5話 休憩室 2026年10月17日 公開
5話 休憩室 2026年10月17日 公開
ミーティングが終了し、皆は解散して身支度の手伝いやら朝食の給仕やらに向かった。
俺は部屋に残ってのんびりとパイプをふかしていた。暇だ。
ロアン坊ちゃんはだいたいのことは自分でやってしまう。朝の身支度も手伝う必要がない。朝食は食堂でとるため、部屋に運ばなくていい。
実に手がかからない。なんとも俺に都合がいい、奇跡のようだ。
俺がそう仕向けたわけではない。
貴族家とはいえ三男、家から出たら一般市民だ。使用人無しの生活に慣れておかなくては悲惨なことになる。
……という貴族家の悲しい現実はさておき、元から坊ちゃんは身の回りのことは自分でやりたがる能動的なタイプだ。優秀で助かる。
おかげで俺は朝のこの時間、のんびりと壁を眺められるってわけだ。
煙草にしては煙たさが皆無のパイプから、ゆっくり蒸気を吸い込む。これはこの世界独自の煙草に似た道具だ。中毒性は無いが、なんか頭がスッキリするやつ。
誰にも邪魔されないこの時間、こうして壁に掛けられている絵やネックレスを眺めながら一服するのが至高──。
「お兄」
至高は、部屋に入ってきた人物によって破られた。
入り口には、茶色のミディアムヘアを揺らすグレーの制服を着た少女。そのまま遠慮なく俺の横に着席する。
吸い込んだ蒸気を吐き出した。
「お兄って呼ぶな。……なんだ、ジェイ」
「うん。あのさ…………」
言いにくそうにするジェイ。
どうせ、担当しているメアリ様のことだろう。
「休憩か?」
「うん、メアリ様はご自分で支度なさるから暇だし」
そうだった。メアリ様も手のかからないお方だった。
ロアン坊ちゃんの一番上の姉にあたるメアリ様はかなりおっとりとした性格で、彼女も自分の身の回りのことは自分でやってしまうため、使用人の出番がない。実に素晴らしい。
こんな手のかからない人の世話係になれるとは、ジェイはラッキーだな。新人だから配属先を考慮されたんだろう。
ジェイは俺と同じ施設出身で、妹ともいえる。最近研修が終わり、ラビリニ家に派遣されてきた。
十歳は離れてるし血の繋がりはないとはいえ、身内が職場にいるとちょっとやりにくい。ジェイのほうは、俺がいると知って安心していたようだが。
面倒だ。新人研修に手当は出ないからな。
「……メアリ様のことなんだけど」
ようやく重い口を開いたかと思えば、やっぱりメアリ様のことだった。
「……何もないけど、これでいいのかなって。引き継ぎ書には書いてないことも多いし、どこまでやればいいのかわからなくて」
「書いてないなら、やらなくていいんじゃないか?」
引き継ぎ書を残す優秀な前任者でよかったな。確かに、かなりやり手な人だった。
そのやり手な前任者は産休に入ったため、交代要員としてジェイが派遣されてきた。
あの人が残した引き継ぎ書なら、信頼できる。
「でも、メアリ様がいきなり泣き出したり笑い出したり、クッションを叩き始めたりした時にも、本当に何もしなくていいの?」
「……書いてないなら、いいんじゃないか?」
信頼できる、はずだ。
メアリ様は少し特殊なスキルを持っている。周囲にいる人間の感情に共鳴するというもので、制御が難しい。その影響で感情が急変したように見えてしまうことがある。
ご本人は穏やかな性格なので、初見では驚くことも多いだろう。しかし、そういったことを含め、どう接したらいいかを書いたものが引き継ぎ書(という名の取り扱い説明書)なのだ。そこに書いていないなら、しなくていい。はずだ。
「いいか、使用人の心得は『何もするな』だ」
「『常に手を抜け』じゃないの?」
「そうとも言う。とにかく、必要以上に干渉してはいけない。……理由がわかるか?」
ジェイは首をひねる。
「うーん。……無駄だから?」
「それもある。ジェイが真面目なのはいいことだが、あれもこれもと手を出し、何もかもを完璧に丁寧にこなしてしまったら、どうなる? その後もずっと同じように完璧に丁寧な仕事を求められ続けることになる」
「ダメなの?」
「ダメだな。それが当たり前の基準になってしまうんだ。それは、俺たち使用人の技術を安売りすることに他ならないし、後任者にとっても負担になる。何よりメアリ様のためにもならないしな」
そして、それは使用人協会の理念に反する行動だ。
俺も好きでこうして一服してるわけではないんだ、本当だ。いつかジェイもわかるだろう。
ジェイはわかったような、わからないような微妙な表情をした。
「ふーん。つまり、お兄とか先輩みたいにいいかんじに立ち回ればいいんだね」
「お兄って呼ぶな。そうだ、俺とか先輩……えっ」
サッと部屋を見回す。
端の席に、先輩がいた。パイプをふかしている。
うそだろ、俺が“妹”に得意げに説教してるところを見られた?
「お、おつかれさまです、シャーリー先輩」
「ええ、おつかれさまです」
「あの、いつからいました?」
「会議のあとからいましたよ」
始めからじゃねえか、気配薄すぎるだろ。
事務的に答える先輩に、俺は引き攣った笑みを向けた。
このシャーリーという女性の使用人は、仕事ができる上にサボるのが格別にうまい。誰にもサボっていることを悟らせないのだ。
『サボる』というのは、だらしがないとか怠慢という意味ではない。
使用人としての領分をわきまえ、そこからはみ出さないことなのだ。最高のサービスを提供しつつ、献身しすぎないという絶妙なバランスを保ってこその『サボる』である。先輩はこの屋敷でそれを最もよく体現している人間といえるだろう。
パイプ愛好者同士、しょっちゅうこの休憩室で会う。
が、気配がないので毎回驚くし、何なら気づかないことすらある。
この存在の希薄さ、仕事の速さ、サボりのうまさ。
まさに使用人の鑑だ。尊敬します。
ついでにいえば先輩の黒髪黒目に、転生前の記憶が刺激され懐かしさを感じる点も尊敬に含まれている。
これくらい存在感をなくせばもっとうまくサボれるんだろうか。
俺はまだまだだな。
さすがにこのレベルの達人を見習えとはジェイに言えない。
とりあえず、俺だけが絶妙に気まずいこの空気。
お手上げだ。
諦めて俺は蒸気を天井に向けて吐き出したのだった。