15話 日常 2026年10月27日 公開
15話 日常 2026年10月27日 公開
いつもの朝ミーティング後の一服。
パイプをふかしながら、チラリと部屋の端の方を見る。
いる。
存在感はない。
昨日は目が離せないほどの強烈な存在してます感を放っていたのに、これだ。
シャーリー先輩は静かにパイプをふかしていた。
「おはようございます」
「ええ、おはようございます」
挨拶が返ってくる。いつもの事務的な響き。
先輩の態度はいつもどおりで、職場ではこれでいくらしい。俺もそれが助かる。
だが、今までは気にならなかったこの時間の沈黙が妙に気になるようになった。今までは、そもそも存在に気づかないことも多かったわけだが。
本当に昨日の出来事は現実だったのか?
あのあと、どうやって家まで帰ったのか。
記憶があやふやだ。
自分の部屋に戻ってベットにもぐりこんだ瞬間、眠りに落ちたことは覚えている。眠れなかったのが嘘のようだ。
朝起きた時には、あれはやっぱり幻だったんじゃないかと思えてきた。
夜の散歩中に偶然職場の先輩に会ってハーブティーをもらって、談笑して帰宅。……これが夢じゃないなら何なんだ、現実か?
でも、俺の部屋には「持っていって」と帰り際に先輩が分けてくれたパイプの葉があるし、私服にはかすかに花の香りが残っていた。
現物がある以上、これは実際に起きた出来事だ。
ファンタジーとは、何も魔法や幻想生物のことだけを指すのではないと知った。非日常もファンタジーなのだ。
なにやらフワフワとおぼつかないが、悪い気分じゃない。
仕事を始める時間まで、俺はゆっくりとこの静けさを味わった。
今日のロアン坊ちゃんは迷宮にもぐって先を目指すらしい。気合いの入った顔で浮車に乗り込んでいた。
学院へは授業がある日のみ通えばいいシステムだ。その上、坊ちゃんは最終学年で授業数が少ない。
迷宮の見回り役に憧れている坊ちゃんは、空いた日はとにかく迷宮に通っていた。
迷宮街にある別邸で装備を整えて、迷宮へ。
ちなみに俺はほぼ制服のままだ。坊ちゃんのお供という仕事の最中であり、制服の防御力は結構優れているためである。
火や擦れ、衝撃に強く、汚れがつきにくい。
ポケットもたくさんあり、一部は拡張空間──マジックポーチ状態になっている。
探索者のフル装備には及ばないが、浅い層でお供をする程度なら十分だった。
衛兵に会釈し、巨大な扉をくぐって迷宮ロビーへ。
そこでネオスに会った。
「兄上!」
「おー、ロアン。お前も今日はこっちか」
デカい剣を背負ったネオスは、巡回兵と話し込んでいたが、ロアン坊ちゃんの姿を認めて表情を緩めた。
「今は何階層なんだ?」
「二十四階です。今日は先を目指そうと思って」
「そうかそうか、ロアンの実力なら三十二あたりまでは簡単だろう。いずれ一緒にやろう」
「はい! お気をつけて」
「お前もな。ディルもロアンをよろしく」
「もちろんです」
そのまま別れ、俺たちは先に昇降機へ向かった。
ネオスと話せた坊ちゃんは嬉しそうだった。
なぜか坊ちゃんはネオスを尊敬しており目標としている。本当になぜなのか。
幸い坊ちゃんは剣をうまく使えるし、努力を続ければネオスも超えることだろう。
それにしてもネオスのやつ、失恋の痛手から無事に回復したようだ。情けなく泣き暮れてふにゃふにゃだった奴の姿はもうなかった。
ぜひ、ロアン坊ちゃんにはネオスの良いところだけ見習ってもらいたいものだ。
まずは二十三階で肩慣らし、二十四階へ進んで魔物騎士との対戦へ。
俺がカナブンを殲滅し、騎士が出現する。
「師匠、お願いします」
魔物と坊ちゃんが向かい合い、型をなぞる対戦が始まった。俺が魔石を拾い終わったところでちょうど対戦終了。
騎士は今日も金属片を落とした。
これで二十九個目だ。次でいよいよ三十個揃うので、坊ちゃんは期待を上げまくっている。こうして揃えると達成感があるな。これでもらえるものが鍋とかだったらガッカリだ。
魔物騎士は、今回は鉱石をドロップしなかった。
迷宮の異変は本当に起こっているのか。まだわからない。旦那様はネオスを使うとか言っていたことだし、中層はあいつに任せたらいいだろう。
俺たちは焦らずに浅い層を進んでいけばいい。
いよいよ、二十五階へ。
と言いたいところだが、この階は特殊なため素通りすることになるだろう。
階段を降りると、そこは草原が広がり、池がポツリポツリと点在する階層だった。
そして、池のまわりには……。
「オメェ、もちっと向こうへ行け!ワシが釣れんじゃろ」
「離れとるわ、餌が良くないんじゃろうがい!」
「オメェの餌よりエエのを使っとるわ!」
「お前らやかましい、魚が来んじゃろ!」
「糸が絡まってしもうたのう……よう見えん」
「どれ、見せてみい……こりゃダメじゃ」
「おお、釣れたぞ! 大物じゃ」
ワイワイ、ガヤガヤ。
釣竿を持った老人が池を取り囲んでいる。
非常に賑わっていた。
そう、この二十五階は釣り堀層なのだ。
草原には魔物が出ないが、池に魚が出現する。
それを釣り上げると、釣ったものがそのままドロップ品となる。まあまあ美味い。魔石はたまにしか落ちない。
釣竿さえあれば無限に釣りができるため、老人に大人気の層だった。皆が椅子を持ち込んで居座っている。ほぼ娯楽施設だった。
ドロップ品の納品が大変なため、迷宮の職員が定期的に買取にやってきて往復している。トラブルもあるため常駐の警備兵までいる始末だ。
子供にとっても釣りは簡単に稼げる手段であるではある。しかし、子供はじっと座って待つのが苦手なため、もっぱら老人や怪我人の稼ぎ場所となっていた。
初めてこの光景を見て、坊ちゃんは唖然としていた。
迷宮といえば、剣や魔法を振るって進んでいくイメージがある。こんな老人の憩いの場になっているとは夢にも思わなかったに違いない。
「……ん? そこの灰色頭はディル坊か」
「デカくなったのお……ちまい坊主だったのに」
「ご無沙汰しています」
「わはは、相変わらず堅苦しいやつよ」
「ということは、そちらは……」
「ア・ロアン・ラビリニ様ですよ」
「おお! 伯爵様の五番目のお子様ですな。赤ん坊だったのに立派になって……」
「ムール様に似ていらっしゃるな」
俺の顔見知りもいた。まだ元気そうで何よりだ。
時間感覚が違う老人たちにとって、俺たちはまだ赤ん坊か子供なんだろうな。
ロアン坊ちゃんはちょっと威厳を出すためか、真面目な顔で老人たちの言葉にうなずき言葉少なに返事をしている。老人にとってはそれすら微笑ましいのだろう、皆が一様に笑顔だった。
ちょっとしたアイドル扱いを受けつつ、二十五階を通り過ぎていった。