがありがたい。酒を飲むよりはいい解決法かもしれない。
それから、先輩はパイプを取り出して、ふかしはじめた。
いつも休憩室で吸っている姿と一致しなくて混乱する。俺の脳、いいかげんバグるんじゃないだろうか。
というより、寝る前に吸うと頭がシャキッとして寝付けなくなるのでは?
俺のびっくりした顔が面白かったようで、先輩はクスクス笑った。
「あなた、迷宮産の葉を使っているでしょ」
「そうですが」
「少し高いものを使うと、味が変わって楽しいのよ。効果も葉によって違うの」
先輩はパイプの 蘊蓄 ( うんちく ) について楽しそうに語った。
何度も言うが、本当にあのシャーリー先輩か?
こうなってくると俺の目も信憑性が疑わしい。
先輩とのささやかなお茶会は、和やかだった。終始会話は途切れず、ハーブティーは常に注ぎ足された。
信じられないような出来事だが、高揚感よりも安心感が勝っているように思えた。不思議だ。
ファンタジーな世界で、さらなるファンタジーを体験するとは。夢の中の夢、みたいな話だ。
「先輩は、どうして俺に声をかけたんです? 無視してもよかったのに」
するっと本心が言葉になった。雰囲気に呑まれているのかもしれない。
「以前から、ディルと話してみたいと思っていたの」
「どうして?」
「あなたは、少し変わった視点を持っているでしょう? ずっと遠くから、空の上から世界を見ているみたいだと思って。それが面白そうだからよ」
内心、ギクリとした。
俺は転生前の記憶があり、よく意識が大気圏を突き抜けてしまう。先輩の読みは鋭かった。
先輩の黒い瞳を覗き込む。黒いのに、澄んでいるように見えた。
奥にはどんな思惑が隠されているのか、わからなかった。
「あなたはいつも本質を見極めようとする。世界の形は無常でいつも揺らいでいるわ。いつか努力が実ってあなたにとっての本物が見つかるといいわね」