2話 陰謀論 2026年10月14日 公開
2話 陰謀論 2026年10月14日 公開
この世界では、使用人は最強らしい。
そう聞いたのは俺が十五歳の時だった。
「ディル、お前は使用人になれば? 絶対向いてるよ」
首都学院での最後の年、唯一の友人が俺にそう言ったのだ。
喧嘩を売られたのかと思った。
俺、ディルはその当時、確かに進路に迷っていた。親がいない身でありながら推薦で学院へ入学できた。でも、じゃあ人生これからどうするのか、具体的なプランはなかった。
だからって、いきなり選択肢の最初が『使用人』?
わからない。
この友人とは一緒に迷宮探索したし、試験前にはかなり助けてやったんだから、迷宮探索者とか教師とか挙げてもよさそうなものだが。
俺の常識が、またズレていたのか。
転生前の記憶ってのも、やっかいなもんだな。
俺は転生者だ、多分。
物心ついた頃に転生前の記憶らしきものが生えた。
うっすらとしたものだが、いきなり知らない価値観と知識、記憶が出てきたため当時は混乱した。
何が現実なのかわからなくなり、たまに意識が遠くに飛んでいくような感覚に陥ることもあった。前触れなく意識を飛ばして虚空を見つめていたせいで、周囲から「こいつ大丈夫か?」という目で見られたものだ。
前世の俺は、四十か五十歳頃に病死したようだ。死んだという記憶はないが、病気になったことはぼんやり思い出せる。結婚はしていたような、いなかったような。仕事は何をしていたんだったか。何らかのサービス業だった気がする。仕事中心の生活をしていたようだから、結婚していたとしても長く続かなかったんだろうな。
とにかく、この転生前の記憶のおかげで人並み以上に知識はあった。
しかしそれもこの世界じゃ役に立たない。
魔力を鍛えるだとか、知識を利用して商売だとか、神童と崇められるだとか、そんな都合の良いことは起きなかった。
魔法とスキルは存在するが、それによって人生が格付けされるような仕組みはない。魔法やスキルが突出した人もほとんどいない。
つまり、それで名を上げることはできないのだ。
世の中そう甘くない。
転生前は凡庸に暮らしていたらしい俺には、この世界で通用するような専門知識はない。成り上がりたいという熱意もない。
ない、ない、ない。あらゆるものがない。
俺は、ただ記憶を持つだけのそこそこ器用な凡人だ。知識を使って無双する夢は早々に捨てた。そもそも施設暮らしだったので、日々の生活で精一杯だったし。
金持ちになったところで、資本主義が赤ちゃん並みのこの世界じゃ、享受できる楽しみはたかが知れている。責任と心労が付きまとうだけの人生はごめんだ。
それに、この世界が夢や幻じゃない保証があるか?
この疑問が未だに俺にまとわりついている。
空があり星があり、朝と夜がある。人間がいる。国があり貴族がおり、婚姻制度があり宗教がある。作法が、ドレスが、ジャケットが、魔法が、文化が、太陽暦が。
全く異なる世界なら、どうしてこんなにも既視感があるのか。転生前の世界をなぞったようなこの世界は、誰かの見ている長い長い夢じゃないのか。本物かどうかなんて、誰にもわかりはしない。
俺は、いつ覚めるともわからない夢の中でまでがんばりたくない。
おそらく転生前の俺は仕事のしすぎで疲れていたんだろう。今世の若い身体においても、デカい夢を追うとか名をあげるとか、そういう何かをがんばるという気になれなかった。
そういうわけで、俺は異世界の記憶を持ちながら一般的な平民と同じ道を歩み、一市民として慎ましやかな人生を送ろうとしていた。無気力とはいかないまでも、のんびり暮らすのが一番だ。
施設出身者の進路はさまざまだ。どこかの商店や職人の下で見習いになったり、清掃業に従事したり、衛兵に志願したり。
俺はぼんやりと、商店で働くか、それこそ貴族の屋敷で使用人になるか、はたまた首都のとなりにある迷宮で本格的な探索者になって稼ごうかと考えていた。
だから、実は友人の「使用人になれば?」という提案も的外れではなかった。人から言われたことは何故か否定したくなるだけで。
使用人の仕事はキツそうだ。貴族と接するのも面倒だし、ブラックそうだし。
サボれないのは嫌だな。
少なくとも最初に挙げる選択肢じゃない。
俺は友人の言葉を話半分に聞いていた。
「それは、俺がその程度の人間って言いたいのか?」
「ちがうぞ! ぜんぜんちがう。使用人はな、器用で何でもできて、賢くて、強いんだ」
それは本当に使用人の話をしてるのか?
甚だ疑問だったが、彼が言うには「使用人には決して逆らってはいけない」、「世界を本当に掌握してるのは使用人」だそうだ。
使用人に何をされたらそんな陰謀論に目覚めるのか。
そういえばこいつは貴族の次男坊だった。
ひたすら剣を振ってるだけのやつだし、首都学院において身分は平等だから忘れていた。
幼い頃から使用人に囲まれて暮らしているわけだから、彼の言葉も全部が虚言というわけじゃないんだろう。
どうやら、この首都では使用人が所属する独自の組合組織『白き袖の会』──通称『使用人協会』があるとこの時初めて知った。そこから要請のあった各家へ使用人が派遣される仕組みらしい。
派遣会社みたいなものか。それは少し面白そう。
興味が湧いて、とりあえず面接に行くことにした。
紹介状はその友人が書いてくれた。
そして、対面した四十代そこそこのいかにも執事風の男は俺に言った。
「使用人の心得とは何だと思いますか?」
知らん。誠心誠意仕えるとかだろうか。
俺が面倒そうに首を横に振ると、執事はなぜか嬉しそうな顔をした。
「使用人たるもの、常に手を抜け、ですよ」
マジか。
その言葉で俺は使用人になると決めた。
この世界で生きてきて初めて、雷に打たれたような衝撃を覚えた。寝耳に水というか、やっと目が覚めたような覚醒したような、そんな気分だった。
まだ就業時間とか休暇とか給与とか、条件を何も知らなかったが、これだと思った。
初っ端からサボりを推奨する職場だ、休暇と給与がちゃんとしてないわけがない。
執事はその後もいくつか俺に質問した。
護身の心得はあるか(そこそこある)、現在ほかに収入源はあるか(迷宮探索をしているので収入はある)、賭け事や娼館通いを嗜むか(いいえ)、といったものだ。
派遣業の側面があるため、ある程度の待機人員が必要なようだった。そして待機の間に別の仕事ができる人材はかなりありがたいらしい。
それから、賭け事や娼館通いを嗜む者は、派遣先の財産を横領したり食い潰したりする可能性があるため避けたいとのこと。賭け事のような無駄なことは嫌いだし、娼館に通う歳でもなかった俺は、即採用された。
半年の研修ののち、ついに正式に貴族の屋敷へ派遣されたのだった。
その家はラビリニ家といった。
なんと俺に使用人になるよう勧めた、あの友人の実家だ。
その家の五歳になる三男、つまり友人の弟のお目付役が俺の栄えある初仕事となる。それを知った時の友人の顔は見ものだった。まさか推薦した人間が自分の家に来るとは思わなかったのだろう。俺もびっくりはした。
ともかく俺は無事に就職できた。十六歳の時の出来事だ。
俺の主となったア・ロアン・ラビリニ様と対面してから、実に十年の月日が流れ。
俺は今もロアン坊っちゃんのお目付け役だ。
そして、確信を持って言える。
使用人が首都を支配している、と。
使用人は最強なのだ。
しかし、最強であればいいってもんじゃない。
何事にも終わりが来るということを、俺はすっかり忘れていた。