4話 ミーティング 2026年10月16日 公開
4話 ミーティング 2026年10月16日 公開
これは伝え聞いた話である。
表の歴史では決して語られることのない昔話であり、真偽の程は定かではない。
かつて、この国リヴィディアにおいて身分差が激しかった時代があった。貴族が支配していた時代、一般人の命が軽かった時代だ。
当然、使用人に対する扱いもひどいものだった。
備品か何かのように替えが効くものだと思われていたのだ。賃金も酷かったらしい。
やがて、使用人たちは立ち上がった。
一体何をしたのか?
何もしなかった。
文字通り、何もしなかった。
彼らは蜂起するでもなく、訴えるでもなく、静かに仕事を止めた。いわゆるストライキだ。
当時の王都で働く全ての使用人が一斉に仕事の手を止めたらどうなるだろうか?
都市運営が成り立たなくなる。貴族は生きていけなくなる。戦争に負ける。国が滅ぶ。
貴族はやっと気づいたのだ。
備品のように替えが効くと思っていたものたちが、実は血の通った人間であり、彼ら無しでは何もできなくなる重要な存在だと。
使用人たちは集まり、静かに行進した。
着用を義務付けられていた上着を脱ぎ、白いシャツの袖を露わにして王都を練り歩き、王城前で静かに交渉を待った。いわゆるデモだ。
誰も彼らを処刑することはできなかった。殺してしまえば、今後誰が貴族たちの世話をするのか。人員を補填したとて必ずどこかで足りなくなる。使用人が替えの利かない専門職でもあったことを彼らは痛感した。
それに一般人の目もあった。王都のすべての目が、この出来事を注視していた。
無言のまま行われたそれは『沈黙の行進』として恐れられ、後世に語り継がれている。
そうして、なんやかんやレジスタンス活動と交渉に成功し、使用人たちは独自の組合組織を立ち上げた。
それが現在『白き袖の会』、通称『使用人協会』と呼ばれる派遣組織である。発足当初は派遣業というより組合の色が強かったようだ。
彼らは普段は目立たない。
淡々と仕事をこなし、人々の生活を支えている。
だが、貴族は常に彼らを恐れている。
もし使用人に対して不当な扱いをしたり何かを強要した場合、それぞれの家に対する『評価点』が下がっていく。評価点が下がれば下がるほど、使用人が減り、賃金が上がっていく。
最後には使用人すべてがその家から去っていく。
見捨てられるのだ。
そうなれば、その家はおしまいだ。
貴族社会からも「使用人協会から見捨てられるような家」というレッテルを貼られ、離散するほかなくなる。
しかし、使用人協会の最も恐ろしい点はそこではない。
本当に恐ろしいのは、使用人協会から派遣された人員がほぼ全ての貴族の家に配置されている、という点だ。
彼らはどこにでもいる。
すべての家の情報を握り、弱みを知っている。
この『情報』こそが使用人たちの武器だった。
その気になれば本格的な諜報活動も、一斉蜂起も、国家転覆も可能なのだ。
貴族からすれば恐怖である。
常に喉元に刃物を突きつけられているようなものだからだ。実際にその力を行使しないとしても十分に脅しとなる。
一般市民とは違い、使用人は貴族の仕事を間近で見て学んでいる。そのため貴族の立場に成り代わることはそう難しくない。その点も脅威となっていた。
そういった理由もあって、使用人協会は『所属する人員を本来の職務以外に利用しない』という誓約をさせられた。貴族側の監視人も設けられた。当然の措置だ、俺でもそうする。
さらに、汚職や癒着などの腐敗を防ぐために使用人の派遣期間に上限が設けられることになった。同じ職場で働けるのは累計で十年間になる。それ以上働きたい場合、協会の庇護下から離れ、専属契約を結ばなければならない。これが俺が今苦しんでいる問題の原因である。
そうして、約百年の時が過ぎる。
王都が首都へと名称を変え、使用人の集団が組合から派遣業へ変化した現代においても、使用人は陰から貴族を見定め、静かに評価を下し続けている。
そんなわけで、今も使用人は最強だ。
***
使用人の朝は早い。
いくら使用人が『サボり推奨』で最強とはいえ、主人より早く起きなければならない。
今日の朝もいつもと同じように始まった。……が、朝のミーティングでちょっとした騒ぎがあった。
「各自、共有しておくべき事項はありますかな?」
使用人の休憩室(兼、会議室)で、使用人長のゴートンが厳かに口を開く。片眼鏡に白髪混じりの髪を撫でつけた典型的な執事だ。
彼が見回す先には、十人ほどの使用人たち。
皆、身支度を済ませてグレーの制服に身を包んでいる。
集まった者たちは早起きに慣れてはいるが、半数以上がダルそうにしていた。
俺もダルい。昨日、就業時間後に友人──ア・ネオス・ラビリニの晩酌に付き合って二日酔い気味だ。雇用関係になったとはいえ、学院からの友情はまだ続いていた。
しかし職務は果たさねば。
俺は片手を挙げ、発言した。
「本日、ロアン様はデートのご予定です」
「な、なに……!」
その場に緊張が走った。
ダルそうだったメンバーの顔がギュンと引き締まる。
退屈な会議室が、急に重大犯罪が発生した時の捜査本部みたいになった。
ピリっとしてるな。いつもの朝だ。
紅茶がうまい。
ロアン坊っちゃまのデート。
それはラビリニ家使用人にとって最重要事項である。
ゴートンは顎に指を当て、計画を立て始める。
「なるほど……。旦那様と若旦那様のご予定は?」
「中央執務塔へ出向なさいます」
「では、夫人方は」
「フィリー様の入賞祝いでお茶会をなさるとのことですわ」
「ならば、メアリ様とヴィカ様もそちらに気を取られることでしょう。ネオス様は……」
「あ、ネオス様は昨晩酔いつぶしておいたので、今日は本邸から出ないはずです」
たまたま失恋したネオスの愚痴に付き合っただけだが、結果的に今日の仕事がしやすくなった。俺も要領が良くなったものだ。どうか今日はそのまま寝ておいてくれ。
デートひとつでなぜこんなに大騒ぎしているのか。
それはロアン坊っちゃまが家族から溺愛されているためである。
ロアン坊っちゃまは五番目の子供で、父母兄姉全てから大事にされ、大変に愛されていらっしゃる。普通に接しているのは実母の第三夫人と妹君のヴィカ様くらいだろうか。
ロアン坊っちゃまの動向ひとつでラビリニ家が傾くことさえあるのだ。本当に。
デートともなると、ロアン坊ちゃんに家族を近づけないよう裏で手のひとつやふたつ回しておかねば惨事になりかねない。実際、過去にいろいろあった。
密かにデートを監視するならまだいいほうだ。気に入らない相手であればその親に遠回しに圧力を掛けたり、デート先の店に手を回してちょっとした嫌がらせを画策したり。逆に坊ちゃんを振った相手には脅しをかけたりと、坊ちゃんには気づかれない程度の妨害工作をしたことがあった。
彼らは決して非常識な人間ではないはずだが、何が彼らをそこまで動かすのか。俺には全く理解できないが、愛情ゆえの暴走を尻拭いするのは使用人だ。マジでやめてほしい。
旦那様が皆を諌めたおかげで現在はそういった暴走は抑えられている。しかし油断はできない。
ゴートンは皆の報告を聞き満足そうに頷いた。
「ふむ。では評価点に関わる事態は避けられそうですな」
「ディル、それでロアン様の進展は……」
先輩使用人がおずおずと俺に尋ねる。
クソ眠そうな顔をしていた一人だ。
俺はそれに端的に答える。
「おそらく、失恋なさるでしょう」
「!」
ゴードンはわずかに顔を顰めた。
デートってだけで厄介なのにな。
俺も面倒だ。なにせ俺はロアン坊ちゃまのお目付け役なので、渦中に突っ込まれることが確定している。
とにかく、デートの件は俺がなんとかうまく立ち回るってことになった。失恋を防げるならそれでいいが、相手の様子を見るに無理だろう。
いつもいつも、俺がなんとかすることになる。
ここ十年その繰り返しだ。
俺はあくびをかみ殺しつつ、その後の業務連絡を聞き流した。
もうじき、この日常ともおさらばか。
そう考えると、寂しいような気がしないでもなかった。